こんにちはさゆです。

とうとう大学院生活が始まりました。
心機一転がっつりサイト(っぽいもの)をつくりました

http://flavors.me/sayucham1214

そんでブログもセカンドステージへ。

「続・田舎娘の都会日記。」
http://sayucham.blogspot.com/

やーんかれこれ学生ブログランキングに登録したりした時代から
かれこれなんだかんだで4年間のブログライフを送ってたなー。

今後ともよろしくお願いします!ya!!

こっちのブログはどうでもいい記録用で残しておきます。
今後も食事メモ用レベルで使用します。
メインは↑のでよろしくお願いします!

sayu
サンプリングをする前に
どうしても読んでおかなければならなかったものを読んだ。(内容多すぎてまだ全部読んでない)
わかったこと、恋愛、落ち着いたなーということかな。
反面、すごく好きなひとだったんだなぁと思った。
でも、今だったら絶対好きじゃない。
めんどくさいあんな高尚な感覚持ってる人なんか。
読まなきゃいけないものは、その人の事がよくわかる一冊の本で
加えて、その人の事を良く知っている人が、その人について想いを綴っている。
私もそれに寄稿をしている。

―――

数年前に好きだった人は高尚な思考や世界観を持っていて
その割にそれはすごくシンプルで
なのにとても無邪気で親しみやすい人だった。

親しみやすさの反面、大学1年当時の私はどうもその高尚な世界への入り口の境界を超えられず
手を伸ばして、すかして、ぶつかって、を繰り返していたような気がする。
何も言えん、理解できん、
まだまだ私はステレオタイプをたくさん持っていたんだなと、今となっては思う。
私の頭弱い…

でも、当時の私はまだ勢いで行動していたタイプだったので
彼の隙のある笑顔を見ては、その無邪気さから、いつかその世界に手が届くはず!だと思っていました。
ステレオタイプを抱いたまま。ああ、頭弱い…

宗教学に当時関心のあった彼は、そのまま大学院に進学すると思う、と当時言っていた。
どうやら、「大学院」というキーワードが私の中に生まれたのは、彼がキッカケだったようだ。

―――

3年ほど前。
大学生という特権を活かして、好きな事ばっかやっていようと思っていた矢先
ぼくの世界から、彼は突然消えてしまって
それが不思議でしょうがなかった。
2008年9月の出来事。

私は、家庭と自分の事情から、教育と社会に関心があったけど
大学生になったら、好きな事してしゅーかつして、お金稼いで家族に恩返しできれば良いと思ってたんだよね。
大学受験で第一志望落ちた時点で。

でも、3年前の出来事以来、その考え方が一変してしまった。
うまく言えないけど、「今」何するか、もっと考えるべきなのかなって。

おい、もう一度、何を極めるか考えろ
そのために
もっと思考を深めろ
何を学びたかったんだっけ。
本を読め、考えを聞け、独学しろ
そして今まで以上に、進め、動け…

気づけば数々のコミュニティで、ぼくは存在感を(多分)発揮し
世界を広げて行った。

その中で出会った「世界を広げる」出来事は
ただ具体的な活動をするに限った事ではない。
そこで出会った人、もの、思考、情報、出来事、なんでもいい。
どんどん脳みそを刺激してく中で、何が一番大切か、考えたかった。
憧れの人をまねするかのように。

よく、「さゆはそんなに色んな事を並行できて、すごいね」と言われるけど
全然すごくない。
大事な人の為に、生きるために、何が必要なのか考えて動いてたら
気づけばいろんなものが私の周りにあっただけであって。
だってさ、大切な人がいなくなってしまう前に、その人の為に何もできなかった
無力な自分に出会いたくないんだもの。
―――

そんなばたばたした4年間でしたが、無事に卒業の運びとなりました。

次のステップに行くにあたり、数々のコミュニティでお世話になりました。
何より日本女子大学という場所。
絶対行きたくないと思っていたけど
これも経験やと考えていたレベルだったのに
今となってはかけがえのない場所になりました。

