この日になると寒い早朝に灰や焼け焦げたフワフワしたカスが
降ってきて、母と不安げに空を見上げていたことを思い出します。

私は初めての長期出張で東京から帰宅した翌日に
震災に遭いました。

幸い自宅は周辺被害が少なく、家の中がむちゃくちゃで
ライフラインが壊滅状態が1ヶ月以上、続いたくらいでした。

自宅で過ごせることが物凄く有難い状況でした。

兄も私もインフラ事業。
私の部署は、神戸を立て直す!という物凄い使命感にかられましたが、
当時の私は、通常通勤時間1時間が8〜10時間かかって
ヘトヘトで、暫くはまともに働けずに早期帰宅を
余儀なくされてました。

因みに兄は、震災発生の少し前に阪神淡路大震災を想定した
シュミレーションに参加していたため、
地震発生直後で何も情報が入らない状況で、
ほぼ、その後報道された地震の規模を言い当てており、
地震発生直後に父の運転で車で行けるところまで行き、
行き止まりのその後はガレキを乗り越え徒歩で出勤。

父は帰宅すると、その被害状況に心配そうに話していました。

震災発生直後に出勤後、兄は約1ヶ月音信不通になりました。
近所の人達が兄を頼って来ましたが、
不在であることを複雑な思いで両親は丁重にお詫びしていました。

その兄も東日本大震災では、阪神淡路大震災の経験から
司令塔として現地入り。
何かしらお役に立てたことだろうと思ってはいますが
あの日と同じで、私も母も心配でした。
きっと天国の父も心配していたと思います。

私はこの通り、今は違う仕事をしていますが、
辛いことがあると震災経験と生き残ったことが
何かしらの踏ん張りにはなっています。

様々な思いで神戸にいる者はいつもこの日を迎えています。


2017.1.17 神戸三宮 占いサロン幸せの楽譜 占術師NaNa〆