SETAGAYA通信3.0 -3ページ目

ガラティア2.2

きゃりーぱみゅぱみゅ「PONPONPON」は、今現在10月15日(土)での今年の個人的なヒット作。
中田ヤスタカ名義から引き算をしてみても、やはり素晴らしいミュージシャン。
もちろん、中田ヤスタカの力量、プロデュースなしでは到底成り立たない。


トラックは、なるほどテクノ調であるが、舞台装置は、異国情緒を感じる。
想い出したメロディは、モーニング娘。の「ハッピーサマーウェディング」。
この曲もウェディングという生活にある非日常という意味では「異国」の舞台を設定したということになるだろうか。


さて、「PONPONPON」はPV、メディアで観るかぎりでは90年前後の渋谷系が露骨なほど前面に出ているところが、露骨さゆえに洗練されている。
それは加工されたカルチャー。徹底してフォルムに拘ったつくりになっているのが窺える。ゆえに中田ヤスタカから受け取る感覚は、音楽を通すことで超歴史的なものになります。


しかし、いくら過去の曲のオマージュやコラージュとの羅列をしてみても、歌っているのは2011年。現実を意思することで、市場をそして歴史を否定することはできない。


雑誌や配信サイトでの活動、そして中田ヤスタカ。


個人のバラバラの行動が集合的にカルチャーとして存立するのではなく、その逆になります。つまるところ、カルチャーとして筋を通すことは先験的にカルチャーとして保守すること。そうすることにより、ギリギリの線で市場と折り合い、中田ヤスタカ氏の思想を観ることができます。これは、現実との折り合いをつける、あるいは反転して現実に向き合うことにおいてのノウハウになるのではなかろうかと考えます。

どろ抜きしないどじょう

泥鰌の旬は夏とされています。
脂ものって美味しい夏の泥鰌。
もちろん、食べ方は泥抜きして食べることになります。
そして初冬には土に篭ってしまう。


そういう性質はともあれ、野田首相は散文の一節からとったとのことなので、趣きは異なるでしょう。


民主党執行部人事、組閣を見ると、気になるのが仙谷氏のポジション。
政調会長の事前審査権限が付与されることになりました。
ここで会長代行が仙谷氏。
しかしながら、最終決定の権限は政府・民主三役会議へと修正という経過になります。


会議の案は、推測の域を出ませんが、政調会長の事前承認を追認するだけということは可能性としてありえます。


このような体制を見るときに思い出すのが院政。
仙谷氏は官房長官時代から院政という言葉でセットとして語られることが多かった人物の印象があります。


権力を一極集中にする。
それは組織内部においては非常にインスタントなように一見思えますし、小泉内閣の構造改革の思想と被る気もします。合理性を追求した結果、権力が一極集中になること。


畢竟、権力を安定して維持することはできないように社会はできています。
それは選挙を引き合いに出せば理解できます。
国民は、国政に出ないかわりに投票権を行使して、自らの代弁者たりうる人物を選ぶ。
それが議会制民主主義ということになります。


win-winの関係こそが議会制民主主義です。つまり人間のコミュニケーションの基本前提こそが日本の政治形態ということになります。


院政が盛んだった頃に、記録荘園券契所という機関がありました。
それはまさに政調会長の権限と似ています。


荘園は短期的にうまく行きましたが、長期的な安定性を確保するのは難しいことは歴史が証明しています。


この歴史の反復が上手に遂行されているかどうかは今の惨状ということでしょうか。

菅直人という体験

菅政権の右往左往ぶりはなにも3.11以降にはじまったわけではありません、もちろん。3.11以降に、先延ばしをしていた欠点がボロボロと露呈しているように思えます。


皮肉ながらも、現政権は合法的手続きを経て、成立している政権ということになります。あの政権交代の熱情の源泉はなんだったのだろうか。二大政党制の枠組みをつくることではなかったのではなかろうか。時には、菅直人首相は2009年10月に立法×行政の一本化的な発言を連合のレセプションで述べたことがありました。ここで重要なことは憲法は国家運営の方法論。法学的には統治権力を抑止する法。


以前から菅直人首相はアクロバティックな実践性を有しておりました。それは菅首相が、市民運動家として活動していたことと関係があるのではなかろうか。運動は、その政治性とはまた別の視覚を変えると、日常から非日常へコミットすること。市民運動家として、そしてそこから国政にコミットしたことは日常へ戻る回路を細らせてきたのではないかと邪推をしてしまいます。


そして、3.11が起きてからは統治能力の欠如と、被災者の方が日常へ戻る回路のプロセスを提示することができていない状況が続いています。


松本前復興相がなんとかしてくれる、細野豪志原発事故担当相がなんとかしてくれる。そんな傍観者的な印象を受けてしまいます。


ところで社会心理学に傍観者効果という言葉があります。
大衆の行動原理の一つです。簡単に言うと、他の人がいるから、自分は行動しない。


最前線から少し退きながら傍観者であること。首相の座に就き続けること。
そこには祈祷師の佇まいすら感じさせます。菅直人首相は再び、脳内で四国八十八カ所巡りをはじめたのではないか、ぼくは密かにそう思っています。