色んなたくらみごとってものはあるようで。
政治・国家レベルのものから
会社の中、学校の中、
男女のものまで。
日本人は、
自分の頭で物事を考えようとしない人が
どうしてこうも多いのかと
憂いてしまう。
どんな時事的な問題も
誰かの思惑でマスコミ報道されているかと
疑うこともなく色んな議論をなされる。
前提から間違ってる。
第一次世界大戦や第二次世界大戦のときと
まだ、そう変われてはいないんだなぁって思う。
鎖国していたころとも、そう変わってないのかもしれない。。
そう、だって、ついこの間のことなんだもんね。。。
日本は神の国だと信じ込んだり
天皇陛下は神様だと思ったりしていたのって。
まだ、遠い国では日本人は着物を着て、刀を持ってると思われてるのとおんなじで。
私は日本が大すきだし日本人ほど、まじめで誠実な国民性はないと思ってる。
でもね
でも・・・
一方的な報道や噂話で
自分はなにも確かめたり情報を得ようとさえせずに
すべてを鵜呑みにして信じ込んでしまうのはどうだろう。
俯瞰 (ふかん) という言葉がある。
俯瞰して物事を見る目が大事だと
この日本で本当にわかっている人はどれくらいいるだろう。
私の友人たちは・・
俯瞰して物事をみれたり
自分で物事を判断できる人が
比較的多いと、私は思ってる。
でも、きっと、まだまだだと思うわ。
私も、そう、おんなじ。
なかなか 俯瞰して物事をみることができない。
ありんこが、行列をなしてくるくるとエサを運んでる
それが正しいと信じて。
でも、それが、誰かに操作された道をたどっているだけでも
俯瞰して見れてないから
同じ道をくるくる回っていても気がつかない。
間違った道だと思ってないから
景色が変わらず、ずっと同じ景色だということに気がつきもしない。
大きなウワサや方向性にみんなが囚われているときは・・
ちょっと斜めからそれを見るクセをつけてはどうか。
「?」
とちょっとでも疑問があれば
立ち止まって、そうじゃないかもしれないと
思うクセをつけてみようじゃない。
そして、どうしてもそれが気になるならば
確認をしていこう。
それが自分に誠実な生き方だと、私は思う。
?って思った自分に誠実なんだと思う。
誰かやみんなの意見に流されることなく
自分の心のうちを見つめてみよう。
日本人は、正義とか、忠義とか大事にするけど
それはそれで大事だけれど
間違った正義、間違った忠義は戦争をも引き起こすということを
忘れてはいけないと思う。
今、日本は試練のときにあると思う
中国という、異質な文化を前に
もっともっと強くならなくっちゃいけないときがきているんだ。
情報を疑うということをしてみよう。
流されることなく
自分の目、心で捉えてみることも
時には大事だということを
もっと気がつくべきだと思う。
どんな事件も、どんな出来事も
みんなが同じ方向に向かわせられるときは
「誰がそれで得をするのか」
「何かを隠蔽しようとして、違う問題がクローズアップされてるんじゃないか」
ということを考えると
ちょっと見えてくることもあるかもしれない。
と思う今日この頃のみゆきですた。