急性肝炎になってから、

生活を見直すことに決めました。



「身体の喜ぶことをする。」


このメッセージを守るため・・・。

まだ結果のわかっていなかった、

2月の半ばぐらいから少しずつ色んな事を

始めました。



最初に気を付けたのは、何よりも睡眠。

一日に6時間以上は睡眠時間を確保することに

しました。

本当に調子の悪いときはもっと寝ていました。



それから、身体に入れるもの=食事

これは気を付けようと思いました。



色んな方のブログで目にしていた、

「グレープシードオイル」がいいという話。

とても気になって一本購入してありました。

料理に使うのをサラダ油から

このオイルに切り替えました。




グレープシードオイルは酸化しないオレイン酸

多く含んでいて、ビタミンEの含有量も30%と

オリーブオイルの倍以上になります。


血行を良くし、老化を防ぐ効果があるビタミンEは

食物から摂りにくいビタミンですが、

このオイルを使えば効率よく摂取できるという事です。


植物油に含まれるポリフェノール

グレープシードオイルがもっとも多く、

このポリフェノールは

活性酸素を水や普通の酸素に還元し、

安定化させ、細胞の異変、DNAの傷つきを

抑えてくれるそうです。



いい事ばかりですね^^



とてもさらっとしていてクセがなく

かかとにつけたら3日でカサカサが

なくなりましたよ!!



また、野菜・果物をたくさん摂る事にしました。

出来れば皮ごと。

農薬は気になるので、今まで以上に

よく洗っています。



朝ごはんでこれぐらい。

大皿なので結構な量です^^

あとパンとコーヒーも食べます。






夕食でこれぐらい。



これは温野菜です。味噌鍋にも野菜が

たくさん入ってます。

生にするとかなりの量です。



チャーハンなんかも具とご飯が半々ぐらい。





そうそう雑穀ご飯・ナッツ類・海草なども

意識して多く摂ってます。

いま流行ってますよね。

とっても美味しいです♪


雑穀



また発酵食品が身体にとてもいいという事を知り、

味噌汁も一日に1~2杯は食べています。

ヨーグルト・納豆なども。

この発酵食品についてはよく知らないので、

今後勉強していきたいです。


知り合いで病気でかなり体力の落ちていた人が

酵素の健康食品でとても回復されたので、

興味津々です^^



そしてひと口食べたら
よく噛む。

時間のあるときは50回ぐらい噛んでます。

素材そのものの味が全体にまろやかになり、

とても美味しいし、口の中もサラサラになります。



また、食事以外では入浴時に

全身をリンパマッサージ。

寝る前にはヨガとストレッチ。

むかし習っていたのを思い出しながらの

自己流ですがスッキリします^^



でも、これらの事は全部、

出来るときに・出来る事だけ・無理をせず

が基本で、《絶対に》ということにはしていません。

ストレスになりますからね^^



それから前回の記事で強調した目の事。

私は体調が悪くなるとよく目がしょぼしょぼしたり

涙が出たりしました。

どの病院へ行ってもそれは身体とは関係ないと

言われました。

どうしても腑に落ちませんでした。



ありました!!!

漢方のサイトで見つけました。


「肝は目をつく」という言葉が。

漢方では昔から肝臓と目の関係を認めて

いたそうです。

今回、私はかなり目を酷使していました。

そういえば、昨年家で飼っている金魚が

卵を産みました。

はじめに目がはっきりと出来てきて、

そこから太い神経のようなものが内臓に向かって

しっかりと繋がっていました。



身体は全て繋がっているのですね^^



もちろん西洋医学にもとてもお世話になっています。

症状としてはっきりと現れてきている病気には

西洋医学のようにピンポイントでしっかりと

治療してもらうことは大切だと思います。


でもそうなる前の体調不良を感じる時点で、

漢方的な全身をひとつと捉えて、

病にならないように、

予防したり免疫力を付けたりする事が

大事なんだなぁと感じました。



そしてそのためには環境体内に入れるものに

気を配ることはかなり重要ではないでしょうか?



現在、体調はとてもよく安定しています^^


嬉しいことがありました!!


最近近所の方に、

「この頃肌がピカピカしてない?」

と言われました@@

2回も^^



よくよく鏡を見てみると確かにしみが薄くなり、

トーンも一段明るくなってます@@

化粧品は一切変えてないのです。

食べ物にはこんな影響もあるのですね!!

