フードコーディネーターたいよう 公式ブログ

フードコーディネーターたいよう 公式ブログ

車椅子のフードコーディネーター たいようが
車椅子から見える食のある空間をお届けします。
普段はメニュー開発を専門にレストランプロデュースや飲食店で使える
フード・ドリンクアイテムの提案をさせていただいています。

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いつもいつも大変ありがとうございます。
車椅子の料理人 たいようです。
今年ももう終わろうとしていますが、今年は新型コロナウィルスの煽りを受けて、飲食店は軒並み休業や時短営業を強いられました。
私自身も料理教室も出来ず、出張シェフのお仕事やイベント出店の数もかなり減り、今年は本当に苦しかった。
だけど、その代わりに良い事もありました。それは食パンの通販を始めた事。コーヒーの通販をやっと始められた事。
プライベートブランドコーヒー【たいようの滴】についてはご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、私が10年前にプロデュースをした。プライベートブランドのコーヒー豆です。

今日は私の食パンについてです。
食パンも私は過去に何度か定期で月に一回レストランを開いていました。
フレンチ風創作料理のコース仕立てのお料理を皆様にご提供していました。コース料理の中にパンもお出ししていましたが、パンだけは知り合いのお店で買ったパンを提供していました。
実はそれが私自身納得いっていませんでした。パンの味どうこうではなく、折角コース料理を出すなら、パンまで手作りしたい。
そんな思いをずっと抱いていながら、ある時その知り合いのお店は閉店してしまいました。

その後も色んなお店を回ったりしてお気に入りのパンを探してはいたのですが、なかなか気にいるパンが見つからず、あー、やっぱり自分でパンも作った方が良いのかな。その方が料理にも合わせやすい。と考えるようになりました。

でもやっぱりパンのイメージといえば、難しい、めんどくさい。作り方も全くわからない。で強力粉を買うこともせず、作り方を調べることもせずの月日が流れて…

ある時、リスドォルというフランスパン専用粉を見つけまして、とりあえずその時はその粉を買ってみて、ひとまずはフランスパンの勉強を始めて、時間をみては自分で試作を始めてみました。この時、イーストという物を自身で初めて買いました。日々、フランスパンをしっかりと焼けるように練習していたのですが、やっぱりうまくは出来ません。作っては捨てるのが常。パン作りを一度はやめてしまいました。

ある日はお金がなくて、安い食パンをスーパーで買っていた時に、食パンが国民食であることに気がついて、当時は食パン専門店ってものが今ほど多くもなく、食パン屋さんをしたいって思うようになりました。そういえば、料理を始めた頃は食パンアレンジをよくやったものです。
そうしているうちに今じゃ超有名店【乃が美】が表舞台に出てき始めて、高級じゃ、生食パンだって世の中がざわつき始めて、私も思い切って食パンの製作に取り掛かりました。
バゲットの時とは違って、しっかり上手く焼けた事に感動して、今日まで食パンばっかり焼き続けています。

これは本当は内緒にしておきたい話ですが、食パン専門店はあっても食パンcafeみたいなお店がないと思いませんか。
バタートーストに始まり、ピザトースト、ハニートーストなど、、、
特別支援学校を出た子たちの受け皿になれるようなお店になれたら最高ですね。
事実私も車椅子であるが故に仕事として入れるレストランはそう多くないですし、レストランだけでなくとも就職出来るような企業もさほど多くはありません。

コーヒーにしろ、パンにしろ、ないなら作ってしまおう。そんな事がきっかけで私の食パンは誕生しています。

おかげさまで時代の流れもあり、私の食パンは多くの皆様にお召し上がり頂いています。










ですが、これでパン屋を開くためにはまだまだ時間とお金が掛かります。
どうか皆様、私の食パンを買ってください。そしてぜひ一度食べてみてください。
https://sinkijiku.official.ec/

最後にみなさんにお願いがございます。
パンは高くて買えないけど…。確かにそう私のパンは高いです。でも材料には凄くこだわりを持ってお作りしています。一度はレシピを変えて、もっと買いやすい値段に下げた方がいいのではないかと、ヘビーユーザーさんにもモニターをお願いをしたところ、味は変えないで欲しいという声もあるのが事実でしばらくはこのままでいかせてください。
しかし、私のパンcafeの構想や特別支援の卒業生たちを受け入れて一緒に店づくりをしていきたい事などに賛同いただける方はぜひ、100円でも構いません。カンパをしていただけると幸いです。
まずはpaypayをお持ちの方是非ともよろしくお願いします。