寮生活に学生新聞。
一人旅先での出逢いと刺激。特にNYムーンパレスでの日々。
学校案内編集にすずかんゼミ、そしてカタリバ。
9.11に自分経営、そしてFLEDGE
そして、そこで出会ったかけがえのない人たち。
こうしているうちに広がっていたその他コミュニティ。
和敬塾南寮のみなさん。

本当にありがとう。

結果、ぼくは大学院進学を目指すことになりました。
願ってもない事に、東京大学の大学院である。
そしてなんとどうしたことか、合格してしまった。

宗教学とはほっとんど関係のない研究をすることになるが
ふと、数ヶ月前、友だちが私に言った。

彼の遺志を、つぐんだね、と。

そうか、もしうまくいけば、本郷で出会っていたはずだったろうね。
そして、彼の遺志なんて、どうせそんな大したものじゃないんよ。
とはいえ、ちょっぴり嬉しかった。

そんな、遺志を継ぐだなんて、大それたこと、言えないけど
それくらいの気持ちで、次のステップにいきたい。
魂2つ分ってことで。

数年経ってみて、出会った当時に彼が言っていた様々な事を、やっと理解し始めるようになりました。
今なら彼と議論して戦える。笑
ああ、どうして当時の私はあんなに頭が悪かったんだろう…悔しい…(今もだけど)

思いがけない日々を過ごした大学4年間。本当にありがとう。
そして、同じ卒業生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。
生まれた後すぐバブル崩壊で、経済的豊かさなんてよく知らない世代。
「ゆとり」と言われ、高校では未履修問題に直面し、しゅーかつでは就職氷河期を経験。
あげくの果てにはこの東北大震災の影響を受け、卒業式すらない。

この震災で被害に遭われている方を想うと、胸が痛い。
心よりお見舞い申し上げます。
人が突然消える怖さが何万人分と思うと、やるせない気持ちになった。
だからこそ、冷静に復興させてかなきゃって思った。生意気にも。

なんかさ、こんなにこの22年間でどたばたしてる人生だと
この先もなんか色々ありそうな気がする。
ホント、何が来ても怖くないわ。

そんな中、決めた次のステップをやりきらなきゃと思うのだよ。

でも、ときどき泣いても、いいじゃんね。
3ヶ月毎日泣いても、枯れないんだし。
うん、今年こそはがまんせず。

卒業&入学おめでとう>自分。
多分、このブログでの最後の記事。
さて、3月中に、書を書かねば。

安心な僕らは旅に出ようぜ
思い切り泣いたり笑ったりしようぜ



さゆ
「ちづる」という映画を最近観た。
遅くなったけど、感想を載せてみようと試みたけど
全然まとまらないです。
あと主観たっぷりなので、さらっと読み流してください。

この映画のためだけにはるばる立教大学新座キャンパスに足を運んだ。
ヤマガタin立教 http://road2yamagata.blogspot.com/

ヤマガタin立教HPより引用↓

―――
立教大学映像身体学科卒業制作
赤崎正和 第一回監督作品
『ちづる』
2011/HDカム/カラー/70分/1:1.78
プロデューサー:池谷 薫(『延安の娘』、『蟻の兵隊』)

――妹のことをどう説明したらいいか、今もわからない。
だから言葉で伝えるかわりに、カメラを向けることにした。――

自閉症の妹・千鶴・・・。
それまで妹の障害に向き合うことを避けてきた兄は、
一年の撮影を通じて妹との距離を、
また自分自身との距離を計りなおしてゆく。
映画のしずかな展開とともに自身のまなざしの着実な変化を跡付ける、
みずみずしく、やさしい家族の物語。
―――


・映画を見に行った経緯と山田家と近い点

映画を知ったキッカケはTwitterで流れこんできたから。
ただ、それだけじゃなくて、なんか近いなーと思ったフレーズがちらほら見えた。

監督さんは、「以前は、知的障害と自閉症の違いも分からなかった」というし
—妹のことをどう説明したらいいか、今もわからない。
  だから言葉で伝えるかわりに、カメラを向けることにした—

