世界史ですよ!!

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歴史をさかのぼってますよはおいしいですよ。

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概論→細論の順番ですよー(´∀`)
最近どこまで続けられるか心配になってきました~。
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4、イスラム文化

 イスラム文化はイスラム教とアラビア語を基礎に、ギリシア・ローマ・イラン・インドの先進文明を融合し、諸民族の多彩な文化を織り込んだ独自の世界文化であり、中国や西ヨーロッパにも大きな影響を与えた。ギリシアのアリストテレス哲学や、ヘレニズムの諸科学もイスラム教徒によって継承され、西ヨーロッパ中世のスコラ哲学や、ルネサンス文化の発達を促した。
3、北アフリカ・イベリア半島のイスラム諸王朝

 10世紀にはシーア過激派ファーティマ朝がアグラブ朝を滅ぼし、チュニジアに建国してカリフを称し、エジプト・シリアを征服して首都カイロを建設した。後ウマイヤ朝も対抗上カリフを称したから、ここに3カリフ国分立の形勢が生じた。

 エジプトでは12世紀末スンナ派のアイユーブ朝がファーティマ朝を滅ぼし、十字軍と戦ってイェルサレム王国を滅ぼし、 第3回十字軍を破った。13世紀なかばにマムルーク朝が国を奪い、エジプト・シリアを支配してモンゴル帝国の分国であるイル=ハン国の西進を阻止し、十字軍の残存勢力を追って地中海貿易と文化の繁栄を誇ったが、16世紀初めオスマン=トルコに滅ぼされた。

 11世紀には北西アフリカのベルベル人のイスラム化が急激に進み、とくにモロッコのムラービト朝は西スーダンの黒人王国ガーナ王国を滅ぼすとともに、イベリア半島にも進出したキリスト教徒の南進に反撃した。12世紀にムラービト朝を滅ぼしたムワッヒド朝もイベリア半島に進出したが、キリスト教徒に敗れて撤退した。この間、半島にはキリスト教諸国が発展し、13世紀以来半島南部に繁栄したイスラムのナスル朝が、15世紀末スペインに滅ぼされると、8世紀以来のイスラムの半島支配を終わりをつげた。
2、アッバース朝の衰退とイスラム世界の拡大

 9世紀には東アジアで唐が衰え、西欧ではフランク王国が分裂し、南アジアではインドが長期の分裂をつづけており、西アジアではアッバース朝が文化の盛期を迎えつつ政治的には衰期に入った。アッバース朝の衰退はイラン人・トルコ人・モンゴル人・ベルベル人その他の諸民族がイスラム教を受容しつつ、また諸地域の先進文明を吸収しつつ独自の民族的発展をとげていく、イスラム世界の分裂と発展と拡大の過程であった。

 9世紀にはイラン高原にイラン系軍事政権が独立し、ついで中央アジアを中心にイラン系のサーマン(サーマーン)朝が成立して中央アジアに西進したトルコ系諸民族のイスラム化を促した。10世紀にイラン高原におこったシーア派のブワイフ朝はバグダッドに入城してカリフを圧迫し、イスラム帝国における武家政治の端をひらいた。

 9世紀にはモンゴル高原のトルコ系ウイグルが四散し、正装してイラン系住民の地であったタリム盆地、中央アジアをトルコ化するとともにイスラム教をうけいれた。以後中央アジアにトルコ=イスラム諸族が建国して西南アジア・北アフリカヨーロッパに西進し、また南進してアフガニスタン・北インドに入り、各地に諸王朝が興亡した。

 中央アジアには10世紀にカラハン朝、、11世紀にセルジューク=トルコ、ホラズム(コラズム)、アフガニスタンには10世紀にガズナ朝、12世紀にゴール朝が成立した。

 11世紀半ば、セルジューク=トルコはバグダッドに入城してブワイフ朝を倒し、カリフからスルタンの称をえて武家政治をおこない、小アジア・シリアを含む西アジアを支配したが、十字軍とホラズムの攻撃で12世紀に分裂した。

 11世紀以後、ガズナ朝、ついでゴール朝は北インドに南進してイスラム教を強制し、13世紀にはゴール朝の部将が北インドに独立して奴隷王朝をたてた。ここに7世紀後半以来の北インドの分裂が終わるとともに、以後北インドにハルジー朝・トゥグルク朝・サイイド朝・ロディー朝の5つのいイスラム軍事政権(デリー=スルタン朝)が交替し、16世紀にはムガル帝国成立した。

 13世紀に奴隷王朝が成立した年に、チンギス=ハンがモンゴル高原を統一し、西進して中央アジアのホラズムを滅ぼし、西北インドにも侵入した。その一族は13世紀にアッバース朝を滅ぼして西アジアにイル=ハン国、中央アジアにチャガタイ=ハン国をたてイスラムに改宗した。

