震災から5週間。




春。なんですね、もう。



私にとっても実に5週間ぶりの休みに、今日は予定を決めてました。

春を探しに。

そして、今を探しに。




震災後、色んな現状に心痛め、涙することがあったが、その中でもとりわけ、考えさせられるものがありました。


津波に巻き込まれて亡くなられた方を発見したとき、その人が大事そうに抱えていたものが、家族のアルバムだった、というもの。


非常用持ち出し袋のようなものではなく、現金、でもない。

皆、着の身着のまま、命からがら逃げ出す中で、これだけは!と、とっさに抱えたアルバム・・・。

その人にとっての家族の大切さが痛いほど伝わり、言葉にならない気持ちがこみ上げる。



私にとって、写真とは、、趣味というにもおこがましいほどのものではあるが、それでもその一瞬一瞬を切り取った大切な思い出を忘れないために、そして、今を精一杯生きるためにも、自分の中でちゃんと向き合っていきたいものだと改めて思った。


『あなたが生きている今日は、誰かが生きたかった今日だ』

そんな言葉を昔聞いたことがありますが、今になってこれほどまでに突き刺さる言葉になろうとは。。。





地震も津波も、余震にも影響のない場所からは、何の慰めにもならないかも知れないけど、私はこの震災から感じたことを決して忘れちゃいけないと思う。

この事実を、そして自分が感じた気持ちを風化させないためにも、

『今を生きる』


色んな意味でね。

力一杯生きたいと思う。






で、こちらにも訪れていました春を切り取ってきました。




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こちらの冬は、数十年ぶりかの豪雪に見舞われて、正直、これほどまでに雪が恨めしく思ったことはありませんでした。

家がつぶれそうになる恐怖に怯えながら、1階の窓ガラスが積もった雪で割れてしまわないか、こまめに雪かきをし、降り続ける雪、鉛色の空を見上げながら、このまま春がやってこないんじゃないか…なんて思うくらい不安な時を過ごしていましたが、、ちゃんと春はやってくるのですね。

当たり前とは言え、来てくれた春に感謝!






福井も戦後間もなく、大地震に見舞われて、復興は絶望とまで言われた街なんです。

地震の震度計に震度7が出来たのは、実は福井地震が始まりというのは、あまり知られていませんが、そんな街も(発展こそしてませんが)ちゃんと、復興を遂げた。




いつか、被災地にも本当の意味での春がやってきますように・・・


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テレビでも映し出されていますが、やはり現地は凄まじいそうです。。。




緊急消防援助隊で向かったこちらからの応援隊も、現地の惨状に対しては、とても歯が立つものではないと。


今朝、第2陣が出発し、第3次、第4次と、続々と人選がなされてます。






今回のメンバーには、私のバディーでもある同期がいる。


「署の業務は頼んだよ。」と電話が来た。


「んなこた任せろ!」と電話を切ったが、やはり現地の人々を思うと、応援隊に声が掛からない自分の状況がこの上なくもどかしく感じた。。


以前にも、自分達の町が激甚災害に遭った時、現場活動をさせてもらえない自分の境遇を嘆いたことがあった。


男手の仕事にとって、女手ほど頼りにならないものはない。それが現実だからだ。




でも、誰かが現地へ向かうということは、別の誰かはこの町を守らなくちゃならない。


私にはその使命があるんだと、ひ弱で非力で微力だと自覚しながらも、そう思っている。










私に出来ることは本当に情けないほど些細なことですが、まずは募金をさせてもらった。


欲しいものを一つ我慢したつもりで。












前記事にも書いたが、有難いことにこちらは、地震による影響は全くなく、皆、普段通りの生活を送っている。




お日様は春らしい暖かい日差しをくれる。


学校のグラウンドでは子供達が元気に走り回ってる。


買い物に行けば、買いたいものが売っていて、温かいご飯を食べれてる。


温かいお風呂に入って、温かい布団に入れる。


いつもどおりの家族の笑顔を見れる幸せ。




こんなあたりまえ過ぎる日常を一瞬で奪われるなんて・・・










被災地へ向かう同期に、メールを送った。


「まずは、どうか無事に帰ってきて欲しい。救助活動は心身ともに厳しいと思うけど、被災した人たちは計り知れないほどの辛さがある。何も出来ない自分達に苛立つこともあるかもしれないけど、私の思いも託したから、しっかり任務を全うして欲しい。」と。




私はきっと現地へ行っても、人一人抱えられない非力さなので、使い物にはならないけど、それでも、希望を捨てずに、また絶望の中でも必死に生きようとする人たちの何かしらの力になりたいと思ってる。ささやかながらそれは、『声かけ』だと思ってる。


救助隊は、現場(救助)のプロではあるけど、技術ばかりを求めがちでソフト面がおろそかになりがちだから、現地では、極力、被災者の方に優しい言葉をかけてあげて欲しい、ともお願いした。


普段はぶっきらぼうで、優しさのかけらも見せないような同期だけど、それは、私の思いでもあるから、と。








10年来の同期に私の思いも託したところで、被害がもうこれ以上拡大しませんように。


そして被災者の皆さんが一日も早く元気になってくれますように。。。








遠く福井から、ただただ願います。

久しぶりのブログですが、矢も盾もたまらずPCに向かってます。


皆さん、、地震の影響は大丈夫でしょうか??


あの凄まじい地獄絵図は、、、同じ日本とは思えない惨劇で、どうにもこうにも胸が詰まる思いでいっぱいです。



私の職場からも、7隊が応援で被災地へ向け、昨日出発しました。

で、つい今しがた、被災地に到着したと先輩からのメールを受けました。

活動は明日の日の出からで、活動場所は壊滅的被害を受けている陸前高田市。

悲しいかな、救助活動とは名ばかりで、、遺体回収が主な活動とのこと。


話を聞けば聞くほど、胸が引き裂かれる何とも言えない思いに駆られ、自分の無力さを感じずにはいられない。




幸いにしてここ福井は、当時の震度も2~3程度で、非番で家事に勤しみながら付けっぱなしにしていた『ミヤネ屋』から情報を知ることとなった私ですが、幸いであるが故に、どうにも行き場のない気持ちでいっぱいで…。




だけど、こっちは大丈夫だからといって、自分が被災地へ赴かないからといって、決して手放しで喜べるものではない。

まだまだ予断は許さない現状だし、立て続けに起こっている地震からも、明日は我が身かも知れないと、緊張感は緩まない。


むしろ何も出来ない自分に苛立つだけ。



だけど、壊滅的な惨状を目の当たりにしつつも、手を取り合い、助け合っている現地の方々の姿がテレビに映されると、こちらの方が逆に元気をもらってしまう。与えなければならないのはこちらの方なのに。


そんなことを思っていたら、気付けば半年以上ぶりにPCに向き合ってました。







今回の災害による復興を心からお祈りします。







(お正月、年賀状を下さった方、ありがとうございました。

いつか、シーズンが始まる前には、何かしら無事を伝えようと思っていましたが、こんな形でブログでの生存報告ごめんなさい。)