過日

スマホのバッテリーが瀕死になって

一週間、コードに差しっぱなし生活。


もはや携帯電話ではなくなりましてん。


まぁ丁度良いので

なんちゃってデジタルデトックス。


そんなこんなで

スマホの機種変更に出かけた

某日曜日。…大雨だったあせる


結論。もう保険証だけでは

契約ごとはできないのね〜21世紀。


やれやれ、家に帰らないことには

調べ物すらできない現実。


少しの用事を済ませて

りんごのマークのメーカー品の

修理屋さんの空き時間を調べてみたら

今から出掛ければ丁度いい時間が

ぽっかり空いておりました。

雨も止んでるし。


ということで

バッテリー交換をして

暫く凌ごうという訳です。


待ち時間。

場所はライフスタイルを売る電機店。

ラグジュアリーな家電を

ひぇー!たっか!

と眺めながら

どうやらワタシ、

家電に興味がないらしい。


【人生辞めてもいいですか?】

そんなことばが

相当明瞭に頭に響いた。


いやいや、コレは

ワタシの思考じゃないし。

っていうのは

すぐわかったんだけど、


その言葉から結構なダメージを

受けてしまって

凹む

凹む

凹む


最近、集合意識のことが

少々気になっていて

多くの集合意識は

どちらを向いているんだろう。


祈りの方向に合わせるならば

どの方向に合わせたいだろう。

どんなイベントに乗っかりたいだろう。


そんな最中のそのことば。

 

きっと重たい方へ多くは

向いてるんだろうなぁ。

いま。


今日という日に

自然と笑顔になる時間が

1回でも多く

ありますように。


そんなことを

ふとおもったよ。









4月、5月と続けてご不幸がありまして
何だかさみしいこの頃なのですが
5月にあったこと。

義母の姉が亡くなりまして
私も嫁いでから義母の姉妹全員に
とても良くしてもらっている。
そして、何より姉妹が仲良し。
とてもうらやましい関係性です。

この亡くなった伯母さんにも
本当によくして貰っていたのです。

残された3姉妹が
並んで座ってお経を読んでいる
その姿はまるで
3姉妹が小さな子どもの頃を
容易く想像できるような
見ているだけで泣けてくる姿でした。

通夜の席で故人に気持ちを寄せると
大概その方の気配と
今の気持ちが伝わってくるのだけれど
全く気配を感じ取れなくて
???
だったのだけど。

またそれが少し淋しくて
涙を誘うのでありました。

葬儀が終わり棺を花で埋めつくして
ふと我に返ると
【左手にかけていた数珠が無い】

え?えええ?
無い無い無いあせる
床に落ちてもない滝汗
何回見てもない!

棺の中に落としたとしか
考えられない…。
今まで落とした事なんて
なかったのになー

あちらに行くのに必要だったのかな。

去年の暮れに、義母から
その伯母さんが以前編まれた膝掛けを
貰ったのを思い出して
(会社で使っている)





コレと交換してね

という事だったのかなと、思う事にした。


そのまま最後まで過ごしました。
…数珠が無いままで汗

私の使っていた数珠は
小学校に上がる頃から使っていたもので
多分お寺さんから貰った
ノベルティグッズみたいなのもので
プラスチックの
ちゃっちいものだったのだけど
何せ40数年手元に有って
当たり前のものだったので

数珠が無くなったと気付いた時に
ふたつのことをふと思った。

ひとつは、
今に見合う自分を守るものに
変えた方がいいよ
という事かなということ。

もうひとつは
私の父方のカルマを
【物として】分かるカタチで
持っていってくださったのかな
という事。

いずれにせよ
思い出の詰まった数珠は
もうどこにもない。

そしてもうひとつ
あ。
私は本当に
嫁ぎ先の人になったんだなぁ
と、しみじみ感じた。

こんなに皆んなに大事にしてもらって
ありがたいなあ。


さあ、困ったのはそれからだ。
私は決して信心深くは無いけれど
数珠が無いって
こんなに気持ちが不安なのか状態。
どーしよう
どーしよう
どーしよう


以前仏具屋さんで見た
ラブラドライトとかいいなー
とか思っていたのだけれど
サクッと数珠について調べてみたら
故人の棺に入れてあげたり
する事があるらしい。

そこでふと我に返る。
最期、跡形もなく無くなるように
【木の数珠にしよう】

ゆっくり悩みたいけれど
何せ手元に何も無いのが不安なので
幾つかピックして
一晩寝かせて
はい決定!

サミット前日に手元に届いた。
良かったぁあー!