内臓が喜び、活発に活動してくれているのでしょう。



「ありがとう!! 私の身体!!」という気持ちです^^



これからも身体と対話しながら、

日々の生活をしていきたいと思います。



今回の病気を通してこんなことに気付くことが

できました。



皆さんも健康には十分注意なさってくださいね♪






私をいやしてくれた我が家の花たちです。

とてもエネルギーをもらいました。

植物は本当に気持ちを和ませてくれますね^^


















最後までありがとうございました♪




久しぶりの更新です^^


実は私、今はとっても元気なんですが、

2月に急性肝炎になり、自宅でおとなしく

しておりました(笑)


3月に入ると娘の卒業やら入学の準備やらで

こまごました用事が出てきて、

なかなか更新できませんでした><

コメントにもなかなか伺えず、

すみませんでした(^_^;)



今回、病気を通して自分で不思議だなぁと

感じることが色々ありまして、

是非読んでいただきたいなと思います。



1月の終わりに突然手足がむくみ、

それまでも腎臓・膵臓があまり丈夫でなく、

疲れたりしたときによくむくみが出ていたのですが、

今回は以前、妊娠中毒症にかかった時のような

ものすごいむくみで慌てて病院に行きました。

(それでついつい、病気やら介護の記事が

                  多くなっていました。)


血液検査の結果、肝臓の数値がかなり異常でした。


「お酒は飲まれますか?」


「いいえ、大好きですが、普段は特に飲んでいません(笑)」


「そうしたら、ちょっとおかしいですねぇ。

専門の先生に診てもらいましょう。

血液も更に精密に調べますので

来週また来てください。」



焦りました・・・。

遺伝的に肝臓に重大な病気を持っている可能性が

あると2年前にわかり、怖くて検査に行ってなかったの

ですが、それが発病してしまったんだと思いました。



先生にそれを話すと更に暗い顔・・・。



「あ~絶対にそうだ。」と思い家に戻りました。



とにかくだるくて全身の関節が痛み、

身体の置き所がありませんでした。

目もしょぼしょぼして充血がとれません><

絶対に入院だろうなぁと思いました。



最初の2日間は落ち込みました。

3日目ぐらいからこれではいけない!

とイメージトレーニングをしました。



まずは、

「次に診察に行った日に、

 『大丈夫ですよ。もうなんとも無いですよ。』と

 先生にきっと言われる。」



というイメージをしてみました。

心のどこかで「違うな・・・。」と感じました。



次に病気に焦点を当てるから

クローズアップされてしまうのかな?

考えないようにしようと思いました。


「これは気のせいだ。病気でも何でも無いんだ。」

と考えました。


何かしっくりきません。

すごく無理してる感じ・・・。

だって実際すごくだるいのだから・・・。


こんなことを繰り返しているうちに

1週間が過ぎました。


もうだるくてだるくて、

「結果はどんなに最悪でも構わない。

 早くこの苦しさから逃れられる治療がしたい。

  だから早く病名が知りたい!!。」


と、開き直りました!

次に肝臓の専門の先生に診ていただき、

再度血液検査もしました。

前回の精密な検査の結果、怖れていた

遺伝的な肝臓病はなしとの事で少し安心。

今回の検査では数値も平常に戻っていました。



しかし・・・  病状はいっこうに改善していません。



「先生、それでも身体は異常なんです。

 目の充血もとれないし、身体もだるいし。

 いつもこういう 状態のときは目もおかしいのです。」



更に訴えました。



「では、来週は腹部エコーをとりましょう。

 肝臓の数値は膵臓・胆のうが影響することも

 あるので、そちらもしっかり診てみましょう。

 目は目の問題だと思いますよ。」



こんなことを繰り返し、検査続きで3週間が

過ぎました。



その間、イメージすることを変えました。



「私はこの病気をしっかりと受け止めます。

 きっと何か意味があるのですよね。

 この病気から何を気付けばいいのでしょう。」



心が落ち着きました。

このイメージでいいんだなと感じました。

そして翌日、



「身体が喜ぶことをしてあげよう。

 身体は自分があやつっているのでもなく、

 自分のために働いてくれているんだ。

 もっといたわってあげないといけない。」



そんな思いがふと湧いてきました。

自分ですごく納得できました。

自分が気付いたのかどこからかの

メッセージかはわかりません。



すると丁度その時期に重なったのかも

しれないのですが、だんだん身体が

軽くなり始めました。

よくなっていくのが自分でも感じました。



また、笑いが健康にいいと言われますが、

元気なときにはあまり自覚できません。

でもだるいときに笑うと本当に気のめぐりが

良くなることが実感できました。

笑いの波動が臓器をマッサージしてくれてる

感覚でした。



発病前の私の生活は仕事が繁忙期に入り、

かなりムリをしていました。

お昼約6時間会社で仕事。

夜間在宅で同じく約4時間仕事。

家事は買い物も含めどんなに少なく見積もっても

5時間はしています。

そしてブログなどで3時間ほど・・・。

結局、一日13時間はパソコンとにらめっこ。

食事や休憩時間もあるから睡眠は

4時間前後でした。

これでは身体は可愛そうですね(笑)

座ってばかりでリンパも流れません><



仕事もブログも楽しいので、

好きな事は身体も喜ぶわ♪

だから少々ムリをしても大丈夫♪

なんてお気楽に考えていました。



心(魂)の喜ぶことと身体の喜ぶことは

イコールだと思っていましたが、

そうではないんだと今頃気付いた

浅はかな私です(^_^;)