応援よろしくお願いします。


みなさんこんにちは。たいようです。
劇的に久しぶりのブログを更新してます。

今日は、私には小学校時代からの親友のパティシエが居るんだけど、私が近頃パンを焼いてる事で、彼と朝からMTGをしました。
議題はパン型の型離れが悪いという事からスタート。
結局型離れは、改めてきちんと型の空焼きをして。というところに一旦落ち着いて、もうひとつの議題は、生クリームない時どうするの?って事。ケーキ屋で生クリームがないとか考えもしないんだろうけど、家庭ではよくある話。生クリームがない、牛乳がない、バターがない。
家庭でバターがない時はマーガリンを代用してる、オリーブオイルを代用してるって話はどこの家庭にでもある話ですが、生クリームがない牛乳がない時は、そもそもその料理を諦めたり、代用出来そうな時は水で代用することもあるとかないとか、、、
そこで彼との朝のMTGでもそうだったんですが、なぜ、そもそもケーキは強力粉じゃなくて薄力粉なのか。それはグルテンの量で舌触りや歯切れ云々が変わってくる。なるほど、面白い。
話を戻そう、生クリームや牛乳がない時、水で代用が出来るのか、結論から言って、出来なくも無い。というところに着地をした。もちろん生クリームや牛乳と水って出来上がったものたちの風味が変わってはくるから、出来ることならきちんと作った方がいいんだけど、やれコロナで外出がどうこう、雨で外出がどうこうって時に作る事を諦めずに料理をする。その時の注意点は、
生クリーム100ccと水100ccでは水分量が違うって事。
え!?同じ液体だから水分量も同じじゃないの?って話。

牛乳や生クリームには、どうしても乳脂肪分とか水分とは違うものが入ってる。
どのくらい入ってるのか、牛乳には約13%、生クリームには約57%くらい、ちなみに卵も全卵で24%は水分じゃないものが含まれている。ヨーグルトもそう、水分と何か。
という事は、水って書いてあるものを牛乳に置き換えたら、それは1.1倍ほどになるし、生クリームだと倍は入れないといけない。逆も然りで、生クリームを水に置き換えるなら総量の4割、牛乳だと9割程度にしないと特にパンやお菓子は狙い通りにはならず、全く出来上がらないか、全く別のものが出来ちゃうかも。というお話でした。

ちゃんちゃん。
皆さまお久しぶりです。
車椅子の料理人 たいようです。

令和元年の今年、私たいようは、わっ嘉の金子淳一郎(千葉)とパティスリー みつ葉とはーとの西村泰久(千葉)、車椅子シェフの伊藤健の3名、実はこの3名も私と同じように、車椅子に乗った料理人として日々奮闘している仲間です。私は彼らと一緒に料理を通じて、我々にしか出来ない事、我々だから出来る事に挑戦がしたいという想いから一緒にやってほしいと声をかけさせてもらいました。
ユニット結成といえば大袈裟かもしれませんが、一応、車椅子料理人4人が揃ったという事でユニットとして一部の方々にはお知らせをさせてもらいましたが、未だ何も活動が出来ていません。その点については発起人である私がしっかり皆を引っ張って行かねばなりません。本当に申し訳ありません。
先日、福岡から千葉に飛びました。それは西村、金子の両者としっかり顔を合わせて、想いの共有をする。その一点。

来年は愛知にも飛ぶ予定です。そこでしっかりメンバー全員と想いをひとつに本格始動していきたい。このように決意をしております。
2020年オリンピックイヤーの年に、まずはメンバー全員が揃っての講演会をしたい。そのためにはまず、会場探しもしないといけませんが、ここで皆さんに私は問いたい。
車椅子で料理家の私たちに、皆さんならどんな事が聞いてみたいですか。
飲食業界の方、福祉業界の方など、皆さん様々の立場で日々を過ごしておられると思いますが、生い立ちや障がいのこと、料理のこと、日々の生活の事、なんでも構いません。質問があればコメント等お寄せください。講演内容の参考にさせていただきます。よろしくお願いします。

