たくさんの言葉も、その言葉を飾る言葉も必要としない。
ましてや何かを仄めかすような言葉なんて省いて。
私が大切な友人であるラクさんと約束したことを果たしたいと思います。
☆
昨年の夏から秋にかけて「ピピコの体調がよくなったら会いに来てね。」とラクさんから何度となく声をかけてもらっていたものの、入院ばかりしている私はその機会を作れないでいました。
そうこうしているうちに季節は秋から初冬へと移り変わって。
そんなある日、ラクさんから「命の期限」があと1,2か月であると連絡を受けました。
胸が苦しくなるようなメッセージをもどかしい思いで病院のベッドの上で受け取った私は何が何でも会いに行く、と彼女に伝えました。
「会えなくても大丈夫。どの世でも会えるから。」
そう言われてもこの世で会いたい私は食上げも中途半端な状態ではあったものの、なんとか退院することができ、軽く小旅行な距離のあるラクさんのご実家へ向かいました。
たまたまご実家には誰もいない時間であったため、私とラクさんは「終活」「理想のエンディング」・・・
このことについてたっぷり3時間以上話をしました。
その中にはお祭り好きだから生前葬を派手にやりたい!ピピコ仕切りでよろしく~、なんていうことからシリアスな話、そしてラクさんが大切にしてきたブログの終わらせ方について話しました。
ラクさんはブログを始めたことでたくさんの仲間に出会えたから、自分の言葉で終わらせたいと言っていました。
中途半端に更新が途絶え、皆に心配をかけるのはイヤなの、と。
なので最終の更新は自分でしたいけれど、タイミングが難しいよね、と。
早すぎてもまた更新したくなるだろうし、間が抜けてもイヤだし、かと言って体調が悪くなって書けなくなってもイヤだし・・・といつ書くべきかととても悩んでいました。
そんな話の中で「もしタイミングを逸して、書けないままでいたらピピコ、ラクからみんなにありがとう、って言ってたって書いてね。」と言われました。
私はまだまだ元気に見えるラクさんからそんなことを頼まれることが切なく「イヤだよ、自分で書いてよ。」と素っ気なく言ってしまいました。
☆
なんだかんだ体調不良と言いながら、翌月もラクさんのご実家へまた行く機会を作ることができ、その時に「長男くんの卒業式までは何が何でもがんばるよ~!」ととても前向きで。
だからまだまだブログの最終更新はしないよ、と言っていました。
しかしその次の週にはイレウスで入院してしまい・・・
時を同じくして(まったく同日)私自身もイレウスで入院してしまいました。
とんでもなく悲しいシンクロに「笑うしかないね~・・・」とLINEで話し、その日からお互いにイレウス管の痛さを嘆く日々。
そして突然にも思えるサヨナラの日・・・
☆
もちろん突然なんかではなく。
心づもりだってしてきたはず。
それくらいたくさん人生のエンディングについて話してきたけれど、それでもやはり受け入れることは簡単なんかではなくって。
悲しい。
寂しい。
虚しい。
悔しい。
そんな思いをどうやっても昇華させられず燻っていたある日、ラクさんの妹さんから「ピッピちゃんが知っていることを書いてほしい。」とのメッセージが届きました。
私なんかがラクさんの気持ちを代弁することなんてできない、と申し伝えたところ、ピッピちゃんの言葉でいいので、と言ってくださったことで肩の力が抜けました。
そうだよね。
ラクさんからお願いされたこと、反故にするなんてそれこそ仁義に欠く。
約束はしていないけれど、聞いたからには約束も同然。
ラクさんが伝えたい、書きたいと言っていたこと。
『ブログを始めてみんなに出会えて、人生がより一層楽しく愛おしくなりました。
ありがとう。
こんな病気になって根拠のない自信だけで大丈夫と思ってきたけどちょっとダメみたい。
でも負けるなんて思ってないよ!
また次のステージへ若くてきれいなまま行くんだって、そう思ってるって書こうと思ってるよ!』
ラクさんらしい、家族や仲間思いの言葉・・・
聞いていても全然現実感がなくて、でも一度聞いたら忘れられなくて・・・
今でも少し高めの澄んだ声で言ったそのまんまが耳に残っています。
☆
ねぇ、ラクさん。
今世で果たせる最後の約束なのに、みんなに伝えるまで時間がかかってごめんなさい。
遅筆な私を許してね。
でも、約束はちゃんと守ったから。
いつかまた会った時には「ピピコ~よくやった~」って破顔一笑して褒めてくれるよね?