という部分も、どちらもシンクロした。

私も、兄弟の事を説明するには、どう説明したらいいかわからない。
でも、彼らのことをどうにか伝えていったり、少しばかり理解してもらうことを考えていた。

911の映画をやってるとき、終わった後ドキュメンタリーをとりたいとか、製作に携わりたい熱が出たんだけど
そのときに、実は真っ先に思いついたのが、家族のドキュメンタリーを撮ることだった。
結局研究活動からのアプローチをする事に決めたから、やめたんだけど。

―――
多分私の兄弟も、ちーちゃん(ちづるちゃん)と同じで
知的障がいと自閉症両方あるタイプで
ちーちゃんほどしゃべらない。

わが山田家の兄はしゃべるというか、叫ぶって感じで
何かを伝えたいときは指を指したり、腕を引っ張ったり、ときどきよくわからん文字を書いたりする。
弟は、必要なとき以外しゃべらない。前よりは知的レベルが上がっている事はわかってはいるのだが。

自閉症と知的障がいがどう違うのかななんて、ちょっと前まで私自身考えた事もなかった。
研究やりたいという気持ちになって、いろいろ調べて、初めて向き合った気がするもの。
今でも向き合いきれてはないと思うし、知らない事は山ほどある。

ひとくくりに「自閉症」と言っても様々で
よく動いてうるさい兄と
おとなしく絵を描いたりPCで動画サイトを見て楽しんだりしている弟と
ひっくるめて説明しろって言われても、姉であり妹である私でも難易度が高い。
映画に出てくるちーちゃんは、ある程度意思を口頭で伝えられるし。

このまとまらない感じ、生きてきた過程、多分通じるものがあるはず。
仲間がいる。

そんな気がした。

・映画の内容に関する事

自分の話はおいといて、実際の映画の中身について書いてみる。
時系列にざっくり振り返りつつ自分なりの感想を挟むという雑な事を試みます。すいません。

5年前、赤崎家のお父さんは、交通事故で亡くなったらしい。
母1人、自閉症の娘と向き合う。

ちーちゃんはどうやら口で意思を伝える事ができるようで、ところどころよくわからんことを言っているようにも見えるが、言葉でのコミュニケーションは割と出来る人のようだ。自分から言葉を発して意思を伝えてくるという点では、その点能力が高い。
ただし、知的障がいもどうやらあるっぽい。高機能自閉症ではない、かな。

ちなみに知的障がいを伴う自閉症をカナー症候群と言うそうです。
うちの兄と弟はカナータイプで、おそらくちーちゃんもカナータイプだと思われます。

ちなみに山田家の場合…
山田家兄:腕を引っ張ったり、何か示すものを指差したりしか意思を伝えられない。普段は叫んだりしてるくせに!笑 こっちが相手の意思を確認しようと思っても、こちらから相手へは伝えづらい。
弟:「お母さん」「さゆりちゃん」と一言声をかけたら「あれ!」「これ!」とか言ってきて、伝わったそぶりをすると「はい」とか言う。


内容に戻ります。

大好きなB級アイドルがもう芸能界を引退したにも関わらず、年賀状を出したちーちゃん。
返事が来ない来ないと気にしていた。
返事は来るわけもないのに、ちーちゃん宛にそのアイドルからお返事が来た。
と思ったら、実はその年賀状のお返しは、お母さんがそのアイドルになりすまして書いた年賀状だった。

そういうことを必要とすることもある。どうしても納得してもらうための裏工作みたいな事。
山田家でもごくたまにある。最近はないけど。多分、他の家庭でもやったことがある家庭はあると思う。
彼らは自分のこだわりが強いので、例えばちーちゃんみたいに返事がこないこないとずっとずっと気にしていることなんて、多分ざらだろうし。
(山田家でいうと、兄はいつも戦隊ヒーローシリーズの5人の色、赤、黄色、青とかの物を持ってないと落ち着かない、毎週ツタヤに行かないとかんしゃく起こすとか)

