今の会社に入ってもう9ヶ月。
ちょっと考える事もあったので、月毎にまとめてみる事に。
とりあえず2010年4月までの6ヶ月分。続きの3ヶ月分は気が向いた時に。



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11月、入社初日に戸惑う事ばかり。
半年間の試用期間ということもあったので、まずは様々な現場を体験させてもらう。
iidaのインタラクティブプロジェクトや新たな案件オリエン等、何も発言する事無く、
まずは打ち合わせの内容を頭にインプットするべく、黙々と議事録をとる。


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12月、企画書を提出する機会を4度程。
ある新聞社のプロジェクト。
ある企業のブランディングプロジェクト。
あるコンペのプロジェクト。
iidaのインタラクティブ領域。
iidaに関しては基本的にあがってきた情報を集約し、まとめるのみ。
その他3つは、アイデアを問われるもの。
前職で培った「企画」は「企画」ではなかったと、痛感。
普段は3時間程ペンを持たずに考え続け、1時間程で一気に企画を仕上げるタイプ。
そこでは、悶々と考え込むのでは無く、とりあえず思いついた事を書き出しながら企画書へ。
なんかしらカタチになるが正式採用されず。


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1月、無職5ヶ月という2009年を振り返りながらも、正月休みが明ければ怒濤の日々。
引き続きiidaプロジェクトを進めながらも、
海外広告賞の出品の為、出品用WEBページ制作&エントリー作業。
文章の大切さを学ぶ。文字と文章について考える。
そこから、本を読むときも自分の仕事の為になるフレーズだけではなく、
文章として「印象的なフレーズ」にもチェックを入れるようになる。


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2月、27歳になり1年間の目標を見直す。
2009年の2月には会社を辞めるなんて考えてもなかった。
でも、2009年の2月に考えていたことと、2010年の2月に考えていたことの根底にはズレが無く、
会社が変わっても常に追い求める終着点は同じだということをきっちりと認識できた、ある夜。
なりふり構わず3年間を振り返る。
会社の立ち上げの中で学んだ事は大きい。
ゼロから立ち上げる。事例を創る。注目される。結果を残す。関係性を気づく。
時に、関係性が崩れる程のアクシデントが起こる。関係性を保つべく踏ん張る。
個人でなし得る事の限界を知る。チームでの共和を学びながらも、「個の強さ」を知る。
そこで得た経験を今の会社にどのように活かせば良いかを考える。
1つのマスタープランを実践してみようと決断する。


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3月、引っ越しを決断し1件の内見で引っ越し先を決める。
決断力があるのか、それとも単に面倒くさいだけなのか。とりあえず引っ越し先はすぐに決めた。
2010年夏iidaプロジェクトが始まる。
U30nightoutというイベントを少しばかり手伝う。
U30の世代へ、第一線で活躍するクリエイターの方々からメッセージをもらう。
20代前半は勢いだけで、頂いたメッセージを活力剤にしてきたが、
20代後半になった自分が感じた事は、そうした言葉の「重さ」。
勢いだけでは無く、きっちりと自分の進みたい道を見据えながら1つ1つの物事を考えていきたい。
そう思った。
また、年末から進めていた、気の合う仲間と共に進めていたプロジェクトも一旦終着を迎える。
普段は組織上、常に一人で考える事が多いため、週末の土日に同じ事を考える仲間と話の機会を
もって明けた週は、非常に頭もリフレッシュできており、効率性が高いということにも気づく。


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4月、小さなプロジェクトながら自分で任せてもらえる仕事を2件。
1つは、デザインチームが進めているあるアーティストのWEBサイト制作。
もう1つは、パブリックビューイングでのWEBサイトを含むデジタルコミュニケーション周り。
前者は前職でやっていた業務に近く、要領がわかっているため効率よく進める事は出来た。
その中で学んだ事は、きっちりとアートディレクションされた作品には、
インタラクションは時に邪魔に感じる、ということ。
何でもかんでも、面白さを求めるだけでは無い、ということは言葉では分かっていたものの、
この仕事だけでは無く、今の会社に入ってから関わったプロジェクトで生み出される
数々のアウトプットを見ていてもそう感じる。

昨今のクリエイティブディレクタ-は、クリエイティブのコントロールだけでは無く、
コミュニケ―ションのコントロールが求められているという記事を良く見かける。
アートディレクターは、単にレタッチがどうのこうのとか、タイポグラフィがどうのこうのとか、
そういったディティールコントロールだけでは無く、
そのモノが持つ魅力や特徴の足し算/かけ算の中で生み出されるある1つの「表情」を生み出し、
世の消費者の心へ言葉の力では無く、アートの力によって問いかける。
その「表情」がある力強さを持っていると、そのコミュニケーションには強さが生まれる。
そんな事に気づく。