関係者各位


時下ますますご清祥の事とお慶び申し上げます。

いつも大変お世話になっております。

本日は、皆さまにご報告があり、この様な投稿をさせて頂いております。長文ですがご了承ください。


私は現在も、車椅子の料理人として福岡県下、さまざまな場所で料理に携わるお仕事をさせて頂いておりますが、日本全国にはまだまだこういった、車椅子に乗った料理人が実在する事を知り、私が知りうる限りでも、

愛知県のイタリアンスパニッシュの車いす シェフ伊藤シェフ、

千葉県の【パティスリー みつ葉とはーと】西村泰久シェフパティシエ 

同じく千葉県に【和風ダイニング わっ嘉】金子シェフとSNS等を通じて交流をさせて頂いており、それぞれお店を持っていたり、地場のあらゆる場所で活動を展開しています。


ある時、車椅子に乗った我々料理家同士で、フード業界を盛り上げたい。我々だから出来る事、我々にしか出来ない何かを掘り起こして、社会に福祉に飲食の世界に貢献していきたい。と思い立ち、この3人にもこの思いの丈を説明させて頂きました。

その上でメンバー全員が同じ思いに立ち、同じ目標に向かってユニットとして一致団結する事となりました。


今後は、講演会やワークショップ、イベント出店等に力入れて参りますので、今後とも宜しくお願い申し上げます。


たいよう

伊藤 健

和風ダイニングわっ嘉 金子 淳一郎

パティスリー みつ葉とはーと 西村 泰久

皆さまこんにちは、たいようこと、田川 紘史と申します。
現在ケータリングシェフをさせて頂いています、1987年生まれの31歳。福岡市在住で生まれも育ちも福岡です。

私は生まれつき、二分脊椎という5千人の出生に対して1人の障がいを抱えています。現在は車椅子で生活をしています。

2歳から歩行訓練を始めて、私がようやく歩き始めたのは、小学校にあがる少し前で、その前から親戚一同は、私を養護学校(現:特別支援学校)に通わせようとしましたが、母親だけが一貫としてそれを聞き入れず、市や県と掛け合い、小中は普通校に通いました。今のように特別支援学級ってものもありませんから、クラスも他の健常児の混じっての普通学級で授業を受けていました。体育の時間も皆と同じように授業に参加をし、水泳の時間だけ、見学をしていました。

私が小学生の頃は土曜日は隔週だけが休校で、その休校となる前日のとある金曜日の夜に、金曜ロードショーのあと、何気なくテレビの別のチャンネルをつけたら、当時絶大な人気を誇ったTV番組【料理の鉄人】の放送があっていました。そこで闘っていた鉄人が、フレンチの鉄人 坂井 宏行シェフでした。そこで目にした坂井シェフの料理がとても美しく、その回でも劇的勝利をおさめたように記憶しています。

私も男の子ですから、戦隊モノのように強いものは大好きで、
既に感動をした料理で、さらに坂井シェフが勝ってしまったものですから、その瞬間から私は料理の鉄人という番組にどハマりをし、毎週観ていました。
もちろん和の鉄人の道場さんも、中華の鉄人の陳さんも、皆さん素晴らしい料理人である事には間違いないですが、当時の私には、フレンチの鉄人だけがとても強くて格好よく見えました。

影響を受けやすい私は、学校が休みの土日には、冷蔵庫の中から使えそうな食材を探し出し、自ら台所で料理を作るようになりました。その姿を観て母は「火が怖い」「油が怖い」「刃物が怖い」と感じていたようです。
私は3人兄弟の1番上で、私の母は、弟が生まれた後に1回、妹が生まれた後に1回、2回の離婚を経験しています。

料理の鉄人を観ている中で私は、いつか料理人になろう。坂井シェフの元で修行をして、自分のお店を持とうと決意しました。のちに親や親戚にもその決意を打ち明けますが、当然猛反対。しかし当時の私は、普通校に行き、普通に勉強も出来て、家では母に変わって、家事や洗濯もやっていましたから、なんら自分に障がいがある事など感じていませんでした。

絶対やる。絶対出来る。と思っていました。
小学校の高学年も近づいてきた頃、私はクラスの中で、学校の中で、イジメといえば大袈裟ですが、周囲から意地悪をされるようになりました。物が隠され、クラスメイトの物が私の机にあり、犯人扱いをされるようになり、学校に行っても全く面白いとも思わない。そんな思いをしてまで、今思えば関係なくもないですが、当時は関係なく思えた、歴史の人物がどうとか、作者の気持ちとかの図形の面積がどうとかの授業を受けるより、料理を作って勉強した方がよほど良いと思っていました。私は不登校になりました。

