7月21日に県立富士ビジターセンターで行われる、第三回富士山ふるさと再発見講座にて
「古資料に見る明治大正の富士登山」と題して話をします。
今回の講座では、明治を代表する小説家の一人である国木田独歩が編集長を務めていた、
月刊グラフ誌『戦時画報』(日露戦争中に近事画報から改題)の富士山臨時特集号『富士画報』(明治38年8月15日発行)
近時画報社の社員と社友六名が富士登山をし、現地で撮影した写真や挿絵、紀行文が一冊にまとめられている。
毎年夏になるといろいろな出版社から、富士山関連の臨時特集の雑誌が出されますが、
「富士画報」はおそらく日本で最初に出された富士登山を特集した雑誌ではないかと思います。という雑誌の富士山臨時特集号「富士画報」(明治38年8月15日発行)を元に話をします。(古書に詳しくないので、間違っていたら教えてください。)
さて、肝心の講座の内容ですが、
「富士画報」にある富士登山の紀行文
御殿場口から富士山に登り四合目の山小屋に一泊、山頂を巡り吉田口から下山、
吉田に一泊して、河口湖、西湖、精進湖を巡り、本栖に一泊、人穴等を巡って、富士宮から帰京する。
を元に、雑誌にある写真・挿絵と手持ちの古絵葉書を使って当時の富士登山の様子を紹介する予定です。
紀行文自体も、いろいろなエピソードが満載で、滑稽味があり読みやすく面白いです。
明治時代の富士登山の様子を知るには、最適の資料ではないかと思います。
世界文化遺産登録で沸く、現在の富士山のように、
富士登山ブームが起こっていたようです。
また、この年は「女の当たり年」とも言われており、女子登山も盛んに行われていたようで、「富士画報」の中にも途中で女学生の団体と出会った話が出てきます。
これが山ガールの原点ではないかと思われます。
当時の山小屋の様子や
御殿場口九合目の古絵葉書にある「富士名物鬼熊くずゆ」の由来
まるで「男はつらいよ」の一場面のような精進湖でのボート事件など、
聞きどころ満載です。
ぜひ、ご参加ください。
地元民集まれ!富士山ふるさと再発見(HP
)
講座名:地元民集まれ!富士山ふるさと再発見 全6回を予定。
第3回 7月21日(日曜日) 1:30~3:30 「古資料に見る明治大正の富士登山」
講師:萱沼進さん
場所:山梨県立富士ビジターセンター 2階研修室
対象:高校生以上どなたでも
定員:各回30人
参加費:無料
申 込:山梨県立富士ビジターセンター 電話0555-72-0259 清水・上野
先の話になりますが、9月8日には『忘れられた富士講~鳴沢村山臣講関連碑をめぐる考察~』と題して、これまで調べてきた山臣講という富士講についての話もします。
第5回 9月8日(日曜日) 1:30~3:30 「忘れられた富士講~鳴沢村山臣講関連碑をめぐる考察~」
講師:萱沼進さん
こちらの方も、ぜひご参加ください。