あと、ユニクロに行きたいちーちゃんが、お母さんの財布からお金を取ろうとして
お母さんと身体をはったけんかをするシーンがある。

わからない、うちの母親はたくさんの本を読んで
たくさんのことを試してみて、学び続けているんだなぁと感じていて
それでも体当たりなこともやってるなーと思うのだけど
ちーちゃんのお母さんのほうが体当たり感があった。がむしゃらっていうか。

そんで、ユニクロのシーンのところで、なんだか複雑な気持ちになってしまって。
最近ではいろいろなケアの事を独学ながら、さらっと漁る程度だけど学んでいたためか
もっとなんかできるやろうに…と思ってしまった。
なんであんなに体当たりなんや…なんであんなに感情的に対抗するんやろうか…みたいな。

それはお母さんの姿に批判しているというわけじゃなくて
もっと楽しく、楽に、生活できるような環境づくりができるのにな、ってこと。
少し前までは、感情が先走ってしまっていたのだけど
最近は冷静に物を見るようになったせいか、客観的にいろいろ言いたくなってしまう。

映画をみた感じ、お母さん楽しんでるっぽいからそれはそれで良いと思うんだけど
映画の中身以上に大変な思いをおそらくしているだろうことはだいたい想像できる。

でも、多分それは、私が兄弟に同じような人がいるからなんだと思う。
そんで、昔から関心があって、さらっとレベルで勉強していたからだと思う。

山田家も実家に帰るといろいろ進化していて
アニキにTEACCHができる職員さんが日中通ってる施設ではついてくれて
歯磨きの仕方の紙が絵付きで洗面所に貼ってあったり
陰ながらそういう努力している部分があって
もはや東京にいる私はついていけてないのだけど。

そんなシーンが印象的だった私は、映画の後のトークセッションでも、話が出たが
主人公は、ちーちゃんではなくて、お母さんだと、そんな気がした。

ちーちゃんは、確かに自閉症なんだろうけど、ふつーの女の子なんだよね。
破天荒な、というか。
気持ちはいつまでも小学生、くらいの。(若すぎ?)

そんで、施設に通いたがってなかったちーちゃんが、ある日デイサービスみたいなところに行く、と言い出したんだけど
結局1日で「行かない」と言い出してしまった。
そして、最後の方で「どうやら自分が『障がい者』であると気づいて困惑し始めている」らしいシーンが出る。
どうやら、養護学校でも不登校だったらしいし、「障がい者」を怖がっていたにもかかわらず、ということらしい。

結局、母と娘はいつまでも寄り添い合って、終わるんだよね。

社会と共存してほしいと思う家庭がきっと多いと思う。だって、親が先立ってしまったあとのことは不安だもの。

でも、そんなこと、ちーちゃんのお母さんは気にしてないように見えた。
いつまでも一緒なのかな、みたいな。

さっきも言ったけど、このお母さんの姿をみて、むしろ、この最後の方の展開をみて、お母さんが主人公だと感じた。
ちーちゃんはお母さんが頼りなんだけど、お母さんこそ、ちーちゃんを必要としてるのかな、って。

わかんない、ここからは勝手ながらの妄想だけど、お父さんが亡くなってから、少しばかりお母さんの中の心境の変化が、ちーちゃんとの付き合い方に影響している気がした。いや、少しばかりならしてるだろうと思う。
お父さんが亡くなったところの描写はない。一瞬の情報だけ。
でも、いつも一緒にいるちーちゃんが、お母さんの支えになっているのかな、って勝手ながら思ってしまった。

そう考えたら、どうでもよくなってしまって。

向き合い始めたんだな、おにいちゃんが。そんな映画。

自分の中でいろんな思いが交差して、混ざり合って、混ざり合えなくて、整理できないでいるんだけど

あの映画を、監督さんの友達がみて、その友達がみて、
関心のある人が見て、
新聞記事を読んだ人が見て
そうやって広がって行けばいいのかな。
身近にそういう人がいることで
何を感じてもらうのかな。
それを知りたい。

