祖母が好きだったダリアを買った。
深い紅のダリアを2本。
凜と立っている。

花を買うと、少し気持ちが上がる。

最近は、自分の人事のことで面倒なことになっていて
ふさぐ日々が続いている。

なんのために必要だと言われているのかも
全くはっきりしない。
ようわからない。
誰も説明してくれない。

義理は大事に思ってる。

今やっている仕事が
もし私が抜けることで成立しないと思ったら
抜けようとはしない。
そこまで無責任じゃない。

はっきり言ってくれなければ、
今後正しい働きができるかどうかもわからない。

途方に暮れてる

自分で立って歩きたい。
凜と進みたい。
自分にはその才能があるのだろうか

好きなことは好きだと言い
嫌なことは嫌だと言いたい
それを大人気ないといわれてもかまわない
そういう人間でいたい

そのために自分の足で立ち上がり、歩いて行きたい。

所詮、一人なんだから
ひもじくったって
貧乏になったって
いいじゃないか

雲間に見えた青空
その一点だけを目指して
カラっと生きていきたい
 私たちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。哲学的用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うのをやめ、私たち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。

あなたが死んでからというもの
私は探し続けている
あなたの選んだ閉ざされの闇と
その闇の意味と
闇を抱えたあなたの死をどう受け入れ
自分が生き続ける意味をどうやって見いだせば良いのかと。

ヴィクトールは生きることも、苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろうという。

生きることは日々、そして刻々、問いかけてくる。私たちはその問いに答えを迫られている。考え込んだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を満たす義務を引き受けることにほかならない。

生きることは至極具体的で、意味は具体性のなかにある。
そうヴィクトールは言うのに、私は具体的にどう打ち返せばいいのだろう。
あなたの死に応えられるのだろう
死を持ってしてまでもちだした具体性に
どうやって生身の人間の私が応えれば良いというのだろう

私たちもひとり残らず、意味なく苦しみ、死ぬことは欲しない。

また12月がやってきた
夜のとばりとともに
くちなしが息苦しいほど香り立ち

穏やかな雨のなかでなら
頬をつたう徴(しるし)も
かき消えん

君を想う
蒼空は今も暗く遠い
目を凝らしても
薄汚れた雲は立ちこめ

ただただ無力に立ち尽くす

許してくださいと
乞うつもりはない

ただ受け入れて
昇華せん

あの蒼空へ

むせかえるような香りに
せき立てられ

いまは隠れし
君とみた月を超えん


幸せってなんだろうなって思う
私はステレオタイプな幻想に脳が冒されているんじゃない?
って思ったりする。
お父さんとお母さんがいて
可愛い男の子と女の子
毎日学校の話を
一緒に訊いて
笑ったり、悩んだり。
お父さんの靴を毎日磨き
家族揃ってご飯食べたり
週末はピクニックにでかけたり。
運動会はすんごいお弁当つくってね。
そんなCMやドラマに描かれる幸せな家族像。
今までいくども繰り返し暴露し続けられてきた素敵な家。

でも、洗脳されているって思おうとすることで
今のわたしのこんな生活を肯定しようとしてるんじゃない?
ってことも思う。

人類は700万年
ホモ・サピエンスは20万年。

その長い年月の中で
どのくらい習慣が固定化されてきたのだろう?
脳はどのくらいの時間を反映するのだろう?

私の生きてきた礎が
いまの私をつくっている
よくも、悪くも。

それは人類なんかの歴史に比べたら
ほんの一瞬。
でも、わたしはわたしを否定できない。
だって、わたしがわたしを認めてあげなければ
誰がわたしを認めてくれるというのだろう?

わたしはわたしのためにも
生きたいと思う。
あさましいと言われるかも知れないけれど
誰かに大切なものを移譲してしまうことはできない。
移譲された人も困ってしまうだろうし
わたしはわたしで無くなってしまう
わたしがわたしで生きることを諦めたら
家族に過大な期待を向けてしまうかも知れない
そんな風にはなりたくない

ただそこにいてくれて
伸びやかに生き続けて欲しい

愛してはいても
その人に依存することなく
自分の生きていく道を
見つめ続けたい

そう思うと
ふつうに結婚なんてできないのかもって
思ってしまうのです
私が思う理想的な奥様のようには
生きられないなって思うから

私のなかにはダブルスタンダードがある。
いわゆる日本女性的なお母さん像
そして自己犠牲したお母さんの悲しむ姿。

あなたは期待しすぎたのよ
誰もが上手に生きられるわけもない
あなたが思う道へ進めなくても良いと思える人生を
肯定できる能力をもつべきだと思う
ステレオタイプな生き方だけが
真っ当な生き方だと思うこと
幻想だと否定したいの。

あらゆる人たちが選んだ生き方
その多様性が美しいと信じたい

だからね

わたしの幸せってなんだろう
あなたの幸せってなんだろう?

霞がかった道の先を
目を細めてみつめる
遠くにあなたがいるような気がして
祈るような気持ちで
目をこらす

雨上がりの道は西陽に輝き
にわかに光を放つ

まるで天国へと
つながっているよう

もしもゆるされるなら
このまま透明になって
走り抜けるように
蒼空を駆け上がり
あなたのもとへ行こう

気づいてくれなくていい
ただそばで
あなたのそばにいて
それだけでいい

独り。

子守歌うたってみたり
きみのノートをのぞき込み
隣で眠る

夢見るあなたをそっと
見つめながら
また
蒼空を駆け抜ける

いくつもの家族が灯す明かり
その美しい星々の暖かさを感じながら
静かな熱に包まれて
霞のように蒸発するの

あなたの寝顔を想像しながら
すっと消える

元気で、
それから幸せでいて。

ありがとう
ずっと見つめてる
あなたのことを思ってる
大切に思ってる。