大樹の木陰で 雨宿り のち 日向ぼっこ

大樹の木陰で 雨宿り のち 日向ぼっこ

お寺で生まれ育ち
普通の家庭に憧れ
宗教から離れ
心理学に出会い
仏教に還る

「人は生まれながらに 

口に斧が生えている。

愚者は悪口を言って その斧で

自分を 断っている」


『スッタニパーダ』

お釈迦様の言葉です。



どこにでも 陰口・悪口を言っている人は

いるものですが、


その人は、「あの人の存在自体がストレス」

というようなことを 言っていました。


これね、本当は [あの人]なんかじゃ

無いんです。

ただの 発言者自身の 自己紹介です。


「私の 存在自体が ストレスです」

そう 言ってるだけなんですね。


その口から出た言葉は 発言者自身の

思考から発せられたものであり

その思考を育成したのは、

自身の経験であり 環境が種となって

いるのです。


その人の ストレスと、

私のストレス

あの人、右隣の人、斜め後ろの人、

ストレスを感じる対象

すべての人が 同じでしょうか?


[一見四水] という言葉の通り

人それぞれ 違いがあって

当然なのです。


発言者が、悪口を言っている時、

この場合、「ストレス」という言葉に

関していえば、

発言者によって 定義されたストレス、

自分だけの法律違反へのストレスを


過去の傷ついた自分を

追体験しながら  


他者の賛同を得るために

さらに記憶を強化したものに

塗り替えて さらに自分は深い傷を

負ったのだと 自分に思い込ませていきます。


それが、お釈迦様の言う

「口の中の斧」

なのだろうと思う 出来事がありました。




周りの人の 反応も見ていましたが、

一人は 苦笑い。

もう一人は、

「それは、答えにくい」でした。


良識のある人たちで 良かったですね。








ゆっくりゆっくり 進んでいます🐢