ずいぶん昔の話ですが、
2015年1月のことでした。
2014年9月25日
クリュニー修道院に行った。
塔の入り口を探していると、お店の中で糸をつむいでいる人がいた。いろいろな色の羊の毛をちょっとずつのばしていきながら、ペダルを交互に踏んで、棒に糸を巻き付けていた。面白いので長い間見ていた。しばらくすると、お父さんがその人に塔の入り口の場所を聞いた。その塔に上った。その塔の名前はフロマージュ塔だ。フロマージュとはフランス語でチーズということだ。ぼくは
「なるほど、確かにチーズの色をしている。だからこの名がつけられたのか。」
と思った。けれどそれとは全然関係ないようだった。上まで階段が119段もあった。上から町全体が見渡せた。セントバーナードのお祭りのようで、セントバーナードを連れた人が集まっていた。広場が一杯になるほどだった。降りる時は各階にあった説明を読んだ。でもなんでこんな名がつけられたかはわからなかった。
その後は修道院に入った。五つの塔のうち二つしか残っていなかった。後は壊れてしまったのだ。修道院を見学し終わると、大学の一部を見た。いろんな機械や装置がそこらじゅうにあった。お父さんや大学生に説明してもらったけど、さっぱりわからなかった。
「まあまあ大学生になったらもう一回考えな。」
とお父さんが言ってくれた。
クリュニー修道院に行った。
塔の入り口を探していると、お店の中で糸をつむいでいる人がいた。いろいろな色の羊の毛をちょっとずつのばしていきながら、ペダルを交互に踏んで、棒に糸を巻き付けていた。面白いので長い間見ていた。しばらくすると、お父さんがその人に塔の入り口の場所を聞いた。その塔に上った。その塔の名前はフロマージュ塔だ。フロマージュとはフランス語でチーズということだ。ぼくは
「なるほど、確かにチーズの色をしている。だからこの名がつけられたのか。」
と思った。けれどそれとは全然関係ないようだった。上まで階段が119段もあった。上から町全体が見渡せた。セントバーナードのお祭りのようで、セントバーナードを連れた人が集まっていた。広場が一杯になるほどだった。降りる時は各階にあった説明を読んだ。でもなんでこんな名がつけられたかはわからなかった。
その後は修道院に入った。五つの塔のうち二つしか残っていなかった。後は壊れてしまったのだ。修道院を見学し終わると、大学の一部を見た。いろんな機械や装置がそこらじゅうにあった。お父さんや大学生に説明してもらったけど、さっぱりわからなかった。
「まあまあ大学生になったらもう一回考えな。」
とお父さんが言ってくれた。
2014年9月18日
ちかくのお城を見学に行った。城をきずいたのは、サン・ベルナール・ド・マントンという人だ。その人の名にちなんでセントバーナードという名が犬につけられたという言い伝えがある。
まだそのお城には住んでいる人がいる。だけど、10人ぐらいのグループで決まった部屋を見学させてくれる。
門から入ると今まで見えていなかった城が、いきなりズテーンと建っていた。こんなところにお城があるなんて考えてもいなかった。庭を一周もしないうちに、「次の方どうぞ」と言われたので、入ると井戸のある中庭があった。そこで男の子が説明してくれた。
次に礼拝堂に入った。こんどは誰も来なかった。と思うと、サンベルナールの衣装を着た15歳くらいの子が出てきて、壁や天井に描いてある絵のことを説明してくれた。
次は台所だ。銅のフライパンや鍋がずらーっと30個くらい壁にぶら下がっていた。地下に小さな線路があってその線路で食事を運んでいた。
図書室に入ると、壁は本でいっぱいだった。あとは居間と寝床も見た。
城を出て、先ほど中断した庭の見学を続けた。鶏やクジャクを飼っていた。
ちかくのお城を見学に行った。城をきずいたのは、サン・ベルナール・ド・マントンという人だ。その人の名にちなんでセントバーナードという名が犬につけられたという言い伝えがある。
まだそのお城には住んでいる人がいる。だけど、10人ぐらいのグループで決まった部屋を見学させてくれる。
門から入ると今まで見えていなかった城が、いきなりズテーンと建っていた。こんなところにお城があるなんて考えてもいなかった。庭を一周もしないうちに、「次の方どうぞ」と言われたので、入ると井戸のある中庭があった。そこで男の子が説明してくれた。
次に礼拝堂に入った。こんどは誰も来なかった。と思うと、サンベルナールの衣装を着た15歳くらいの子が出てきて、壁や天井に描いてある絵のことを説明してくれた。