 14世紀末、元が明に滅ぼされた直後、中央アジアにモンゴル=トルコ系のティムール帝国がおこり、チャガタイ=ハン国・イル=ハン国を滅ぼして西アジアを統一し、発展途上のオスマン帝国に大打撃を与え、15世紀前半全盛期を迎えたが、1500年、中央アジアのトルコ系ウズベク族の南下で滅んだ。ティムール帝国は西アジア最期の統一王朝であった。16世紀以後西アジアは分裂し、中央アジアにはウズベク族の諸ハン国、イランにはイラン系のサファヴィー朝、その西にはオスマン=トルコ帝国が並立し、また南アジアにはティムールの子孫がムガル帝国を樹立した。
1、イスラム世界の成立と発展。

 6世紀、西欧中世キリスト教世界がようやく始動期に入ろうとしていたころ、そおの東方ではシリア・イラクの北部をめぐり、キリスト教を奉じる東ローマ帝国ゾロアスター教を国教とするササン朝ペルシアとの抗争が激化した。両国の抗争により東西貿易の陸上幹線路が荒廃したため、アラビア半島西岸(紅海路)と北方のシリア地方とを結ぶ隊商活動が活発となり、メッカは中継貿易、偶像崇拝と巡礼の中心として繁栄し、大商人が富と権力を独占した。
 
 7世紀初め、メッカマホメットユダヤ教やキリスト教に接して、アッラーの一神教であるイスラム教を創始した。預言者として人間平等を説き、大商人の利己主義と偶像崇拝を非難して迫害され、622年北方のメジナに移ってイスラム教団国家をたて、その死までに半島をほぼ統一した。

 次の正統カリフ時代にはマホメットの後継者(カリフ)が選挙され椅子らm京都の指導権をにぎり、東ローマ帝国からエジプト・シリアを奪い、ササン朝ペルシアを滅ぼしてイスラム帝国の基礎を固めた。

 7世紀後半、第4代カリフの暗殺後、シリアを拠点にウマイヤ朝が成立してカリフは世襲制となり、異端派のシーア派がうまれて正統派のスンナ派と対立した。8世紀には西は北アフリカからイベリア半島、東は中央アジアから西北インドを征服して3大陸を支配し、西欧のフランク王国や、東欧・小アジアを支配する東ローマ帝国を包囲する形勢となった。この時代にはアラブ人第一主義が強化され、イスラム化した被征服民の不満が高まった。

 8世紀半ばシーア派を利用してウマイヤ朝を倒したアッバース朝はイラクを拠点に8世紀末極盛期を迎えた。カリフは神格化され、イスラム教徒イスラム法に基づく中央集権的官僚国家のもとでイスラムそ民族の平等が実現され、ジズヤ(人頭税)は異教徒税となった。農業や都市・商工業も栄えイスラム商人は地中海・インド洋を内海として西は大西洋岸、東は中国、北はロシア、南はアフリカ南部まで活躍した。9世紀後半、とくに10世紀からアッバース朝は衰期に入ったが、イスラム文化や商工業は諸民族にひきつがれて発展を続けた。

 他方、ウマイヤ家は8世紀後半のイベリア半島に後ウマイヤ朝を再建し、10世紀に全盛期を迎えたが、11世紀には分裂し、以後キリスト教徒の国土回復運動(レコンキスタ)が進んだ。
アーンドラ王国(サータヴァーハナ朝、前3~後3C)…1~2C中心。帝政ローマとの貿易(モンスーン利用)→香料輸出。バラモン教繁栄、カースト制復活→「マヌ法典」編纂ナーガールジュナ(竜樹)大乗仏教教義確立
②チャールキヤ朝(6~12C)…デカン高原中心。ヴァルダナ朝(北インド、7C前半)・パッラヴァ朝(南インド、3~9C)と抗争。
チョーラ朝(9~13C)…チャールキヤ朝と抗争。南インド統一→セイロン征服。シュリーヴィジャヤ王国遠征(11C)
1、マウルヤ朝(317~180B.C.)…孔雀王朝。首都パータリプトラ最初の統一王朝
チャンドラグプタアレクサンドロス大王軍撤退後の混乱に乗じてマガダ国(ナンダ朝)を滅ぼす。西隣のセレウコス朝シリアと通好。
アショーカ王(268~232B.C.)…大領土統一。第3回仏典結集。石柱碑・磨崖碑。セイロン布教