中学にあがる頃、私は学校に対してひとつの希望を見出していました。保育園時代の仲の良かった友達が中学では一緒になる。学校生活も楽しくなるだろう。と…。
中学に入ってももちろん、小学校時代の子たちからの意地悪は止みません。それどころか、保育園が一緒だった友達まで一緒になって、意地悪の規模がさらに拡大しました。
よし、もう学校に行くのはやめよう。再び不登校に。
そこから卒業までの間、私は料理のこと、坂井シェフの事を一生懸命独学で勉強しました。高校も一応は通信制の学校に通いましたが、やっぱり料理の事を勉強する事の方が楽しくて、3年で中退。一時は調理師専門学校に行く事も目標にしていましたが、まず、車椅子で料理人を目指す人も珍しく、通路幅や作業台の高さ等、ハード面の問題で厳しいとされていました。

話は中学3年の夏まで1度戻りますが、中学時代も相変わらず、中学を卒業して、坂井シェフの元で…という気持ちは常にありましたから、中2の頃から今度は、坂井シェフに対しての猛アピールが開始されます。
料理人になりたい。弟子として遣って欲しい。キッチンに入れてくれ、そばで仕事をさせて欲しい…。
何通も手紙を書き、履歴書を書き、電話をかけ。
そうして訪れた中学3年の夏。

『今度福岡に行くから、その時逢おうよ』と、坂井シェフから直々に連絡をいただきました。
そして約束の日に、初対面で『坂井シェフの元で料理人になりたい』と直談判させて頂いて、やはりのところ、「車椅子でキッチンは難しいよ。厳しいよ。」との返答でした。だけどその面談の中で【フードコーディネーターになりなさい】
「フードコーディネーターになって一生懸命頑張って自分のキッチン持ったら、一緒に仕事出来るから」と激励を頂いて、翌年にフードコーディネーターの資格を取って、晴れて飲食業界人としてデビューをしました。今日で15周年になります。

その後も、坂井シェフのお店以外にも数々の飲食店、飲食業界の会社等、他業界の会社にも面接を申し込むも、階段やトイレの問題、通路幅、作業台の高さなどで、なかなか、修行が出来る職場との出会いがありませんでした。
もちろん過去には飲食以外の分野で就職をした経験もありますが、就職活動を始めた10代20代でようやく自分が障がい者である事を実感、自覚しました。

でもやっぱり私自身ずっと料理人を夢見てきた。就職活動でも散々、ツライ思いもした。だったら自分で出来る範囲で出来る事をまず始めるしかないと、飲食店向けのメニュー開発や、たいようブランドの商品のプロデュース、車椅子ユーザーである事を武器に店舗のバリアフリー化に向けての提案、障がい者向けの寝たきりでも出来る料理教室を展開してきました。ある期間においてはフリースペースのキッチンで料理を作り、ランチの提供をするお仕事をさせて頂きました。
だけどやっぱり、他人様のキッチンで私が料理人として立ち続けるのは並大抵ではありません。

これはもう自分のキッチンを作るしかない。自分のキッチンを作って、かつて料理人をしていた何かしらが原因で車椅子ユーザーになってしまった人、これから料理人を目指そうとしている健常障害問わずの人、食べること作ることが好きな障がい者が、お食事やあるいは料理教室に。特別支援学校の卒業生の就職の受け皿に。そんな思いを抱いて、細々とケータリングシェフとしてお仕事させて頂いておりますが、恥を忍んで皆様にお願いがあります。

どこかの飲食業界に就職した事もない全てが独学で、ましてや障がい者で、ランチ営業をしたり、料理教室をしたり、メディア露出をした経験、それも一瞬の事で、資本金もわずかで、2000万3,000万という大金を銀行や国が融資をしてくれるはずもなく、ただ料理家として生きてきたこの15年の知識と経験と人脈それしかありません。

