先週の土曜日に
「歌舞伎座花篭ホール」にて
関裕二先生の講座を受講してまいりました♬
『古代日本史の正体』
〜第一回 摩訶不思議なヤマト建国〜
スゴい縄文人の話
古き良き古代は東大寺で終わる
Y遺伝子のスタンプ
出雲神は日本中の神
鍋は縄文時代の名残り
記念すべき歌舞伎座での講座の第一回。個人的には割れたビール瓶のお話にツボり、しばらく笑ってしまいました(謎)
講座の内容の一部を関先生の講座の資料より、ちょこっとだけご紹介いたします。
『蒸していた古代人』
関先生の講座で、縄文文化と稲作についてのお話があったのですが、私たちが現代でも日常的に使用している「鍋」は、なんと縄文時代の名残りなのだそうです。以前調理に関わる仕事をしていたこともあり、興味をそそられ個人的に深掘りしてみました。
鍋の起源は、古代人が調理器具として使ったり、食料を保存・貯蔵するために用いた土器だと考えられています。土器が誕生したのは約1万6000年前の氷河期の中頃とされていますが、近年中国で2万年前に遡るのではないかと思われる土器が発見されているようですね。
もちろん日本の遺跡からも出土しています。縄文人は狩猟や漁・木の実の採集などをし、それらを貯蔵したり煮て食べるために土器を用いていました。
古代から人々の生活に欠かせない存在だった土器。私たちの想像以上にたくさんの食材に恵まれていた縄文時代。食材に合わせて土器の種類も様々だったといいます。
関先生のお話によれば、古代は“蒸す”そして“煮る”調理法だったそうです。稲作を拒んでいたと見られる縄文人。北部九州沿岸部の縄文人が稲作を受け入れたのは10世紀後半で、その後関東に伝わるまで数百年を要しています。この間、縄文文化は揺り戻しを起こしていたため、大陸や半島で一般的だった“米を蒸す”文化が日本に定着したのは弥生時代の終わり頃。
栽培された米はほぼウルチ米でしたがモチ米もあり、稲作が行われた当初は米を煮て調理し、その後に蒸す方法に変わっていきました。釜で“炊く”ようになったのは中世。そして鍋文化は江戸時代に花開くことになるのです。
関裕二先生のお話と講座資料を参考に
書かせていただきました💖
約5年ほど、毎月私のブログで関先生の講座の感想文を投稿しているのですが、その記事を読んで、ずっと関先生のお話を聞いてみたい!と思っていた、という2名様が来てくださり感激でした❣️
古代史の世界はほぼ初とのことで、関先生のお話がとても面白く、続けて通いたいとおっしゃっていました✨
ユーモアにあふれ温かさを感じる素敵なご講義をありがとうございました💖第二回もたのしみにしております♬
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