2、クシャーナ(クシャン)朝(1~3C)…貴霜王朝
①イラン系クシャーナ続…大月氏国より中央アジアに独立→西北インド支配。
カニシカ王(130~170ごろ)…首都プルシャプラ(現ペシャワール)。大領土統一→パルティア・後漢と接す。第4回仏典結集ガンダーラ美術発達
③大乗仏教の成立…菩薩信仰中心衆生救済を目標ナーガルジュナ→教義大成。経典→サンスクリット語
北伝→中央アジア・中国(1C)・朝鮮(4C)・日本(6C)・ヴェトナム・ジャワ・チベット(ラマ教)・モンゴル(ラマ教)。
ガンダーラ美術…ギリシア的手法による仏像彫刻。インド・イラン・ギリシア文化融合を背景。西域をへて北伝。
⑤小乗仏教(上座部仏教)…戒律重視自己一身の解脱を目的。経典→パーリ語。南伝→セイロン(前3C)・ビルマ(11C)、タイ・カンボジア(13C)。

3、グプタ朝(320~550ごろ)…首都パータリプトラ。ガンジス中流域に台頭。
①北インド統一…チャンドラグプタ1世。チャンドラグプタ2世(超日王)→最盛期→東晉僧法顕法印(399~412)→「仏国記」。エフタルの南下(5~6C)により衰退。
②グプタ文化…インド古典文化完成→サンスクリット文学黄金期。
ヒンドゥーの成立…バラモン教に民間信仰・仏教・ジャイナ教加味。「マヌ法典」完成。
仏教・ナーランダ僧院創設→教義研究の中心。グプタ式美術(インドの美)アジャンタ・エローラの窟院→雲崗窟院(北魏)・法隆寺に影響。

4、ヴァルダナ朝(7C前半)…首都カンヤクブジャ(現カナウジ)→ガンジス川上流。
ハルジャ=ヴァルダナ(戒日王 7C前半)…北インド統一。仏教保護。唐僧玄奘訪印(629~645)→ナーランダ僧院で研究→「大唐西域記」。
②王の死後分裂(数百年間)…イスラム教徒の侵入(8C~)。唐僧義浄訪印(分裂期、、671~695)→「南海寄帰内法伝」。
①パンジャブ地方侵入…カイバル峠(ヒンドゥークシ山脈)経由馬と戦車使用。自然崇拝の多神教。
②ガンジス流域進出(1000B.C.)…ラージャ(王の称号)→小都市国家群。鉄器普及。
カースト制…4種性→バラモン(祭司)・クシャトリア(武士・貴族)・ヴァイシア(庶民)・シュードラ(賎民)。
バラモン教…聖典「ヴェーダ」→サンスクリット語で“知識”の意。最古のヴェーダ→「リグ=ヴェーダ」。祭式万能主義。ウパニシャッド(奥義書)哲学→梵我一如による解脱。
③十六国王国時代(700B.C.~)…都市国家群統合進展→マガダ国・コーサラ国強大化(前6C~)。
④宗教革新運動(500B.C.前後)
仏教…ゴータマ=シッダールタ(釈迦牟尼・仏陀)無常観カースト否定(平等と慈悲)八正道の実践による解脱。クシャトリヤ支持
ジャイナ教…ヴァルダマーナ(マハーヴィーラ)。極端な苦行・不殺生。ヴァイシャが支持
⑤マガダ国(ガンジス川下流)…コーサラ国(中流)を併合(前5C)。仏教・ジャイナ教保護。
1、インダス文明
 現在のパキスタンの東部をしめるインダス川流域には、メソポタミア文明の影響をうけて、農耕・牧畜を基礎とし、青銅器をもつ都市文明が成立した。
 インダス文明(2500~1500B.C.ごろ)の担い手は、現在南インドに分布するドラヴィダ人と推定され、代表的遺跡はインダス川上流のパンジャブ地方のハラッパーの遺跡、下流のモヘンジョ=ダロ(死者の丘)の遺跡があり、いずれも1920年代に発見された。
 レンガ造りの整然たる都市計画をもつが、壮大な神殿や王宮はなく、彩色土器・印章、未解読の象形文字(インダス文字)が出土しており、すでに牛の崇拝が認められる。
 インダス文明はアーリア人の侵入によって滅ぼされた。大洪水により滅亡との説もある。

2、インドの古典文明
 アーリヤ人は前1000年ごろガンジス流域に拡大して自然崇拝の多神教バラモン教とヴァルナ(カースト制度)とをうんだ。前6世紀ごろからマガダ国・コーサラ国が台頭したが、バラモン教の祭式万能主義への批判が高まり、前5世紀ごろカーストを否定し救済の平等をを説くゴータマ=シッダールタの仏教や、ジャイナ教が成立した。
 前4世紀末アレクサンドロス大王軍侵入の混乱に乗じてマウルヤ朝の統一がなり、前3世紀にはアショーカ王が南インドを除くインドを大統一し、仏教をセイロンに伝えた。
 1世紀には中央アジアの大月氏国からクシャーナ朝が独立して西北インドを支配した。2世紀のカニシカ王の保護のもとで大乗仏教とガンダーラ美術が発達し、ササン式美術とともに中央アジアをへて中国・朝鮮・日本などに伝播した。これをヘレニズムの東漸という。小乗仏教は東南アジアに南伝した。南インドにはドラヴィダ系のアーンドラ朝が北インド統一したが、6世紀に中央アジアからエフタルが南下して衰え、7世紀前半ヴァルダナ朝が統一を回復した。グプタ時代はインド古典文化の復興完成期で仏教も隆盛であったが、バラモン教を母体とするヒンドゥー教が主流となった。
1、国際平和運動。
①世界平和擁護大会(1949)…ストックホルム=アッピール(スウェーデン、1950)→核兵器禁止を提唱。
パグウォッシュ会議(1957)…カナダで開催。ラッセルアインシュタイン提唱→科学者による核兵器禁止の国際会議。