続きは、また気が向いた時に。
amebloは全く更新していなかったのですが、
皆様にご報告があります。



6月末に約3年間お世話になったサイバー・バズを退職させていただき、11月1日よりクリエイティブエージェンシーであるgroundにて、働くことになりました。ご存知の方も、ご存知でない方も。「ground」検索する前にとりあえず聞いてください。



7月中旬までは少しゆっくりしながら、7月下旬よりモバイル系メディア企業を中心に転職活動を初め、少し方向性の違いを感じ、再度広告代理店でがんばりたい思い、8月中旬より大小様々な代理店と面接をし、ありがたくいくつかの企業から内定を頂き、9月下旬には10月1日より働き始める準備のため、最終決断をしようと3社で迷っていました。(10月の頭には体調を崩し、軽くインフルの御礼をうけました。。)



ですが、第1志望にしていたground社より、「欠員が出たので面接をしませんか?」というオファーをいただきました。決断しようとしていた3社にはその旨をつげ、返答期限を伸ばしていただけることに承諾いただけた2社を残し、ground社への面接に挑みました。



面接の相手はご存知の方ならわかる、あの方です。非常に刺激的でした、業務やgroundの目指す方向性、コレまでのプロジェクトなど。様々なお話をしていただけましたが、あれだけ忙しくあれだけ成功を収めている人にも関わらず、こんなちっぽけな若造の将来に耳を傾けていただき、ミーティング間のご多忙な中、
約一時間程度色々とキャッチボールをさせていただきました。



しかし、面接の途中から少し様子が変なのです。。なんだっと思い、伺ってみるとそもそも欠員が出たのはアシスタント、つまりはアルバイト募集だったんです。新卒であれば、「それでもお願いします!」と言えたかもしれませんが、これ以上周りに心配をかけることもできないし、甘えが生まれる環境で再スタートをかけたくは無い。そうこう考えていると。



「じゃあ、やっぱり正社員だよね。ちょっと検討してみるから待って。」っと。うれしい反面、残り2社の返答期限が迫っており、来週の火曜日(6日)までにはご返事いただけませんでしょうか?と打診してみると、「わかりました」と頂き、家路に着きました。



しかし、6日の週になっても「忙しくてまだ検討が出来ていない」とだけ。ようやく13日の週にご連絡をいただき15日にもう一度面接をしたいと。すでに残りの2社からは、猛プッシュを受けておりましたが、そこは自分の直感を信じ交渉を続け、1社は承諾いただけなかったものの、残りの1社は返答期限も踏まえ、
20日17:00まで待っていただけることになりました。



15日の面接では自分の思いをすべてぶつけ、1時間もの間、真剣に会社の方向性と僕の方向性とをすり合わせていただけました。また、20日17:00がデッドラインであることもつげました。おそらく相当必死な顔でしたが、「大丈夫、君を本当に必要としているなら、俺の経験上その会社も待ってくれるから。」っとさらっと。



その一瞬、「じゃあ、早く結果返事くださいよ。。。」っと心の中で叫びながらも、こんなちんけな僕に、合計2時間程度もお時間を割いていただき、親身になって僕の将来を考えてくださっていたことを思うと、そんな気持ちもすぐになくなり、結果を待つことにしました。



それから、金、土、日、月、、、と。生きた心地がしませんでしたが、20日火曜日16:30に内定のご連絡を頂き、無事第1志望の企業で転職活動を締めくくることが出来ました。



紆余曲折色々ありましたが、これまでの能力では太刀打ちできない方々と、多くの時間を過ごすことになります。すでに昨日カウンターパンチを受けましたwこりゃ、コレまで以上に頭と体を酷使しないと無理なようですww



ですが、そうした環境をひいた自分の運を信じて、サイバー・バズに入社した時の気持ちを思い出し、再度1歩1歩を確実に歩んでいきたいと思います。



それでは、皆様引き続き何卒よろしくお願いいたします。
これからは、こちらのブログで色々とご報告していきます。



ちなみに、僕が主導で動かせる仕事など当分無いので、僕へのメディア営業などは無駄足になりますのであしからずwちなみにちなみに、groundはWEBサイトがありませんw日清カップヌードル「FREEDOM-PROJECT.JP」を発案され、実行された方です。