カミュと物象化論 | SETAGAYA通信3.0

カミュと物象化論

カミュ哲学の中で主要な位置を占めるのが、不条理という概念。
これは多くはジョルジュ・パラントからの影響があるでしょう。
通常の階級闘争になると多かれ少なかれ、疎外論が出てきますし、それでやっていくほかにないように個人的には思えます。しかし、それ以上にナチスのレジスタンスとしての特殊的環境から考えるとひとつの物象化論の運動論と言えなくもないはずです。


マルクスから導きだしたというよりは、やはりジョルジュ・パラントの影響が多いでしょう。
さらにそれを洗練化させるに至ったのが、カミュがそれほど肯定的に観ていないフッサール現象学からヒントを得たと言えるかもしれません。

不条理=物象化論は、間主観性というよりは、諸原理の原理という概念から得たかもしれません。認識の正統性の源泉。カントでいうところの超越論的統覚となるでしょう。


唯一の出口が死という不可避のものであるという運命だ。死が不可避な唯一のものだというこの事実を除けば、悦びであれ苦しみであれ、いっさいが自由である。


このような言葉にある種の希望があるとしたならば、それはフッサール現象学からいくばくかヒントを得たでしょう。