2、核兵器管理問題。
①核保有国の拡大…ソ連の原爆保有宣言(1948)→原爆実験(1949)。英(1952)、仏(1960)、中(1964)、インド(1974)。
②核兵器管理問題。
部分的核実験停止条約(1963)…米英ソ3国で調印。仏・中→大国の核独占を非難して不参加。
核拡散防止条約(1968)…国連総会で採決→発効(1970)。非核保有国の核兵器保有を禁止→仏・中は未調印。
INF(中距離核戦力)全廃条約調印(1988)…レーガン・ゴルバチョフ


第一次世界大戦から第二次世界大戦を経て70年代近くまできました。

3、アフリカ諸国…1990年現在の独立国52ヵ国。
①第二次世界大戦前の独立国…エチオピアリベリア(1847)、エジプト(1922)。
②北アフリカ4ヵ国の独立。
リビア独立(1951)…旧イタリア領。王国として独立。クーデタ(1969)→共和国樹立。
ガダフィ政権→社会主義とアラブ統一をめざす。
モロッコ独立(1956)…フランス、スペインから独立→王政。
チュニジア独立(1956)…フランスから完全独立。
③ブラック=アフリカの独立。
ガーナ独立(1957)…英から独立。初代大統領エンクルマ→パン=アフリカ主義の指導者→クーデタで失脚。
ギニア独立(1958)…フランスから独立。初代大統領セク=トゥーレ
④アルジェリア戦争(1954~62)…フランスっ最古の植民地。
アルジェリア民族解放戦線(FLN)結成(1954)…フランスとフランス系移民(コロン)の支配に抵抗→第四共和政動揺。
ド=ゴール政権復活(1958)…アルジェリア問題解決を課題→第五共和国憲法制定(1958)→大統領就任(1959)。
エヴィアン協定(1962)…停戦協定成立→アルジェリア独立承認。
”アフリカの年”(1960)…年内に17ヵ国が独立→国連加盟。
コンゴ共和国独立(1960)…ベルギーより。首都レオポルドビル。
コンゴ動乱(1960~65)…独立直後、反白人暴動。ベルギー侵入→国連軍出動(米が支援)→内戦→ルムンバ首相虐殺→親米派軍事政権成立。
ザイール共和国(1971)…国名改称。首都名改称→キンシャサ。
ナイジェリア独立(1960)…イギリスより。東部州がビアフラ共和国の分離独立を宣言(1967)→ナイジェリア内戦→英ソの介入でビアフラ軍壊滅。
⑥南アフリカ共和国。
南アフリカ連邦の成立(1910)…英の自治領。第二次大戦後アパルトヘイト強化
南アフリカ共和国の独立(1961)…差別維持のため英連邦より離脱、独立。
ナミビア問題…旧ドイツ領。第一次大戦後、南阿連邦の委任統治領。第二次大戦後、国連信託統治領。南阿連邦→一時的に併合(1949)→アパルトヘイト強化。内戦→独立達成(1991)。
アパルトヘイト破棄(1991)…デクラーク政権。アフリカ民族会議(ANC)→ネルソン=マンデラ指導→黒人解放運動推進。
⑦ローデシア問題。
ローデシア(南ローデシア)→英より一方的独立宣言(1965)→アパルトヘイト推進。
ジンヴァブエ(ジンバブエ)共和国(1980)…黒人急進派が総選挙で大勝→ムガベ大統領就任→黒人多数支配実現。
⑧ポルトガル領植民地の独立…ポルトガル政変を契機。ギニア=ビサオ独立(1974)、モザンビーク独立(1975)、アンゴラ独立(1975)→内戦。
⑨エチオピア革命(1974)…首都アジス=アベバ。エチオピア人→セム系。
ハイレ=セラシエ皇帝(1930~75)の独裁…軍部クーデタ→皇帝廃位→社会主義宣言。
エリトレア(エリトリア)解放闘争激化…旧イタリア領。エチオピアが併合(1962)→エリトレア人民解放戦線のゲリラ闘争→エチオピアの反政府勢力支援→政権打倒(1991)。