◆当初の、野田聖子議員の話を聞いて。


この話を書き出すきっかけとなった、彼女のドキュメンタリーの紹介を見て感じた、正直な感想は…


「小さい子供がかわいそう」でした。

1歳で、7回もの手術。 ずっとチューブに繋がれた生活。呼吸と引き換えに失った声。。


ドキュメンタリーの番組をきちんと見た訳でも、彼女について、詳しく調べた訳でも無いので、小さいお子さんの「今の状況」が「超高齢出産が原因」なのかどうかは、はっきり分かりませんが…。


私が感じたのは、「物凄く頑張ったら、産めない事はないのかも知れないけど…。リスクや、産まれて来た子供が、辛い思いをする可能性だって、どんどん高くなるのか…」と、いうものでした。



「子供が欲しい」と思うのは、親の願いでしょう。。

でも、産まれて来た後、生きていくのは子供。。(育てるのは親ですが)

ネットで見た(真偽は分かりませんがね)、とある書き込み。

「自分は障害を持っているけど、産まれるまでは分からなかったらしいから、親を恨んではいない。けど、人生を楽しいと思った事が無い。 もし、分かっていたなら、産んで欲しくなかった。」という言葉。。。(これを言った人は、「親は凄く良くしてくれている」と、親から大切にはされているみたいです。でも、本人はそう思うんでしょうね。)


「辛いけど、生まれてきて良かった。産んでくれてありがとう」って、美しい話も聞くけど、そうでない事だってあるのか、と思いました。



私は、五体満足に産まれてきましたが、子供の時は「不細工(今でも、美人ではありません)」で、男子からブス、ばい菌っていじめられて、「こんなブスになるんだったら、生まれなければ良かった」(子供ですからね!)って、まだ一桁の年の時、本気で思ったものです。。



そう考えると、「自分の可愛いわが子が欲しい」っていうのは、自然な親の願いなんでしょうけど…

ハイリスクになって、「大変な、辛い人生を味わうかも知れない」って分かっていても… 子供を作る、産むっていうのは、子供の為なんだろうか? 「親になりたい」って気持ちだけなんだろうか?


そんな事を考えると、わからなくなってきます。。。


きっと、これって、仮に数年経って妊娠した場合、「羊水検査を受けるか否か」の時に、ぶつかる壁なのかな…とも思いますが。