こんにちは。

妻の状態は悪いままです。
昨日の9月6日の往診にて、少しでも楽になれるよう吐き気をとるため、鼻からチューブを入れ、胃液が出るような処置をしてもらいました。
先生が一度失敗したため、2回目のチャレンジで成功しました。
私も経験はありませんが、胃カメラと同じようで、喉を通るときに「びくっ」となってしまうそうです。若い人ほど失敗しやすいらしいです。
一度失敗したときに、先生から「今日はやめて後日改めてやりますか?」という打診がありましたが、妻は再度チャレンジすることにしました。

私なら諦めるかもしれませんが、妻の強い意志表示がありました。
それほど現状が苦しかったということだと思います。少しでも楽になりたいとのことでした。

今後は飲み食いをほぼしない状態になります。
食べても良いんですが、吐き気で辛くなるだけなので、食べることが大好きな妻にとっては本当に辛いことだと思います。
昨日は妻の友人にも見舞いに来て頂きましたが、そのときに妻がインスタグラムをやっているのを教えて頂きました。(なんとなくやっているのは知っていましたが、ずっと更新せず、放置していたと思ってました)
そこにも、「食べるの大好き」と記述されており、料理の写真が割と多く載っていました。
料理や治療、子育てのことなど、前向きな内容でした。(私は涙なしには見れません)


さて、今日は朝から妻の様子を見に来るつもりでしたが、妻の母より早めに来て欲しい、との連絡が来たので、急いで駆けつけました。

すると、「もう辛いから早く楽になりたい、それにはどうすればいいのかな?」という話をしてきました。
妻はすでに死を覚悟していました。
以前からその話はありましたが、私も妻の両親もあまりその話題には触れないようにしていました。
お母さんやお父さんにも今日の明け方にその話をしていたようです。

ちょうど往診の看護師さんより様子伺いの電話がきたので、その話の内容を伝えました。
すると、30分くらいですぐに来てくれました。

本人と看護師さんだけで話をし、内容をあとで教えてもらいました。
本人はずっと前から苦しみたくない、もう終わりにしたい、と考えていたようです。

辛さを感じにくくするためには、睡眠時間を少しづつ長くしていくとのことです。
その薬(ドルミカム)を今日から少しづつ使っていくことになりました。

17時ごろには少し効いてきたようで、せきや嗚咽も少なくなっていました。表情も安らかになったと思います。起きている時間は多少話はできますが、少し言葉が出にくいです。しかし、耳はしっかり聴こえているようで、話しかければ反応してくれます。

この状態で過ごすわけですが、呼吸のレベルもどんどん低くなっていくと思われるので、呼吸が停止となったら、それは死という状態になります。
呼吸が止まっているようなら、先生に連絡し、来てもらい、死亡の診断を受けるそうです。


死よりも苦しみの方が辛いということのようです。それはそうですよね。私でもそうするかもしれません。

妻は以前より、少しづつだと思いますが死を受容していました。
しかし、私はそうではなく、治療することばかりを考えてしまっていたと思います。
受け入れるのが怖かった。
妻なしの人生が考えられなかった、考えたくなかった。
だから少しでも長く生きてもらうことばかりに目を向けていました。
私がもっと早く緩和ケアに目を向けて、今回のドルミカムの提案などをしていれば苦しい期間を短くできたかな?と思い、そこは悔やんでます。

今は本人の意思を尊重して、安らかに最期を迎えて欲しいと思います。

妻はいつから死を受け入れていたのか、正確にはわかりませんが、私より早かったのは確かです。
そのタイミングで緩和ケアを視野に入れてあげることが大事だろうなと思います。
私はそれが遅かったと思ってます。


いつから死を受け入れ始めるべきだったのか、
骨転移発覚のとき?
肝臓転移発覚のとき?
タキソールが効かなかったとき?
イブランスのとき?
エリブリン?
緊急入院?
退院?
どのタイミングが正解かはわからないですが、早めに「備える」ということは必要だったかもしれません。

あとどれくらいもつかはわかりません。
でもそう遠くない見込みです。

まだ私も気持ちの整理が全てついているわけではありませんが、これからは妻の葬儀のことや今後の生活についても話を進めていくつもりです。



今はスヤスヤと眠っています。
美しい顔です。