オオルイ コード

オオルイ コード

世界中の様々な地域の医療問題に取り組む国際医療支援団体Future Codeで代表を務める医師 大類のブログです。日本の文化から、また活動を通して途上国の現場から感じたことや、経験から思うところを綴ります。

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お久しぶりです。随分と長い間、このブログも休んでいました。
不定期連載と堂々と宣言していた通りで。
 
言い訳すると、いろいろと忙殺されてましたが、実は今、西アフリカのブルキナファソという国で過ごしています。
この国は世界の最貧国の一つであり、最貧国の集まる西アフリカの中でもなかなかに厳しい環境にある国です。
 
しかしながら、この場所の生活の紹介と共に、私も忙殺されていたからこそ、ここにいることでいろいろと思い出されること、感じることは多く、ぜひこれを書き記したいという思いに駆られました。少し長文ですが、是非。

ブルキナファソ。その首都ワガドゥクから離れ、今私は地方の小さな町の病院に勤務しながら過ごしている。

ここには本当に何もない。電気も十分でないし、上水道も下水道もない。

ここでの休日の楽しみと言っても、特に観光できるものはない。皆でワニのいる溜池を一時間以上も歩いて見に行くことなどで、別に特別な景色というわけでもない。

そしてひたすらにアフリカの太陽は暑く、体力に自信があっても楽ではない。

 

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ここは町一番の商店街。ある程度ここで暮らすためのものはそろうが、もちろん首都まで行かなければ電化製品などはあまり買うことはできない。
 
 
ここが我が家だ。家での生活も、毎日、日が昇ってしばらくしてから、バケツで外の水場に水を汲みに行くところから始まる。
扇風機がなければ、もしくは電気がないときなどは夜も耐え難い暑さであり、汲んできたこの水で水浴びをした直後だけが涼しく、快適さを感じる一瞬がある。
 
ただいくら暑かったとしても、どれほど寝にくかったとしても、不思議と疲れ切れば自然と眠ることができる。
 
 
少し汚い話かもしれないが、トイレも日本から見れば難しい。
もちろんこの町のインフラのレベルでは水洗などではなく、家の外に共同トイレがある。
 
 
そして床に開けてある小さな穴にうまく落ちるように用をたす。
これが意外に難しい。
あまり人生でこの小さな穴を狙って落とすという経験をすることはなかったからで、この技術の習得には多少時間がかかる。
正鵠を得る、ことはなかなか難しいものだ。
しかしこの技術を磨いても日本で使うことはまあないだろうが。
 
そして何度かこのトイレを使っている中でわかるのだが、壁に張り付いているゴキブリの群れに驚く必要はなく、日中はいたっておとなしいということが分かる。
 
 
毎日夕方に自宅に帰って、この大地に少しづつ太陽が沈んでいく様を眺めながら闇が訪れるまでを過ごす。
いろいろな思い出をぼぅーっと考えてみたり、日本はどんな感じなんだろうか、と想像してみたり。贅沢な時間かもしれない。
 
あまりインターネットも通じないため、何かに追われることもなく、例え連絡があったとしても、ここで何かを焦っても、この場所以外の外の世界に対して何もできることはなく、何の意味もない。
 
こんな調子で毎日が過ぎていく。
ここだけを見ると、私の生活も面白いものもなく、貧しいばかり、苦しいばかりに聞こえるかもしれない。
 
しかし、実際そうではない。
 
 
それはこの地に住む人たちがいるからだ。
 
この現地をよく知らない我々外国人を、ここの人たちは快く受け入れ、助けてくれる。言葉が十分に通じなくても、一緒に笑って、側にいようとしてくれる。
 
何もないからこそ、人が人と出会うことで、そこで小さな会話をすることで、十分に楽しいのだ。
冒頭に触れた、溜池に行くときも、どこに行くということよりも皆で笑いながら歩いていくことが幸せなのだ。
 
ここで私は人間の本質をまた教えられた気持ちになる。
 
本来、人間は人種や宗教、国境など、また貧しさや富なども関係なく、そんなものは簡単に超えていけるのだと、人は物ではなく人を大切にして生きるものなのだ、と。
それを彼らはいとも簡単にやってのけて見せ、私に教えてくれているように思える。
 
長い、終わりの見えないような、そんな道の中ではあるが、彼らと共に、少しづつでも前に進んでいることに間違いはない。
 
皆に共通する話ではないとしても、実際、ここにいて、私にとってはそういう楽しさだけで、そういう幸せの形だけで、十分にここにいる理由になる。
こういう経験は何度もしてきたはずなのに、いつの間にか自分の本質からもずれてしまっていた私を、また再びこの道に戻してくれる。
彼らの心の豊かさがそこにあり、自分にとって大切なものは何なのか気づかされる。
 
だからこそ、これを続けるために自らこの仕事を選んだのだ。
 
いつまでも、私にとってこの国がこうであるかはわからない。
悲しいこともあるのかもしれない。
発展と共に、少しづつ変わっていくものもあるのだろうから。
 
しかし何度、どの国でこのような経験したとしても、それはひとつひとつが忘れることができないものだ。
こうして、ここをしばらくして離れたとしても、きっと私はまたここに帰ってくるのだろうと分かる。
 
私は彼らの生き方からも学び、自分の中の本質の一部としても大切にしていきたい。
何かを少しでも変えていくためには、これからも体が壊れない程度にしっかり無理もして、挑戦し、必死に汗をかいて。
でもあくまで自然体で、人間らしく。
 
そういう生き方を貫いていきたいと思う。