25日 午後11時過ぎ
母方の祖母が天国に逝った 97歳の大往生
ピグをやろうとPCに電源入れた時に電話が鳴った
時間的に祖母の電話だろうと直感
昨年秋から状態が衰え始めてた
人間は寝たきりになると衰えるのが早い
冬には私の顔を認識しなくなった
年末までかと思っていたが、人間は結構頑丈だ
1月20日が祖母の誕生日だが、まさか誕生日を迎えるとは皆予想外だった
死因は老衰
家族に悲しみはない 安堵感だけがある
病気もせずに眠るように亡くなった
家族が最後を看取る事は出来なかったが、苦しまずに逝けたのは良かったと思う
しかし97年間・・・
彼女の人生は幸せだったのだろうか・・・
祖母の父は台湾に鉱山を持っていたので幼少期は裕福な家庭だった
晩年になっても多少のお嬢様育ちの感じは残っていた
現在の渋谷に土地を持っていたらしい
残っていたら・・・と残念に思うばかりだw
幼少期に関東大震災を経験している
当時、庭の池の水が全部溢れ出たと言っていた
学生時代は当時としては珍しく女学校に通っていた
渋谷に通学していたので忠犬ハチ公を生で見ている
汚い犬がいつも駅にいるというのが祖母の印象だった
全国的に有名なハチ公も当時はそんな印象だったらしいw
働いていた時に二・二六事件が起こった
当時は神田で仕事していたらしいが、そんな大事件が起こっているとは思わなかったらしいw
戦争で夫を亡くした
救護班だったらしいが詳細はわからないままだ
祖父の部隊は全滅したと聞かされている
ミャンマーが最後の地らしい
遺骨は2回届いた
混乱した状況だったから仕方ないのかもしれないが
祖父がそんな扱いなのが私としては納得いかない
おそらく遺骨は両方とも別人のだろう
再婚して九州で農家をしていた
当時は大変苦労したらしい
苦労しながら母を育てた
暫くして夫とは死別した
上京して東京で仕事を始めた
色々な仕事をしていたようだ
当時の日本は高度経済成長期だったので
仕事に関しては困らなかったようだ
高齢期になってからはよく旅行をしていた
孫の私にたくさんのお土産を買ってきてくれた
晩年は近所に住まわせた
当時我が家はアパート生活だったので同居は無理だった
しかし高齢なので一人暮らしさせるのは心配な面があった
そんな時に老人ホームに空きが出来たと区の職員が知らせにきたので
渋る祖母を説得し、半ば強引に老人ホームに入れた
そして施設で約10年
職員の方に良くして頂いたので、笑顔が絶えない生活を過ごせた
ナナにも会わせた
購入した家にも連れてこれた
曾孫の顔を見せられなかったのは仕方ないw
彼女の97年間の人生
色々あったが幸せだったと思うようにしたい
もう彼女の家族は全員天国にいるので
何十年ぶりに家族に会っているのだろう
残された私たちは、これから密葬の準備
それに私物や家具の引取り
やることたくさんw
最後に
今迄、孫として愛情たくさんもらいました
ばあちゃん、あんがとね!
母方の祖母が天国に逝った 97歳の大往生
ピグをやろうとPCに電源入れた時に電話が鳴った
時間的に祖母の電話だろうと直感
昨年秋から状態が衰え始めてた
人間は寝たきりになると衰えるのが早い
冬には私の顔を認識しなくなった
年末までかと思っていたが、人間は結構頑丈だ
1月20日が祖母の誕生日だが、まさか誕生日を迎えるとは皆予想外だった
死因は老衰
家族に悲しみはない 安堵感だけがある
病気もせずに眠るように亡くなった
家族が最後を看取る事は出来なかったが、苦しまずに逝けたのは良かったと思う
しかし97年間・・・
彼女の人生は幸せだったのだろうか・・・
祖母の父は台湾に鉱山を持っていたので幼少期は裕福な家庭だった
晩年になっても多少のお嬢様育ちの感じは残っていた
現在の渋谷に土地を持っていたらしい
残っていたら・・・と残念に思うばかりだw
幼少期に関東大震災を経験している
当時、庭の池の水が全部溢れ出たと言っていた
学生時代は当時としては珍しく女学校に通っていた
渋谷に通学していたので忠犬ハチ公を生で見ている
汚い犬がいつも駅にいるというのが祖母の印象だった
全国的に有名なハチ公も当時はそんな印象だったらしいw
働いていた時に二・二六事件が起こった
当時は神田で仕事していたらしいが、そんな大事件が起こっているとは思わなかったらしいw
戦争で夫を亡くした
救護班だったらしいが詳細はわからないままだ
祖父の部隊は全滅したと聞かされている
ミャンマーが最後の地らしい
遺骨は2回届いた
混乱した状況だったから仕方ないのかもしれないが
祖父がそんな扱いなのが私としては納得いかない
おそらく遺骨は両方とも別人のだろう
再婚して九州で農家をしていた
当時は大変苦労したらしい
苦労しながら母を育てた
暫くして夫とは死別した
上京して東京で仕事を始めた
色々な仕事をしていたようだ
当時の日本は高度経済成長期だったので
仕事に関しては困らなかったようだ
高齢期になってからはよく旅行をしていた
孫の私にたくさんのお土産を買ってきてくれた
晩年は近所に住まわせた
当時我が家はアパート生活だったので同居は無理だった
しかし高齢なので一人暮らしさせるのは心配な面があった
そんな時に老人ホームに空きが出来たと区の職員が知らせにきたので
渋る祖母を説得し、半ば強引に老人ホームに入れた
そして施設で約10年
職員の方に良くして頂いたので、笑顔が絶えない生活を過ごせた
ナナにも会わせた
購入した家にも連れてこれた
曾孫の顔を見せられなかったのは仕方ないw
彼女の97年間の人生
色々あったが幸せだったと思うようにしたい
もう彼女の家族は全員天国にいるので
何十年ぶりに家族に会っているのだろう
残された私たちは、これから密葬の準備
それに私物や家具の引取り
やることたくさんw
最後に
今迄、孫として愛情たくさんもらいました
ばあちゃん、あんがとね!