昨今は、インターネット上で投資を募るクラウドファンディングなどもありますが、ご投資をして頂く方にもサイト利用の登録をして頂く手間が少々あります。クレジットカードを持っている事だったり、様々条件もある場合がございます。場合によってはご投資頂いても、そのお金をそのまま受け取れるかといえばそうでない場合もございます。投資を受ける側も投資金額からの手数料を支払ったりなど、私の勉強不足なところもあるでしょうけど、私の個人的の印象としてもまだまだクラウドファンディングに着手するには、ハードルが高いようにも思えます。
ですから、まずはこの記事を読んでご賛同頂ける方から、大変ご無礼ではございますが、ご協力をお願い致したく思っています。皆さまにとっても大切なお金なのは承知の上で、ぜひ小さな小銭で構いません。ご協力頂けないでしょうか。
人生において、知識も経験も浅はかな、31歳と若輩者ではございますが、私が師と仰ぐ、坂井シェフも来年には喜寿を迎えます。私の中で後3年間を勝負の期間として、師の恩に応えるためにさらに精進していかなければと思っています。
是非よろしくお願い申し上げます。


ゆうちょ銀行
17400-96869211
タガワ ヒロシ

いつもお世話になります。

車椅子の料理人 たいようです。


おまたせ致しました!2018年夏の料理教室のご案内です。

地元福岡でも久しぶりの開催になります。

メニューは【ハンバーグ】です。


合挽肉はどんなお肉を使っているかわからないから不安。そんな声も聞かれます。

今回、合挽肉は一切使いません!

牛肉と豚肉をそれぞれ、自分で処理をして、それをまた、自分好みに配合して、自分だけのハンバーグを作ります。


さらに!!

卵なし、パン粉なしの低アレルゲンのハンバーグです。


いつものハンバーグとは、ひと味もふた味も違う、ハンバーグを皆さんで。


大人もキッズも、親子でも。もちろん、身体・知的・発達・精神に困り感のある方、どなたでもOK!

私自身これまでの5年間、障がい等で生活に困り感のある方をメインに料理教室を展開してきました。

歩けなくても、立てなくても、両手が使えなくても料理は『出来る』!


夏休みの自由研究の課題にも、是非ご活用ください。



お問い合わせは、お電話もしくはE-mailにて承ります。

TEL:080-3220-3240

Email:coffee.taiyonoshizuku@gmail.com



日時:2018年8月4日 11:30〜

場所:バンビの木箱

(福岡市東区社領1-2-9)

参加費:1名2,500円  

※親子、介助者付きの方は2名で4,000円


エプロンと使いやすい道具があればお持ち下さい。


【キャンセルポリシーについて】

3日前より参加費の50%

当日キャンセルについては参加費の100%申し受けます。

お久しぶりです。車椅子の料理人 たいようです晴れ(いつもちゃんと投稿すれば良いのにね…。)

今日は、かなりのご無沙汰の書き込みにして、いきなりですが、ファイナルのお知らせです。

2016年2月。私は20年越しの目標を叶えました。
それが、バンビの木箱で月一ランチのキッチンというステージに立つ使命。
そこから2年半。いろんな事がありました。
バンビの木箱のキッチンはオープンキッチンです。
チキンウィングのローズマリー焼き



フォアグラのプリン

美女と野獣からインスピレーションを受けて作った、水のジュレ
ショートケーキの再構築

夏の特製のカレー
ぶり大根
いちごのパスタとビスク風味の茶碗蒸し。
メインはフグをベーコンで巻きました。
この日のデザートは、アールグレイ風味のナポレオンパイ。
下の写真は、YouTube syllabusに出演した際に、名古屋の酒井シェフに教えて頂いた、ポークピカタを前菜にお出ししました。



また、初めての冬には、メンテナンスのために、1ヶ月休業をさせてもらっての入院そして手術
復活しした2年目には、ローカル番組【めんたいプラス】の自身初となるTV取材。

新聞取材も多数頂きました。

紆余曲折、様々な出来事があった2年半。
たくさんの出逢いもあった2年6ヵ月。
それもいよいよ、2018年7月4日が最後のフィナーレとなります。

フィナーレといっても、全てが終わるわけではなく、料理人たいよう、さらにパワーアップのために旅に出ます。たくさんの料理人と出会い、学びのある旅にしたいと思います。

また、今年の10月にはデビュー15周年の節目。
この節目にまた何か、皆さまに美味しいを提供出来ればとも考えております。
料理教室も本格的に再始動したい!


次の素敵なステージに立つまで、料理人たいようは次回のバンビの木箱 第1水曜日でしばらく休眠となりますが、ぜひ皆様、バンビの木箱まで会いに来てください!

フードコーディネーター たいようができること。

・福岡市東区『バンビの木箱』
第1水曜日を担当しています!