結局その後の検査で異常は見つからず、

疲労が重なっているところに肝臓に

ウィルスが入り急性肝炎を起こした

ということでした。

しかし結論が出たときには、治っていて

自然治癒力で乗り切ったというわけです。



そんなこんなで今は少し疲れたら休息を取り、

ブログに心惹かれても睡眠時間を優先的に

取るようにしています。



「受け止めるという事」

そういえば・・・

と思い出すことがありました。


数年前に、義母が膀胱ガンになり

内視鏡手術で腫瘍を取りました。

しかし、取りきることができず、

2週間ぐらい後に開腹手術を

することになっていました。

義母は静かに現実を受け止めて

義父と神社におまいりをしたりして

その日を待ちました。


入院して手術の前日に術前検査がありました。

しかしどこを探しても確かに残っていたはずの

腫瘍が消えていて、急遽手術は取りやめに

なりました。


みんなにとって嬉しい驚きの出来事でした。


今思うと、これは「受け止めた」ためでは

なかっただろうかと感じます。



自分の過去の人生においても

受け止める・受け入れるという行為をすると

好転することが本当に多いなぁと

今回改めて気付きました。

(病気に限らずいろんなことで)



単なる偶然なのかもしれませんが、

私はこの不思議な力を更に信じたくなりました。



次回はこのメッセージをありがたく受け止め、

身体にとっていい事を色々と少しずつ始めました。

そのことを書いていきたいと思います♪



いつもご訪問・コメント・ペタ・Goodをいただき

ありがとうございます!!


前回の「あきらめない生き方」の

コメントでは、ほんとうにたくさんの

気付きをいただきました!!

心から感謝します♪

(前回に限らずいつもいただいています!)


記事を書いたときには自分の中になかった

思いがコメントを読ませていただいて

次から次へと浮かんできて、

「ありがたいなぁ」としみじみ思いました。


少し私生活で忙しくしていて、

記事を読ませていただきながら

コメント出来ずにいます。

週明けにはゆっくりとコメントに

伺いたいと思っています。

申し訳ありません><




先日、小林正観さんの

「宇宙を貫く幸せの法則」を読みました。

心に残る言葉が満載でした^^

書店でもたくさん出ているので、

ご存知の方も多いと思いますが

特に印象に残った言葉を載せさせて

いただきたいと思います。


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『人間は温かいものが好き』


「正しいことを言えば、わかってもらえる。」とか

「これは常識的なことだから」と考えるのですが、

人はいつも<正しい>ことを受け入れるのでは

なくて、<温かいもの>を受け入れるのです。

人間関係が、柔らかく温かいものであれば、

問題は必ずクリアされていきますが、

その人との関係がうまく形成されていなければ

いくら正しいことを主張しても、

相手は聞き入れてくれません。

まず先に、基本的な人間関係を築くことが

大切です。親子でさえも。



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人と相対する時、温かさを根底に

考えながら行動しようと改めて思いました。

また具体的に記事に書かせていただきます^^



それでは良い週末を・・・

前回書きたかった、感動したお話です^^


2月なかばに朝日新聞に掲載されていましたので、

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、

書かせていただきます。



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兵庫県明石市の主婦、脇谷みどりさんは

大分県にご両親が暮らしておられました。

母のマスさんは95年4月に

認知症と老人性うつを併発と診断されました。



お風呂の水を出しっぱなしにしたり、

自分の髪の毛を切ってもやしたり、

「死にたい」と漏らしたり・・・。



マスさんの夫でみどりさんの父である孝一さんに

「実家へ帰ってきて欲しい。」と頼まれましたが、

生まれた時から手足が不自由で、

知的障害もある長女の介護のため

西宮を離れられませんでした。



そんな時、笑いが認知症の治療に効果がある

という話を聞き、毎日、「笑いのはがき」

母に送ることにしました。

「死にたい」という気持ちも和らぐだろうと

考えての事でした。



『雨でスーパーの袋をかぶっているおじさんが

西宮にいたが、尼崎ではダンボールをかぶって

自転車をこぐ親子がいた。

上には上がいるもんだ。』



こういうはがきを綴りました。

ペンで文章を書き、色鉛筆で絵を添えました。

マスさんには面白ければ「○」

つまらなければ「×」を書いた紙を

ファクスで送り返してもらったそうです。



3ヵ月もするとマスさんからのファクスには

「面白かった。」

「もう一つ」などと、○×以外にも

感想が書き添えられるようになりました。



そして4年後マスさんの認知症は

分からないほどに改善され、

そのマスさんは、

04年春には自伝的小説

「終わりなき生命」(新風舎)を

出版され、今年1月には続編も

出されたそうです@@



そしてみどりさんは12年前からずっと

1日も欠かさずにいまだにはがきを

送り続けているそうです。



お子さんも18歳まで24時間

自宅介護であったのに、

19歳からは通所施設で訓練を

始められるようになったという事です。



みどりさんは、現在FMで、

「家族の介護で希望をなくしている人に

前向きな気持ちを忘れないでと伝えたい。」

と毎週水曜日番組にも出演し、

体験を語り続けておられるそうです。



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このお話を読んだときには、

目からウロコが落ちました。


「こんな介護もあるんだ・・・・・@@」


病気が改善されただけでなく、

本を執筆できるまでに

回復されるなんて!!