なんかそれを知りたくて、あたしも研究分野に足を踏み込む。

広がってくの、怖いけどね。
あたしだったら嫌だもんね。何言われるかわからないから怖いもの。

研究するにもそう。
自分の兄弟がカナータイプの人だと分類されていて
確かに一目会ったら「なんか違う」のは多分容易に分かる。
多分、去年大分カタリバの前夜にうちの実家でBBQやった人たちは感じたと思う。

東京でてきて以来、必要な人にしか、自分の家族のことは話さない事にした。
別に隠していたわけじゃない。言うタイミングがなかっただけ。
でもこれからは、思いっきり見せて行く覚悟である。

まとまらないけど、Twitterで話が流れて来たときに
自分と一緒の人がいる、と直感的に思った。
だからわざわざ1人で新座まで行った。

映画上映後、厚かましく話しかけに行った方がいいかな、と思ったけど
911の上映会やった時に、監督って大変なんだよなーって体感してたからやめた。
質問したけど、なんかガチすぎてしまって、引かれた気がしたし。

あと、どっちみち立教池袋キャンパスでも上映することになったらしくて
新座まで行った自分おつwとか思ったりしたけど
久々に長々と電車にゆられたし新座久々だったので、それそれでアリかな。

そんな感じです。
まとまってなくてすいません。
でも今まとまってたら恐ろしいわ。だからもう書いちゃったし載せちゃう。

久々に客観的に物事あえて見ないように、なんとなく注意したら、なんとなくへたくそな文章になってしまった。
たまにはありよね。そんな感じ。
きっと、私も自分の家族にそんな向き合いきれてないアンバランスな感じなんだと思う。

―――

最近。

*卒論書き終えました。
堀越先生がNPOの研究をやっているせいか、
当日発表資料を作るというだめだめ大学生だったにも関わらず
褒めていただけたのは、きっと奇跡です。

*M0発表会にて発表しました。
今年の4月からお世話になる大学院のゼミで、今後やっていきたい研究活動に関する発表を行いました。
さらには3月の合宿に向けて課題が提示されているため、現在課題のために調べ学習をしております。
緊張した!

*タイに行きたい
3月中頃暇な人、一緒にタイに行こう!いなかったら1人で行く!

さゆ
先日、「ぱれコレ2010」というイベントに行ってきた。

http://www.pale-colle.com/


障がいのあるない関係ない(インクルージョンな?)チームで
ファッションやパフォーマンスを披露していくというもの。

これもまたあやこと行ってきました。

これがすっごい楽しくて。

ここにいるスタッフみんな、楽しんでいるんだなぁ。
障がいがあるとかないとか関係なく

そこにはファッションがあったり
音楽があったり

1つの温かい空間があったような気がして素敵だったなあ。

ファッションショーは3チーム。
その各チームの合間合間にパフォーマンスがあって

ダンスだったり
音楽だったり
ゲストが来てた。

琉球國祭り太鼓の人が披露してるときなんて
ふつーにそこらにいる人に太鼓を渡してたたいてもらってて
一応言うと、障がい者の人にね。

ゲスト側も、会場側も、企画運営側も
みんなが楽しんでいるような場がそこにあった。

最後のフィナーレは
ペットボトルにボタンとかプラスチックの玉とかが入った
オリジナルの可愛いマラカスで

音楽と合わせて会場の人全員がそのマラカスをならして
フィナーレだったんだけど

感じたことがたくさんありました。

1つは、あやこの団体Comusicはこういう場作りを広めて行きたいんだろうなぁ
多分あやこはこの場を楽しんでいるはず!ということ
→あやこに帰りに聞いたら「ほんとにそう!」って言ってた。嬉しかった!