・新メニュー・イベントメニュー開発を含めたメニューコンサルティング

・バリアフリーな店舗を目指すための店舗開発コンサルティング

・新商品アイテム告知などに使うためのフードスタイリング

・料理教室講師
(障がい者向け・一般・キッズ向けともに対応可能です。)

・プライベートブランドコーヒー『たいようの滴』
好評販売中

お問い合わせは、お電話もしくはE-mailにて承ります。

TEL:080-3220-3240

Email:coffee.taiyonoshizuku@gmail.com

【バレンタインギフトのご案内】
私、たいようが約6年前にプライベートブランドコーヒーとして誕生させた、スイーツに合う『たいようの滴』のホットドリップ(ドリップバッグ10個入り)と、世界一の日本酒「喜多屋」の酒粕で作った濃厚『芳醇フロマージュ』がコラボ致しました。

こちらのコラボ商品をバレンタインギフト限定で、購入することが出来ます!
ナント‼️3,000円でご提供させて頂きます!
24セット限定‼️

備考欄に「たいようさんの紹介で」と書いてね♪

フードコーディネーター たいようができること。

・福岡市東区『バンビの木箱』
第1水曜日を担当しています!


・新メニュー・イベントメニュー開発を含めたメニューコンサルティング

・バリアフリーな店舗を目指すための店舗開発コンサルティング

・新商品アイテム告知などに使うためのフードスタイリング

・料理教室講師
(障がい者向け・一般・キッズ向けともに対応可能です。)

・プライベートブランドコーヒー『たいようの滴』
好評販売中

お問い合わせは、お電話もしくはE-mailにて承ります。

TEL:080-3220-3240

Email:coffee.taiyonoshizuku@gmail.com

皆さまご無沙汰しております。車椅子の料理人 たいようです。

気がつけば2017年もあと半月を残すばかりとなりました。
タイトル通りではありますが、今年も色々ありました。

まずは、私が毎月第1水曜日を担当させて頂いています。バンビの木箱のランチも、2年目に突入しました。

その中で、ご縁を頂きました。2月には、福岡のローカル番組 FBS『めんたいプラス』で1ヶ月の密着取材を受けました。その折、我が師匠 坂井宏行シェフもお忙しい中、駆けつけて下さって、【フードコーディネーターになったら一緒に仕事出来るからね】という15年前に頂いた激励をそのまま叶えて下さいました。

その他にも、

4月の誕生日を迎え、私たいようも、いよいよ30代の幕開けとなりました。

7月上旬に執り行われた友人の結婚式では、披露宴のメニューをプランニング。式場はなんと、師匠 坂井シェフがオーナーを務める『ラ・ロシェル福岡』
「たいよう君がいつも御用達にしている、坂井シェフのお店で披露宴をしたかった。」と言って頂いて、このような機会が実現しました。

8月 福岡県は鰻の名産地 柳川市で2年ぶりの料理教室を開催。冷製のカルボナーラとスイカのガスパチョをメイキング。

10月、ニューオープンの保育園で提供する給食と2日間行われたプレオープンで振る舞う お食事のメニューを開発。

11月、来春オープン予定のアメリカンスタイルのステーキハウスのメニュー開発。

などなど、今年も大変お世話になりました。
2018年も早速、2月にはバンビの木箱の私が担当するランチも3年目を迎えます!
3月11日には、佐賀の美術館でコーヒーショップが軒を連ねるイベントに、私もプライベートブランドのコーヒー『たいようの滴』を以って参加します。

乞うご期待。
車椅子の料理人 たいようです!

FBS福岡放送『めんたいplus』のご視聴ありがとうございました!

この場をお借りしまして、ここまで支えて下さった皆様、

バンビの木箱のスタッフの皆様

取材頂きましたFBS福岡放送局 市原さま

そして、我が師 坂井ムッシュをはじめとする、今回の取材にもご協力頂きました フランス料理 ラ・ロシェル福岡の皆様に心より御礼申し上げます!
{D5B5429E-37C9-4BDA-AC3F-5522418DB7B6}
私の闘いはここからです。
今日の放送でまずは福岡。ここから九州全土、東京、全国へと活動の場を増やしていければと思います。

今日、ご覧頂きました皆様には、どんなことでも構いません。
「福岡に車椅子でこんなことしてる人がいるよ」と身近の方々にもお話頂ければ幸いに存じます。