メディア、書く、ネット、芥川論 | SETAGAYA通信3.0

メディア、書く、ネット、芥川論

近代化により、今までより容易に(それでも難しいかもしれませんが)階級の差異を、いわば地盤沈下させることができたこと。
明治・大正の教養は、今で言うところのセミナー・自己啓発に似ているのかもしれません。
非常に内面的な問題でありながらも、社会性を志向していること。あるいは社会的上昇へと向かうこと。


この内面と上昇との極度の乖離が、吉本隆明氏の芥川論の肝と言えるでしょう。


くわえて、メディア・書くことには、その上昇への飛躍をなかば担保してくれるような要素があります。
言霊幻想とは違った、ある種のハイカルチャーに対するサブカルチャー。これは大正時代にも存分にありました。


モンテーニュは科学においての発見は別の科学の発見可能性があると示唆します。
これはニュートン力学から離れた、アインシュタイン的発想です。


このようなモンテーニュの考えの根本を形成しているのは、たとえば、現在なら論理力、仮説、PDCAなどのコンサル系の大枠の考えに似ています。


翻って、それは、じつは現状をそれ以上でも以下でもなく見つめようとする透徹な目であったろうと思うのです。