もちろん病気になった時、

治療をしていただくのは病院だけど、

その後の回復は周りの方々の

働きかけや愛情で違ってくるのだろうなぁと

感じました。



私も対照的な二人のおばあちゃんを

過去に見ていて、

ひとりは腰の骨折、一人は腿の骨折を

しました。

どちらも90歳を超えていました。



腰を骨折された方のおばあちゃんは

家族があまり協力的でなく、

それまではある程度元気にされて

いたのですが、それをきっかけに

そのまま寝たきり状態で

治りも悪く最後を迎えました。



腿を骨折された方のおばあちゃんは、

このまま寝付いたり、

認知症になってはいけないと、

家族が盛んに話しかけたりして、

色々働きかけていました。

傷も治り元の生活に戻られ、

今も元気にされています。



やはり人間の『愛』はすごいパワーを持って

いるのですね!!



介護に限らず普段の生活でも、

時間がないから、

遠いから、仕事があるから・・・・・

いろんな理由で諦めたり、

止めてしまったりしてしまうことってあります。

でも、頭を使って色々考えれば、

そこから思いもしないような方法って

見つかるものなのですね。



そんな前向きな生き方を

このみどりさんから教わった気がします^^




前回、祖母の事を書いたのは、

今日の記事に繋がります。



もっと遡って親の介護の事に戻ります。



介護は初めは本人も家族も必死で

気力も続くのですが、だんだん疲れがでてきます。

母が発病して3年ぐらいが過ぎた、

27歳ぐらいの時だったと思います。

長期の治療とお薬で体力も衰えてしまい、

現状維持はできても良くなることは

無理かなぁと皆が思い始めていました。

そうなると、

「こういう状態がどれだけ続くのだろう?」

と不安が大きくなり、いわゆる介護うつ手前の

状態になっていました。

情けないですが、正直逃げ出したい気持ちにも

なっていました。



そんな時に親戚のおばさんが、

「大変だけどがんばってね。

介護はしてあげるのではなく、

させていただいてるんだという気持ちで

                 やっていってね。」

と励まして下さいました。



もちろんその言葉を素直に受け入れられる

精神状態ではありませんでした。

「聖人君子じゃないんだし、

 そんな風には思えない・・・。」

それが私の正直な思いでした。

もちろんそんなことおばさんには言いませんでしたが。



そしてそれから何年も過ぎ祖母が亡くなり

後悔の思いでいっぱいの時・・・。



「そうだったのか・・・。」

と、初めておばさんの言葉の真意がわかりました。



親が亡くなったときには、

もっと長生きして欲しかった、

もっと一緒にどこかへ行きたかった、

孫の大きくなった姿を見て欲しかった・・・など

淋しい、悲しい思いはいっぱいでしたが、

『後悔』はほとんどありませんでした。



いっぱい関わりあって、上手ではないけれど

介護も出来て、やり終えた満足感に似たような

気持ちさえあり、自分を責めてつらい・・・という

感情は持たずに済みました。

親子間の葛藤も思いをぶつけ合うことで

解消できていました。



そして祖母の死で、

『悲しみ』よりも『淋しさ』よりも『後悔』は

心を刺すものなんだなぁと知りました。



もし、あの時親の介護を放棄したり逃げ出したり

していたら、祖母のときの比ではないぐらい

自分の事を責め続けていたと思います。



そういう意味では自分が後で悔いを残さず

清々しい気持ちでいられるように、

介護させていただいてるんだと、

初めておばさんの話に心から納得できました。

おばさんは夫を先に亡くしてて、

おじさんの事を献身的に介護していました。

その体験から言ってくださっていたのでしょう。

話して下さった時に真意を汲み取れず、

申し訳なかったと思います。



もし、介護で疲れてる方がおられたら、

今、がんばることはもちろん病んでおられる方の

ためではありますが、先で自分の幸せにも

繋がるんだと希望を持っていただきたいと思います。



そうやって視点を変えることで、

少しは気持ちが軽くなられるのでは・・と感じます。



今回は新聞の介護記事にすごく感動して

それを一緒に書く予定でしたが、

長くなりそうなので、また次回にご紹介させて

いただきます^^    






「後悔すること・・・。」

ちょっとネガティブな題名ですが、

これからは後悔することのないように!!と

自分への教訓を込めての思い出です。



未熟者の私ですから(^_^;)