2つめは、どうも言いづらいのだけど、ゴールドコンサート(http://gc.npojba.org/
とどう違うのかなぁということを感じた。

これにもあやこと二人で行ってて。
でもこの感想はお互いにちゃんと共有してなかったんだけど…
あらためてぱれコレの帰りにどうだったかを話しました。

規模もそうだし、スポンサーもそうだし、いろいろ違うことはたくさんあるのだけど

ゴールドコンサートも障がい者という切り口は同じなんだけど
私はどうも違和感が残ってしまった。

それは、イベントが始まった「最初から最後まで、障がい者の『ため』のイベント」のように感じてしまったということ。
うまく言えないのだけど。

順番にチャレンジドミュージシャンが披露していって
審査員がコメントして
審査が入って
結果発表してっていう。
(紅白歌合戦はイメージに少し近いかも!)

「この人は障がい者やから…」というような
特別視みたいなものが、最後まで私のことを邪魔してしまったのです。
特に出場者の人ととくに縁もゆかりもない私みたいな人からすると、特にそう思ってしまったのではないかと思った。

このイベントのモデルは海外でやってるデンマークの「グリーンコンサート」という野外音楽祭。
貝谷嘉洋さんが主催している。

[グリーンコンサートとは…障がい当事者団体が毎年開催する20万人規模の野外音楽祭(wikiより一部引用)]

おそらく最終的にはゴールドコンサートもこういうスタイルにして行きたいんだろうなぁって
勝手ながら想像したのだけど

今のスタイルだと、正直これにはほど遠い気がしている(グリーンコンサートに参加したことはないからわからないけど、野外音楽フェスみたいなものを想像して言っています)



ぱれコレにも期待をしつつ、どうなんだろうなぁと、想像できないながらも行ってみたら

いろんな人があの場に混ざっていて
みんなそれぞれ楽しそうで
親近感が湧くようなポップさだし
場が一つになった感じがあったし
何より、「障がい者だから、健常者だから」みたいなことをもちろんすっかり忘れていて
良い意味で「単なるファッションショー×音楽×ダンス」なイベントになっていたような気がします。
それが何より居心地が良かったです!

こういう場を、あたしは来年から作っていきたいんや…って
改めて感じた。
あやこは音楽を使って、きっとやるんだと思う
あたしは理論と実践をつなぐ人として、来年から。

実は、昔ファッションデザイナーに憧れていたとき(ずいぶん昔)
こういうイベントあったら面白いだろうなぁとか思ってた。
ファッション×チャレンジドのアプローチはなんてポップで可能性がありそうなんだ!と
考えたときがあったのだけど
まさかこんなに具現化されるとは…!と思ってすごく嬉しかった。
来年もやってほしいなぁ。

この話でうちらは結構もりあがって、いい気分で帰った。
あのイベントのあとは、どんな影響が周りにあるんだろうということも気になった。

とにかくこのイベントは、来年からのわたしにも大きなヒントを与えてくれた!
スタッフの皆さん、おつかれさまでした。
楽しいイベントを、どうもありがとう^^

さゆ
先週末、関西へ行った。

色々な展開の末、3年ぶりに泊まったtarocafeは相変わらずだった。

私のひとり旅に、テーマはない。

こじつけて言えば「むりやりの暇つぶし」をする、ということ。


本を読んだり、ゲームしたり、ちょっとうろうろしたり、つたない英会話をしたり、しただけ。


$田舎娘の都会日記。

2日目はたろかふぇをチェックアウトして
あー今度はもっと暇つぶしにこようって思って

親友と京都は嵐山をぶらぶらした。

田舎娘の都会日記。

田舎娘の都会日記。

田舎娘の都会日記。


$田舎娘の都会日記。

彼氏じゃないけど、男友達であれだけ時間を忘れて満喫できるんなら
彼氏や旦那さんといくとよりいっそう楽しめると思う!(みなさんぜひ!)

あとは何をしたとかいう詳細はいいや。

たった3泊4日を一緒に過ごしただけなのに、わざわざ10人以上も大阪に集まった
このテンションの高いみんなが好き。

最後に、とあるやつが(大体想像つきそうだ)、とあるメーリスで投げた

くさーいメッセージの一部を

素敵なのでシェアしようと思います。

***

「想い」は伝染する。って。無力な俺らでも、もしかしたら世界は変えられるのかも。って。


WorldShift Osakaのプレゼンのトリをつとめた倉崎憲が言ってました。

「世界中のみんなが血の繋がった家族になったら戦争は起こりますか?貧困はおこりますか?経済格差は起こりますか?」って。

どうかな、みんな?

