震災の記憶を絵にした 3 原発 | ボランティアがんばっしょ

震災の記憶を絵にした 3 原発

3月12日  山形県新庄市にて

夜が開けて石油コンロで調理した朝食を済ませた後、ガソリンを給油するためにスタンドに向かった。まだ停電から復旧しておらず、給油量も20ℓに制限されていた。10分か20分順番待ちをしたが、帰るころには1km以上の列になり運が良かった。

快晴の中近所歩いて見て回ってみると、水道管が破れて水浸しになったアンダーパスや、スーパーの前に並ぶ人が沢山居た。

暖房も使えないので日光で部屋を暖めた。それでもコートなど必要だった。ウォークマンにFMラジオが付いていたので、FM山形を聞いていた。番組では、山形でもあちらこちらから停電が解消されて行く様子が聴取者の投稿から分かった。その途中、福島第一原子力発電所に関するニュースが流れた。冷却が出来なくなっているとその時知る。どこかの大学の教授が「もうどうにもなりませんよ」と投げやりなかんじでアナウンサーに言った後に音声がフェードアウトしていった。

夕方、電力が復旧したときに見たテレビでは原発の事を放送していた。線量が少しずつ上がってきていると知る。気休め程度にしかならないが、昆布を食べる事にした。日本で安定ヨウ素剤が必要になる日が来るとは思いもしなかった。ラジオ