後悔することは数々あるのですが、

真っ先に思い浮かぶのは祖母との事です。

祖母は私の父の母親です。



小さい頃から優しくしてもらい、

本当にお世話になりました。



父は若い頃、破天荒な性格で

祖母には かなり心配をかけたようです。

その反動か晩年はとても大事にしていました。

わざわざ車で迎えに行っては、

祖母を福井から大阪へよんでいました。


80代後半になり、

さすがに大阪へ来るだけの

体力がなくなってくると、

毎日のようにTELをしていました。



「元気か?」

「そうか。良かったな。」



それだけの短いやり取りの日もありました。



父の声を聞かせて元気付け、

また祖母の声を聞いて父も安心しているようでした^^



5年前に父が祖母よりも先に他界してしまいました。

それからは私の姉が時々TELをしたり、

好きなお菓子や洋服、珍しいものなどを

段ボール箱に詰めて祖母に送ってあげていました。



「お父さんが生きていたら

そうしたかったと思うから。」 



私も半分代金は払っていましたが、

いつも気を利かせて買い物に行ったり、

送ってくれたりするのは姉でした。

なのに毎回私との連名で送ってくれていました。

私はというと月に1.2回TELで話す位でした。



私はそのころ、下の子が小学校にあがり、

外へ働きに出始めていました。

昼間働いて、夕方から家事。

なかなか身軽に買い物にも出られませんでした。

姉は子供も大きくなり、専業主婦をしていました。

そんな姉に頼りっぱなしで甘えていました。



3年前突然田舎から連絡が入りました。

祖母が腹膜炎をおこし重体で、

年齢が年齢だけにあと3日ぐらいが

ヤマだと思うので、緊急ではないけれど

また顔を見に来てやって欲しいという事でした。



その日は金曜日で子供たちも学校へ

行ったあとでした。

私も仕事で責任が重くなっていた時で、

とても休みにくい状態でした。


姉と相談して土曜日に夫に子供を預けて

二人で病院へ行くことにしました。



土曜日のお昼12時ごろに病院へ着くと

祖母は意識がもうろうとしていました。

先生は夕方ぐらいまではまだ大丈夫だと

言われていました。

声をかけたり、手を握ったりすると嬉しそうに

かすかに笑ってくれました。

そして15分後にスーッと息を引き取りました。



「待っていてくれたのかな?」


そんな気がしました。



前日までは意識もはっきりしていて

話も出来たそうです。

昨日思い切って仕事を休んで、

子供たちを知り合いに頼んで、

駆けつければよかった。



とても後悔しました。



そしてそれよりも何よりも

病気になったからとか 重体だからとか

そんな時だけに 駆けつけても何にもならない。


父や姉のように

元気なときに喜んでもらえるようなことを

する事が大切・・・だと痛感しました。



忙しいとかそんなことは理由になりません。

私には思いやりの心が足りなかったのです。



後悔先に立たず。



しばらくは思い出すたびに胸が痛みました。



祖母が教えてくれたことを教訓に

これからは同じ後悔をしないように

気を付けたいと思います。


      ・

      ・

      ・



ということで、話はガラッと変わって

二日前に行列の出来るラーメン屋さんに

行ってきました。

雑誌などによく出てるらしいお店でした。

夫はラーメン屋さんめぐりが好きで

よく連れて行ってもらってます。

最近はどこもレベルが高く甲乙つけがたいですが、

今回は本当に気に入りました!!!


『洛二神』



大阪の天神橋筋商店街にあります。

お魚ベースのスープで麺が極細。

早速おみやげも買い、姉のところに持っていきました^^



身近な人から少しずつ、

無理せず自分のペースで

喜んでもらえる事をしていきたいと思います。

お世話になった方々に

そろそろ恩返しをしていかないと・・・ね。





大変長くなってしまったこのテーマ(^_^;)

書くほどに自分の心の整理が出来て、

止まらなくなってしまいました。

今回で完結できそうです。

私的なテーマにお付き合い頂き

ありがとうございました^^



いよいよ夫との結婚へ・・・となっていきました。

14年前で、今と違い、

まだ結婚式が盛大だったころです。



相変わらず私の父のワンマンさがまだ目立ち、

こちら側の意見を通すことが多かったのですが、

夫の側は快く合わせて下さり、

スムーズに決まっていきました。



結婚してから知った夫の実家は本当に温かく、

「ありがとう」の言葉や思いやりの言葉が飛び交う、

私が小さい頃から理想にしていた家庭像

そのものでした。



そんな家族と縁ができて嬉しい反面、

私は複雑な家に育って、

自分にはどこか陰があるんじゃないだろうか?と

コンプレックスを抱くこともよくありました



でも、それらをも包みこんでもらえてるような、

感覚がありました。

それは何故だろう?と自分でも不思議でした。



ある日、義母(夫の母)に、

「式の時には私の父の希望を聞き入れてもらい

ありがとうございました。」

と話しました。



義母は


「初めてあなたを見たとき、

ひまわりのような子だなぁと思ったのよ。

(図々しく書いてすみません><)