俺は世界中のみんなが家族になったら「世界」ってもっと身近になると思ってます。

戦争や教育格差がなくなるかはわからんけど、もっと今より「世界」とか「世の中」が近くなる気がする。

俺達ってさ、すごく「無関心」であることをとがめられる時代に生きてると思うんだよ。

それはカタリバを受ける高校生も一緒。みんな一緒。

ただね、俺は思うんです。

「自分の周りにちょっと興味もったらもっともっと人生って楽しくなるんじゃないかって。」思うんです。

カタリバをやってる者として、そんなことをこれからも「自分の身近」とか「世の中」とか「世界」とか「愛する人」とかに発信していこうと思ってます。

別に表現方法がカタリバとかじゃやなくてもいいと思うのね。

自分がやりたいこと、したいこと、自分だけの表現方法、自分のやりかたで全然いいと思う。

ただ、これからも一緒に社会の「当事者」であり続けようね。

俺らが生きていく時代を、俺らの手でつくらないと面白くないよ!

そんなことを今思ってます。

***



ぼくが進路を毎度決めて行くなか、道創って行く過程に必ずこれがある。

結局自分の兄弟や家族がいちばんこの世で大切な存在なんだけど

「もし、あんたのアニキと弟が、突然飛び跳ねたり、スーパーで奇声あげたり、会話できなかったり、、突然行方不明になっちゃったり、してたら、あんたはどうする」と。

家族にいたらどうするよ、と

親戚が、いとこが、そうだったらどうするよ、

親友の兄弟がそうだったら、どうするよ、

彼氏や彼女の兄弟がそうだったら、どうするよ、



愛する人との間に生まれた愛しい子が、そうだったら、どうするよ。



そんなことを伝えて行きたいのです。
そんな当事者でありたい。

誰かがそんな、例えばいくつでもいいけど何かの「当事者」になって
各当事者が、周りの「当事者」に関心を持ち続けたら
毎日が少しでもあたたかく、なるんだろうなあと感じた。


いやーワールドシフト最終日ちょっと気になったなー。
でもやっぱり病人が気になったので病人への時間をとった。
でも、話を聞くと、倉崎くんの最後のプレゼン、涙をさそうような
かっけープレゼンだったみたい。


別に、あたしは同世代のリーダーとしてかっけープレゼンなんてできなくてもいい。
周りにいる人たちに、自分なりの表現で示していけば
自ずとどっかに道ができているんだと思う。

そういうこと。

それにしても、大体旅する前のタイミングって、なぜか自分荒んでるから
今回は少し潤った。

昼間の松葉での串揚げも最高だった。昼からビールも幸せだった。
三宮のデザイナーズマンションでのブルジョワ的目覚めも最高だった。

良い意味で何より何も考えなくてよくて、幸せだった。
ただただ考えたいことを考えて、しょーもなく楽しんだ数日間だった。

人生は旅だというアホがいるけれど

ぼくの旅が「むりやりの暇つぶし」だとしたら

そういう人生にしていきたい、んです。


今のぼくだと、もうちょい、先な気がする。

三宮を離れる電車の中
大阪を離れるバスの中

ぼくは、どっかに、なんか忘れ物をした気がして

現実にかえろうとする身体を心が引き戻そうとする気持ちと葛藤しながら

気づけば東京にいました。

この感覚が忘れられない。やめられない。

それは鶴城カタリバも同じく。

だから、少なくともぼくは、旅を続けます。

世界一周なんて、してないけど、胸を張って旅していると言い続けたい。



そんな風に、今の暮らしの拠点東京でも、世界でも、旅できるニンゲンでありたいです。

そんなことを、思わせてくれた関西の旅。

りゅーた、Kakujoyfulな海賊団たち、まじありがとう!



旅する仲間と旅する人生を。

スーパーハッピー!


さゆ