緑檀という木の数珠にしました。

房は柳色。


とても地味なのだけど

これはこれでよい気がする。

どーしよう病も落ち着いた爆笑


この数珠を使う度に

亡くなった伯母さんのことを

思い出せるね。








時々、文具萌え〜
になることがあります。

ついつい思い切って
【万年筆】をゲットしました💕
↑筆記具としてはお高いけど
万年筆としては廉価版。

中学生のとき
当時500円くらいの万年筆が
とてもお気に入りで
ノートに小さな物語を書いていたことを
思い出す。

お友だちが
大人の絵日記をつけているよと
教えてくれて
素敵な一冊の本を紹介してくれました。

ポチしそうになったのだけど

はたと思い出した。

あ。あったわ、家に。
大好きなイラストレーター

そして、
アレコレを書き留めるために
時々ノートを探すのだけど
なんだかお気に入りのノートに出会えない。

お店での中でノートへのこだわりを外してみた。
どうしてリングノートじゃないとダメなのかな
どうして書きにくいと言い訳するのかな
どうしてテーマ毎に分けないといけないのかな

そしたら。



見出しとノンブルがついてるノート発見。

あ。コレいいかもだ。


制作メモや日記、書き留めておきたいもの

見出しさえキチンとしておいたら

ノンブルで探しやすい!


一冊の本になるじゃーん。

そんな気がしてきた(^^)


早速、ウキウキて試運転



さらさら流れる万年筆は

安価なものでもウキウキする。


そして、白い魔法使いの

まりあすさんが

ブログに残してくれている


魔法の学校


カテゴリーを

ノートに書き写してみる。

適宜割愛しながらだけど(^^)

ネットにアクセスしなくても

見たい時に見られるよね。


書きたいものを

じゃんじゃん書ける


目から鱗のノート術。



さてさて

いつまで続けられるかわからないけど


コレはよいお買い物だったんじゃないかなと

思ったのです。


そう。

文字が綺麗汚いは別にして

ワタシは、文字を書くことが好きなのだなー

そんなことを思い出しました。


落書きもすき。

画伯だけど。






平和公園のお膝元の職場に通い始めて

さて、かなりの年月が経つのだけれど

最初の数年は

平和公園に足を踏み入れる事は全くなくて

むしろ遠回りして通勤してました。


踏み入れちゃいけない。

みたいに思っていたのか

よくわからない怖さを思っていたのか

よく覚えていない。


ある時、平和公園を突き抜ければ

時短になると知ってからは

朝晩通っていますけど。


そこから

日々の公園の色んな景色を見ることで

自分の中で色んな思いが

育ってきたような気がする。

誰に何を言われた訳ではないけれど

通勤途中にフツーに慰霊碑に手を合わせから

通り過ぎる人や

いつも公園を掃除しているシルバーさん達

そんな場を大切にしている人達の

背中を毎日毎日見ていると

もっと色々知りたいなと

自然に思えてくるものなのかもしれない。



イケイケの20代後半なんぞは

式典の朝の通勤のもどかしさに

半ギレだったかも汗


県北の山間部に育った私は

被爆地ヒロシマには距離的にかなり遠く

生の被爆体験をリアルに聞いたのは

随分大人になってからだったかも。

戦時中の話は沢山聞いてきたけれど。


ハチロクの話を聞く際には

話をしてくれる大人達の

どこか、対岸の火事のような話で

そんな空気感を感じていて

そして、何やら差別的なものを感じる

そんな空気感も時々感じつつ


戦時中の話になれば

都会から疎開してきた人たちに

〇〇してあげたとか、そんな

何やら鼻につく話をしてくれる

大人も確かにいたかな?


そういうのがとても嫌いだった

ちと扱いづらい子どもだったかも。


とはいえ

教え子を戦場に送った先生が

ギリギリまだ現役で

その時代背景や社会の風潮

そんな話を聞く機会もあり


どんな話だったかは

小学校の低学年だったので

詳しく覚えてはいないけど

その言葉にならない行間の部分

心に響く無音の感情

それだけは、今でもくっきりはっきり

心に残っていたり。


リアルな被爆体験を聞いた時

その重い口から

出てくる言葉と、胸が痛い程の

思いの重さに

聞かせてくださいとお願いする事は

果たしていい事なんだろうか

悪いことなんだろうか

そんなことを改めて

初めて考えたり。

結構な葛藤をした記憶がある。


じゃあ

草の根の一本として

何ができるのかと思うけれど

心に残る

その言葉の行間の気持ちを

何かの折に、言葉に載せる事なのかもなと

最近思うようになった。


ヒロシマやナガサキだけではなくて

国内みんな戦争でやらせない思いを

経験している筈なのだから。


多くの言葉ではなく

本当に短い言葉を

繰り返し繰り返し

思いをのせて

綴るのみ。




戦争いうもんはのぅ

しちゃあいけんのんで


だれにもええことなんか

ありゃあせんのじゃけぇのぅ。








やはり8月は特別な月。
広島の地は ヒロシマ と
長崎の地は ナガサキ と
意識的に表現する。

そしてお盆に終戦記念日。

ヒロシマに住む人は
しつこいくらい子どもの頃から
平和教育の大切さを
叩き込まれているはず。

県を跨げばそうでもないらしいのだけど。





7月20日。

式典の準備が始まった頃





8月1日

式典の準備も追い込みの頃

式典タイトルを設置中。




8月3日

暑い中椅子の設置が始まる頃










8月5日 式典前日

物物しいくらいの汗だくの

警備の人の多いこと多いこと…


その関係からか

例年よりもハチロク前夜の

イベント的なものが少ない感もあり

それでも親水テラスでは

歌声が響いておりました。


そして、6日の朝には

それぞれの場所から

サイレンの音を合図に

静かに黙祷をしたのでありました。