ましてや何かを仄めかすような言葉なんて省いて。
私が大切な友人であるラクさんと約束したことを果たしたいと思います。
☆
昨年の夏から秋にかけて「ピピコの体調がよくなったら会いに来てね。」とラクさんから何度となく声をかけてもらっていたものの、入院ばかりしている私はその機会を作れないでいました。
そうこうしているうちに季節は秋から初冬へと移り変わって。
そんなある日、ラクさんから「命の期限」があと1,2か月であると連絡を受けました。
胸が苦しくなるようなメッセージをもどかしい思いで病院のベッドの上で受け取った私は何が何でも会いに行く、と彼女に伝えました。
「会えなくても大丈夫。どの世でも会えるから。」
そう言われてもこの世で会いたい私は食上げも中途半端な状態ではあったものの、なんとか退院することができ、軽く小旅行な距離のあるラクさんのご実家へ向かいました。
たまたまご実家には誰もいない時間であったため、私とラクさんは「終活」「理想のエンディング」・・・
このことについてたっぷり3時間以上話をしました。
その中にはお祭り好きだから生前葬を派手にやりたい!ピピコ仕切りでよろしく~、なんていうことからシリアスな話、そしてラクさんが大切にしてきたブログの終わらせ方について話しました。
ラクさんはブログを始めたことでたくさんの仲間に出会えたから、自分の言葉で終わらせたいと言っていました。
中途半端に更新が途絶え、皆に心配をかけるのはイヤなの、と。
なので最終の更新は自分でしたいけれど、タイミングが難しいよね、と。
早すぎてもまた更新したくなるだろうし、間が抜けてもイヤだし、かと言って体調が悪くなって書けなくなってもイヤだし・・・といつ書くべきかととても悩んでいました。
そんな話の中で「もしタイミングを逸して、書けないままでいたらピピコ、ラクからみんなにありがとう、って言ってたって書いてね。」と言われました。
私はまだまだ元気に見えるラクさんからそんなことを頼まれることが切なく「イヤだよ、自分で書いてよ。」と素っ気なく言ってしまいました。
☆
なんだかんだ体調不良と言いながら、翌月もラクさんのご実家へまた行く機会を作ることができ、その時に「長男くんの卒業式までは何が何でもがんばるよ~!」ととても前向きで。
だからまだまだブログの最終更新はしないよ、と言っていました。
しかしその次の週にはイレウスで入院してしまい・・・
時を同じくして(まったく同日)私自身もイレウスで入院してしまいました。
とんでもなく悲しいシンクロに「笑うしかないね~・・・」とLINEで話し、その日からお互いにイレウス管の痛さを嘆く日々。
そして突然にも思えるサヨナラの日・・・
☆
もちろん突然なんかではなく。
心づもりだってしてきたはず。
それくらいたくさん人生のエンディングについて話してきたけれど、それでもやはり受け入れることは簡単なんかではなくって。
悲しい。
寂しい。
虚しい。
悔しい。
そんな思いをどうやっても昇華させられず燻っていたある日、ラクさんの妹さんから「ピッピちゃんが知っていることを書いてほしい。」とのメッセージが届きました。
私なんかがラクさんの気持ちを代弁することなんてできない、と申し伝えたところ、ピッピちゃんの言葉でいいので、と言ってくださったことで肩の力が抜けました。
そうだよね。
ラクさんからお願いされたこと、反故にするなんてそれこそ仁義に欠く。
約束はしていないけれど、聞いたからには約束も同然。
ラクさんが伝えたい、書きたいと言っていたこと。
『ブログを始めてみんなに出会えて、人生がより一層楽しく愛おしくなりました。
ありがとう。
こんな病気になって根拠のない自信だけで大丈夫と思ってきたけどちょっとダメみたい。
でも負けるなんて思ってないよ!
また次のステージへ若くてきれいなまま行くんだって、そう思ってるって書こうと思ってるよ!』
ラクさんらしい、家族や仲間思いの言葉・・・
聞いていても全然現実感がなくて、でも一度聞いたら忘れられなくて・・・
今でも少し高めの澄んだ声で言ったそのまんまが耳に残っています。
☆
ねぇ、ラクさん。
今世で果たせる最後の約束なのに、みんなに伝えるまで時間がかかってごめんなさい。
遅筆な私を許してね。
でも、約束はちゃんと守ったから。
いつかまた会った時には「ピピコ~よくやった~」って破顔一笑して褒めてくれるよね?