でも、お家にお邪魔したら全くその

面影が無くなっていた。

その時にどれだけあなたが大変だったかわかった。


だからお父さんと、

『息子が決めた結婚だから、どんな事があっても

二人を添い遂げさせてあげよう。

そのためには、どんな事も聞き入れよう。』

と約束していたのよ。


私たちは早くに親を亡くし、親の見本がない親で

未熟だけど、仲良くしていきましょうね。」


と言って下さったのです。


義父は実の父を義母は実の母を

幼少の頃に亡くしてました。

そして義母は私と同じような境遇で育ち、

私の気持ちを十分理解して下さってました。



その時の優しい言葉通り、

この14年間、夫からも夫の家族からも

嫌な言葉、傷つくような言葉は一切掛けられた

ことはありません。



これは世間ではなかなか無いことだと思います。

本当にありがたい事で、

どんなに感謝してもしきれません。



夫とは些細な言い合いは1,2回あったかも

知れませんが、思い出すような喧嘩はありません。

普通に生活し14年も経てば、色んなアクシデントは

やってきます。

でも何故か全てスムーズに解決していきます。

『気』が合うというのでしょうか。

相手の気持ち、こちらの気持ちがよく理解でき、

譲り合うことが自然に出来ます。

本当にありがたいことです。

やはり、こちらに縁があったんでしょうね^^



ここまで書くと、では自分の両親に対しては

恨みの気持ちを持っているのか・・・と

なりますが、決してそうではありません。



一番愛情を持っていると感じています。



人は自分で課題を決めて生まれてくると

言われています。

そして、その課題を習得するために

手助けしてくれるのがソウルメイトといわれる

存在です。



生きていく中で、優しくしてくれる人

助けてくれる人、励ましてくれる人・・・

そういう人たちも縁の深いソウルメイト。



でももっと縁が深いのは、

憎まれ役を買って出てまでも

その人に課題を習得する手助けをして

くれる人だそうです。



その人に辛い思いをさせてまでも、

課題を乗り越え新たに気付きを得る

きっかけをくれているのです。

嫌われてもいい、成長の手助けをしてあげるよ

と言ってくれているソウルメイトです。



私は小さいころから父が怖く、

いう事はかなり聞いてきました。

でもそれは心を開くことではなかったと思います。



きちんとした親子関係を築くには心を開く事が大切。

ぶつかり合ったっていいんですよね。親子なんだから。

心を開かないと、やがて我慢は身体にたまり、

良くない影響を与えてきたでしょう。



去っていった彼はそれを教えてくれる役目をして

くれていた、ソウルメイトだと思いました。

私と両親がきちんと向き合う場を

セッティングしてくれたのでしょう。



そして両親。

この二人とのやり取りからは、

本当に色んなことを学びました。

人を思いやることの大切さ。

譲り合うことの大切さ。

信じることの大切さ。

言霊の大切さ。

『愛』の大切さ。

    ・

    ・

    ・ 


反面教師的な教えではあったけれど、

親には親でそうならなければ

ならなかった、辛い背景がたくさんあり、

人の一生は複雑でひとことでは

表せませんが、仕方がなかったのだと思います。



たくさん喧嘩をし、泣き、一緒に葛藤し

私の中にあるそれまでの垢を

洗い流す手助けをしてくれたのだと感じます。



その両親の手助けのお蔭で

幾つかの課題をクリアーし、

夫との葛藤のない平和な生活へ・・・と

ステージを上げてもらえたのかと思います。



私のこの人生の課題は、

「家庭の愛」を知り、思い切り味わうこと

ではないかと思います。

そして大きくは、

人間の愛とは何かを感じること

ではないかと思い始めています。



「憎まれ役を買って出てまでも

     成長を助けてくれるソウルメイトは

              本当に縁が深い人たち」



この一節を読んだ時は、涙があふれました。

今までの両親への全てのわだかまりが

いっぺんに消え去ってしまいました。




今の幸せは、たくさんの人たちの思いやりのお蔭、

そしてお母さん、



そして何よりもお父さんのお蔭だと

今は心からそう思っています。






本当に辛い毎日でしたが、

仕事も家事もありましたし、

私が寝込むと両親に負担がかかり

体調が更に悪化することは目に見えていたので、

なんとか気力で持ちこたえていました。



今思うとそれが良かったのでしょう。

でないと、甘えて引きこもり、

もっと立ち直るまでに時間がかかったでしょう。



とにかく、考えると心臓がキリキリ・チクチク

痛むし(本当に)、涙が止まらないので、

考え事が出来ないぐらい、

毎日わざと忙しくしました。



人と話をする元気はまだなかったので、

駅を手前で降りて歩いたり、

スポーツクラブへ行ったり、

身体を動かしていると落ち込む気持ちが

ましになることに気付きました。



そうして意識的に動いていたある日、

ふと自分がまだまだ恵まれている事に気付きました。

昔々の記事にも書いたことです。



■健康体である。

■経済的な心配をしなくて良い。

■住む家がある。

■心配をしてくださる方がたくさんいてくれる。