次は台所だ。銅のフライパンや鍋がずらーっと30個くらい壁にぶら下がっていた。地下に小さな線路があってその線路で食事を運んでいた。
図書室に入ると、壁は本でいっぱいだった。あとは居間と寝床も見た。
城を出て、先ほど中断した庭の見学を続けた。鶏やクジャクを飼っていた。
2014年6月20日
木曜日の朝、6時に臨海学校に出発した。ぼくのトランクは一番小さかった。みんなのは、僕のの2倍ぐらい大きかった。13時間もバスに乗っていたので窮屈だった。オレリー先生が
「次郎は飛行に毎年乗っているから慣れているでしょう。」
と言ったけど、それでも窮屈だった。
向こうに着くともう夜の7時だったので、ご飯を食べて歯を磨いて寝た。次の朝は先生が7時に起しに来てくれた。朝食をとった。トランクの中身を全部棚にしまった。
今日はヨットカーに乗る。
バスで海辺に着いた。おじさんが運転の仕方を教えてくれた。とても簡単だ。速く進むには帆についてる縄を引っ張る。遅く走るにはちょっとしか引っ張らなくていい。右に曲がるには左のペダルを、左に曲がるには右のペダルを踏めばいいだけだ。ブレーキはない。これは変だ。後ろにも進めない。
あまり風がなかった。だからスタートの前の5メートルはクリストフ先生が押して勢いをつけてくれた。最初はビビッて、
「はやっ」
と、小さな声で言ってしまった。速く行き過ぎて前のタイヤが上がり、後ろにひっくり返りそうになったことが1回あった。中ではレーシングカーに乗っている気分になる。コースはカーブが激しかった。帆についている縄をきつく持っていると、帆の勢いで吹き飛ばされそうだった。曲がる時は帆が急に回転するからだ。
新幹線のように速くて楽しかった。こんな機会があって、ぼくは幸運だなと思う。
2014年6月22日
昨日は、「みなみ」というレストランの前で、阿波踊りとソーラン節と炭坑節を踊った。フェット・ド・ラ・ミュージック、日本語では「音楽祭」だったからだ。
踊る前に、「みなみ」のレストランのご主人大島さんがカレーライスをご馳走してくれた。4回もお替りをした。ちょっと辛くて、とてもおいしかった。
その三つをレストランの前で2回踊った。お客さんが向かいのレストランのグラスを二つ割ったので、
「他の所で踊ってください。」
と、言われた。
仕方なく、阿波踊りの流しをすることにした。ぼく達は、みなみの前の道を踊りながら進んでいった。みっちゃんがスピーカーを持って、かいと君が寄付をもらいながら踊った。最後は腕が痛かった。ずっとあげていたからだ。
みんなと別れる前に、アイスクリームをみんなで買って食べた。ぼくは、マロングラッセと牛乳の花の味のを買ってもらった。甘くておいしかった。
昨日は、「みなみ」というレストランの前で、阿波踊りとソーラン節と炭坑節を踊った。フェット・ド・ラ・ミュージック、日本語では「音楽祭」だったからだ。
踊る前に、「みなみ」のレストランのご主人大島さんがカレーライスをご馳走してくれた。4回もお替りをした。ちょっと辛くて、とてもおいしかった。
その三つをレストランの前で2回踊った。お客さんが向かいのレストランのグラスを二つ割ったので、
「他の所で踊ってください。」
と、言われた。
仕方なく、阿波踊りの流しをすることにした。ぼく達は、みなみの前の道を踊りながら進んでいった。みっちゃんがスピーカーを持って、かいと君が寄付をもらいながら踊った。最後は腕が痛かった。ずっとあげていたからだ。
みんなと別れる前に、アイスクリームをみんなで買って食べた。ぼくは、マロングラッセと牛乳の花の味のを買ってもらった。甘くておいしかった。
2014年6月11日 水曜日
この間、A家と山登りに行った。滝がいっぱいある山だった。
登りは普通に登った。上に着くと原っぱでお弁当を食べた。帰りはいろんな滝で水浴びをしながら下りた。
一番上の滝の水は、凍っているように冷たかった。5秒以上入っていると、体中がしびれてきた。
「つめたーい」
と言いながら、ちょっとずつ入っていった。お母さんは、そんなに冷たいことも知らずに
「はやくはやく」
と急き立てていた。
一番面白かった滝は、一番下の大きな滝だ。滝の水は3メートル以上の高さの所から落ちてきていた。真ん中に行くと、背中に水が勢いよく落ちてきて痛かった。ぼく達はすごく滑る急ででこぼこの岩の所に立っていた。時々水が溜まっているところがあった。深いところは僕の腰までいっていた。その岩の上で滑ったり登ったりして遊んだ。水がちょっと冷たかったので、とても気持ち良かった。