以前に、私が経験していないことをブログに書いていたころ、そのことを批判する意見を目にしました。
私がそうしたブログを書いていることは決して間違いではないけれど、少なくとも私の意図は伝わっていなかったということになります。そのため、今回はちゃんとそのことを書いてみます。
先に結論を言えば、私は多くの情報を事前リサーチすることで、自分の学習プランを研究していたということです。経験は非常に有用な武器でありますが、当然に限界はあります。自分が経験していなことは全く語れないということもありません。極端に言えば、未曾有のことは誰も経験していなくても、語ることは可能です。それは未曾有の現象を研究するから。
前にブログでも書きましたが、経験が役に立たない時代が来ると言われています。そうした状況で役に立つのは、進行中の社会現象などを研究することに尽きます。学問や論理はそうした研究の入り口でもあります。
つまり、学問やそこから繋がっていく研究とは、未経験の状況で有力な武器になるということ。先人はその有用性に気付いていたからこそ、こうした伝統的な文化を育んできたのでしょう。私が経験していないという論点だけで批判する声に耳を貸さないのは、学問の意義をすっ飛ばした意見であるから。経験は素晴らしい教師ではあるが、経験だけが教師ではない。学問は経験の限界を超えていろんなことを教えてくれます。たとえどんなに素晴らしい経験を積んでも、大学のような高等教育の現場で指導することは難しい。学問の世界には、そんな輝かしい世界があります。