■反抗しても愛してくれる両親がいる。

        ・

        ・

        ・


次々浮かんできました。



実は当たり前のような事は、

みんな当たり前でないのですよね。

ありがたいことがいっぱいなんです。



もう結婚はいい。

今出来ることを、出来る範囲でがんばりたい。

そういう気持ちになってきました。

両親も応援してくれました。



そして新たにスタートしたことで、

気付きのきっかけとなる、

先生や友人達とたくさん出会えたと言う訳です。

勇気を出して一歩を踏み出して

本当に良かったと今でも思います。



その後、前回のように夫と出会い、

結婚へ・・・となった訳です。



夫を紹介したとき父は1時間ほど話をして

結婚を許してくれました。

いい人だととても喜んでくれました。


このときに父は夫の人柄だけを

しっかりと見てくれたと分かりました。


数年がんばっても許してもらえなかったのに

たった1時間です。



父には私に本当に縁がある人かない人か、

私が幸せになれるかどうかが、

親の直感で分かるんだな。



以前の反対も家のためではなく

私が幸せになれないと感じての事だったんだな。



改めて親に対して申し訳ない気持ちと

感謝の思いが湧いてきました。



この間、

「これでいいのかな?」という声は

全く聞こえてきませんでした。



自分の意思も勿論ありますが、

本当に流れるように物事がすすみました。



「気が付いたら結婚していた・・・。」



よく聞く言葉ですが、本当なんだなと思いました。



縁がある人との結婚は見えない力に

導いてもらえるように進んでいくものなんだと

わかりました。



縁がないといくら頑張っても進まない。

多分無理やり押し通していたら、

今頃は現在のような平和な時間は流れて

いなかったように思います。



これが赤い糸なんですね^^



このことから、

何かいい方向へ導いてくれる見えない力が

働いていると思いました。

心の声、人の声、運命の動き・・・

拒絶せず注意深く観察し、判断しないといけない。



自分のエゴでなく、素直な心・耳を持つことが大切。



粘り強くがんばることは、

人生においては勿論大切だけど、

周りの人を幸せに出来ないこと、

喜んでもらえないこと、

なかなか進まないことなどは、

今一度本当にそれで良いのかと素直に考え、

辛くても潔く諦めることもまた大切。

(結婚以外のことでも)



そのとき基準になるのは、

周りの人も幸せ、自分も幸せであること。

自分だけが幸せになることではない。



こういう事を感じました。



そして更に結婚してからも、

赤い糸だったんだと感じる出来事がありました。



次回はそれぞれの人たちが、

私にとってどういう意味を持っておられたかを

感じるままに書きたいと思います^^




出会った全ての方に感謝しています・・・。


本当に不思議だね・・・ぐらいの感覚で書こうと

思っていたこの記事ですが、

実は自分なりにもっともっと深い意味を感じて

いるのです。



こちらも書きたくなってきたので

どうぞ読んでやってくださいね^^



実はこの出会いの数年前、

私は別の人と結婚したいと思っていました。



しかし、私の父のすさまじい反対があり、

なかなか話を前に進めることはできませんでした。



反対する理由は、相手の家が家族も一緒に

事業をしていて、結婚したら私もその仕事を

手伝うことになること。

それとは別にその人のお父さんは

政治活動もしていて、当然そちらでも

忙しくなるし、手伝わなければならないこと。



そういう普通の家ではないので、気苦労が絶えなく

そんなところへは出せないということでした。

そして相手の人にはその大変な家で、

私を守りきるだけの器がないとも言っていました。



その頃父も小さいながらに会社をしていて

ずっと私に後を継いでくれと言っていました。

養子に来てくれる人はいないかと

よく人に声を掛けていました。



そして母との仲が悪く、子供がいて

何とか持ちこたえてるみたいな家庭でもありました。



何だかんだ言っても、

「父は家のために私をお嫁に出したくないんだ。」

と勝手に思い込んでいました。



家のための犠牲になって好きな人を諦めないと

いけないのか・・・。

小さいときから親のいう事は何でも聞いてきて、

それでも更に、まだ自分を犠牲にしないといけないのか。

私は私の選んだ道を歩いてはだめなんだろうか・・・。

本当に考えました。



ちょうど二人とも闘病中でもあったので、

私が我を通そうとすると体調が益々悪くなる。

私が自分を押し殺して家のために尽くすと

体調が良くなる・・・そんなことが繰り返される

暗い毎日でした。



それでも私は頑固者で、家事や介護をしながらも

親に家を出たいと言い続けていました。

今、思うと本当に親不孝者です・・・。



すごく遅い反抗期です。

小さい頃からの心に溜まっていたものを

思い切り吐き出してしまいました。

どうして分かってくれないんだと、

父と取っ組み合いのケンカもしました。



そんなことを繰り返しながらも、

いつも心のどこかで、



「誰かを泣かして本当に幸せになれるの?

