一日にひとつの事をやるのに、精一杯です。今日も、銀行に行って新しい口座を開設するのに疲れはててしまいました。その前に、会社を辞めるにあたって、上司と何やかやと電話でやりとリがをしたのが、疲れのたいはんですが。それはさておき。

銀行でのやりとりの事。 私書類を間違わずに書くことが出来ないんです。だからごく簡単な銀行の申請用紙も必ず3・4枚はだめにする。で思いきって担当のおねえさんに、はじめて私障害があってこういう書類を書くのが難しいので書き方をひとつずつ教えてくださいと頼んでみました。するとおねえさんは、日付けから フりがなの振り方まで丁寧にひとつずつこう書いてくださいと、見本を見せながら指示してくれ、間違わずにきれいにかきあげることができました。私にとっては奇跡に近い出来事でした。一人で見本を見ながら、何回も悪戦苦闘して書いて出したはいいけど、必ず訂正印が必要になる申請が一発でクリアー。なんかこういう事の積み重ねで少しずつ障害と付き合いながら生きていけるのかなとおもいました。たまたま 担当のおねえさんが親切で こちらがお客様の立場だったからなりたったことかもしれないけれど、このことは、おりをみて試してみようとおもいました。

鬱の中にも光はありますね。


スペシャルオリンピックってご存知ですか・?知的障害者のオリンピックです。実は私中三の時その日本代表に選ばれ、高一の時選手として参加したんです。100mのリレー(多分)で金メダルをとったんです。でもこのことずーと恥ずかし事として自分から人に話た事ありません。私の中学の時は発達障害なんてジャンルはなく、不登校で変な子だったわたしは、知的障害や自閉症の子たちのいるクラスで中2から卒業まですごしていました。

そんなことで、スぺシャルオリンピックに参加できたわけです。高校は受験をして農業科だったけどまあ普通の子の行く学校に通い、就職をして自分では普通の顔をして生きてきたつもりだった。というか目指せ普通の人だったわけです。そんなんで言えるわけがない特殊学級にいたなんて、スぺシャルオリンピックの金メダルはどちらかというと不名誉なものに近い。今その事がそのことが恥ずかしい。知的障害の人とわたしは違うのよ普通の人よってある意味差別していたんです。知的障害の人を。でも私は間違いなく特殊学級にいた障害のある子でした。今もADHDの非言語性学習障害のおばさんで慢性軽度の鬱病者です。スぺシャルオリンピックで金メダルとったんだよって心底自慢できたらいいな。