             本当にこれでいいのかな?」



自分の声かどこからか聞こえてくる声か

それはわからないのですが、常に聞こえてました。



「いいの! 自分の人生は自分で選びたい。

    ましてや、人生の最大の出来事である

  結婚相手は自分の意思で決めたい!」



自分の中の声をそうやって打ち消していました。

親との争いをしている間にも友人たちは次々と

結婚や出産をしていき、取り残された淋しさと

焦りと色んな思いが混ざり合い、

本当に好きなのか、結婚したいのかも

分からなくなりました。

今思うとあるのは意地だけだったのかも・・・。



そんな争いが数年続き、

みんながほとほと疲れきってしまってました。

多分そのころ強く押したら

親は折れたかもしれません。



そんなある日、

その彼が去っていってしまったのです。

これだけ両家がこじれてしまっては、

もうだめだと私も分かっていました。



取り残された喪失感・・・。



それまでの人生で、

このときほど絶望を味わったことは

ありませんでした。

相手の思いもよく理解できたし、

恨む気力さえ、もう残っていませんでした。



悲しくて眠れない、食べられない、

心臓がチクチク痛い。

親の離婚のときでもこんな辛くはありませんでした。



3ヶ月ほどは日常生活をしながらも、

抜け殻のような自分でした。



でも、後で思うとこの少し後に

今の夫は私の家の近くに就職したのでした。



神様が引き寄せて下さったのでしょうか?



つづく・・・






発表まで一週間!!

何とか題材を決め、資料を用意し

とうとう当日がやってきました。


初めて来て下さった方もチラホラいて、

本当に緊張して大変でしたが、

「絶対大丈夫!」と自分に言い聞かし、

始めました。


20分ほど話すと緊張もほぐれ少しずつ

楽しくなってきました。

順調に進み1時間ほど経った時、

遅れてひとりの男性が入ってきました。

話の途中でしたので、軽く会釈し、

資料をお渡しし、そのまま続けました。

なんとか2時間の持ち時間内に話を

まとめることが出来、無事終了しました。

達成感と充実感でいっぱいでした。



その後、新しく参加された方と

現在の会員との名刺交換や挨拶をしました。



途中で入ってこられた方は、初対面でしたので

てっきり初めての方だと思っていたら、

その会の創設メンバーのひとりという事でした。

仕事の都合で半年ほど欠席していたという事でした。

そしてあいさつを・・・と思ったら、

ちらっと目を合わせ後はこちらの目を見て

もらえませんでした。

私は人の目を見て話すタイプ。

ちょっと「感じ悪いな・・・。」と思いました。



これが夫との初めての出会いでした^^



その後、色々と経緯があって夫と

お付き合いをすることになったのですが、

夫は初めて会ったときに何となく

結婚する相手だと分かったそうです。

そして照れくさくて目をあわせられなかった

そうです。



私は第一印象があんな感じだったので

全くピン!と来ていませんでした(笑)



夫は出会う半年前に転職していて、

仕事の関係で交流会には間に合わなくて、

ずっと参加していなかったのですが、

その日は何となく行ってみたい気がしたそうです。

それがたまたま私の発表と重なったと言う訳です。

もし、私が試写会へ行っていたら、

もう二度と会うことはなかったかも知れません。




でもまあここまでなら普通の偶然で、

ありえない事ではありません。




その後、話をしていくといろんな事が分かりました。

その前の2年間ほど、住んでいた場所は

大阪市とその隣の市でバラバラでしたが、

働いていた会社はとても近かったのです!

同じ地下鉄の同じ時間に同じ駅で降りて、

同じ経路で出勤していたようです。

きっと何度もすれ違っていた事と思います。



そして夫は転職後は大阪市から遠く離れた

場所に引っ越したのですが、

そこは私が3年間通った高校のすぐ近く。

私にとってとても縁のある土地でした。



そして転職した会社は私の家から

自転車で10分ほどのところ。



自動車の免許はずっと前に取り、

既に自動車に乗っていたのに、

急に思い立ってバイクの免許を取りに

行ったそうです。

その教習所は私の家から歩いて1分の

所にありました@@


これまた何度もすれ違っていたでしょう。



そして、一番驚いたのは

おばあちゃんの家から158号線を左に

1時間ほど行くと156号線に合流し、

そこから30分ほどいった156号線沿いに

夫の生まれ育った家がありました@@

ずーっと気になっていた左方向に・・・。

福井県と岐阜県です。

出会ったのは大阪市内です。



大阪府内もたくさんの土地がある中で

夫と私は離れていても同じような、

土地を行ったりきたりしていたことになります。



あまりにも偶然が重なりすぎていて

これは出会うようにプログラムされていたのだろうと

思うようになりました。



出会うように出会うようにと見えない力に

引き寄せられていたように思います。



で、あまりにも気付かないので、

交流会で・・・となったような気がするのですが・・・。

考えすぎでしょうか(笑)



この事をきっかけに

人生は伴侶に限らず、

大事な友達、

とても仲が悪かった友達、

恩師、先輩・・・



いろんな方々と出会います。



全ての出会いにこのような必然が

含まれているように思えてならなくなりました。



次はこの結婚をスピリチュアルな側面で

見ていきたいと思います。