りぼんのナイト

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よろしくお願いします。

第13話 おかまのからしちゃん その2

からしちゃんからのお誘いを断りつづけていたある日。

夜中に実家の電話が鳴った。


母が出ると、電話の先の相手は無言。


切っても、またすぐにかかってくる。


数回目に私が代わりにでた。


すると。


受話器からか弱そうな男の声。


男「もしもしー。今どんな格好してるんですか?」


「は?」


男「ふーん。フーン。」(息が荒い)


「なんなんですか?」


男「え?あの、登録されてた方ですよね」


「何のことですか?」


男「す、すみません。」


がちゃ。


電話が切られた。


いたずら電話だと思ったけど、、、


なんで女性である母ではなく男の私に反応してきたんだ?


ハテナが頭の上に浮かんでいた。


二・三回同じようなやり取りの繰り返し。


しばらくしてとった電話で事態の把握が出来た。


男「もしもしー。はあ、はあ」


毎回違う男だ。でもやはり、か弱そうな声。


「だからなんなんですか、つぎから次から電話してきて」


男「す、すみません。あ、あの。と、とうろくされてたんじゃ・・・」


「だから登録って何のことですか?」


男「本当に知らないのですか?あ、じゃあ、いたずらされたんだ。」


「はあ、あなたがいたずらしてるんじゃないんですか?」


男「すみません。本当にすみません。正直に言いますと、私はゲイなんです。」


「え、あ、はい。で?」


男「で、ゲイ専用の伝言ダイヤルがあるんですが、そこのこちらの番号が登録されてまして。。。」


「はあ、で、それを聞いてかけてきたということ?」


男「はい。そうです。ごめんなさい」


「いや、あなたが悪い人じゃないことはよくわかりました。で、じゃあ、次々と同じようにかけてくるかもしれな
いんですね。何も知らないゲイの方が。。。」


男「伝言は12時間預けられています。でも、あとからどんどん登録されたら、最新の10件だけが聞ける仕組みなんです。」


「12時間か、長いな。なんかいい方法ないの?」


男「電話番号とパスワードをお教えしますので、10件分何かを登録すれば、消えますよ」


「私がゲイの伝言ダイヤルにメッセージ入れるの?えー、やだなー。」


男「だったらあと12時間待つしかないですね。」


「そうか。わかりました。でも、あなたいい奴だね。」


男「いや、すみません本当に。」


その後、なんでゲイになったのかとかいろいろ話こんで電話を切った。


さてと。

どうしようう。


次の電話がかかるまでに。。。


プチっ。


ジャックを抜き、電話がかからないようにした。


次の日の昼までには戻るだろう。


結局、誰がいたずらしたかはわからず仕舞。


その日からお誘いの電話もなにもかからなくなっただけ。

第12話 おかまのからしちゃん その1

りぼんが店じまいをした後、ママの知り合いのお店に行くこともよくあった。


中でもおかまバーは僕の初めての経験だった。


「六番町」のママは丸坊主のおじさん。


だけど物腰やわらかい生粋のおかま。


いつも着物を着ていた。


「六番町」には5-6人のおかまさんが働いていて、中でもからしちゃんは初めてその店にいったときから僕のことを気に入ってくれた。


からしちゃんは元子役。


東京から流れてきたのだという。


僕も見ていた人気ドラマの準主役。


主役の○○チャンと妹の△△ちゃんがタイトルになってる人気シリーズ。


そのドラマで、がり勉のちょっといやみな役どころ。


ドラえもんでいうところのスネオあたりがそのキャラ設定だろう。


すごいね。元芸能人じゃない。


僕は彼から芸能界の裏側や、子役の苦しみを色々教えてもらった。


おかまはお客さんを盛り上げるのが天才的にうまい。


カラオケを熱唱す僕を夢見る乙女のようなつぶらな瞳で凝視し、拍手喝采、手拍子、奇声。全身で歌を聞いてくれた。


なかなか気持ちがいいもんだよ。


一生懸命歌ってるのを一生懸命喜いてくれる人がいるってことは。


それから、彼は、盛んに僕を飲みも誘ってくれた。


お店に来てくれという営業ではなく、りぼんで飲んだり、居酒屋でご馳走してもらったり。


いや、僕はゲイではない。


だから、男友達として飲みに行ってたんだ。


だからおごられるのはどうもしっくりこなかった。


でもいつも誘ったのは自分だから。といって受けとてくれなかった。


僕もそれに甘えてた。


からしちゃんは積極的だった。


当時は携帯なんてものはない。


友達になれるだと思ってたから、家の電話や、会社の名刺を渡していた。


積極的過ぎるアプローチに、このままだとさすがにまずいなと思い始めたころ、、、


家に電話が掛かってきた。


僕には妹がいる。


彼女が電話にでた。


「お兄ちゃん。電話。ちょっとかわった人だね。」


誰だろ。


「替わりました。もしもし」


「誰よ。今の女。△○□、、、きーー。」


いつものからしちゃんじゃない。そう思った。


「いやいや。妹ですよ」


「本当なの?なら安心したわ」


そんなことが続き。。。


だんだんと誘いに応じないないようになっていった。


家にかかる電話は居留守を使うことが多くなっていた。


それでも連絡をとろうとするからしちゃん。


会社に電話がかかってきたときにはさすがに肝が冷えた。


ダイヤルインではなく大代表の電話。


総務につながる。


「おい。佐藤電話。さっきの電話誰だ?なんか、おまえ大丈夫か?」


総務の一年先輩の八木さんから忠告を受けた。


「大丈夫じゃないかも知れません。。」


「おいおい。会社に迷惑かけるなよ」


「はい。すみません」


何事もないことを祈るばかりだった。


第11話 ネッシーの涙 その2

飽き性のママがダイエット続くわけない。

誰もがそう思っていた。


当分その話題もなかったし、確かに耳にちっちゃなバンソウコウのようなものが
貼られているのを見かけたことはあった。


毎日見てるとあまり気が付かなかったんだ。


だけど、ある日を境に久々に来たお客さんたちからある言葉が口をついて出るようになった。


「ママ、どうしたん?やせたんじゃない?」


そういわれてみれば、確かにすっきりしたような。。。



聞けば、殆ど食欲が湧かないという。



耳たぶに食欲抑制のつぼがあり、そこに金のちっちゃなハリを打っている。


食べてないなら、あまり健康によくなさそうだし、無理やりにでも食べさせてほうがいいんじゃないかと皆が口々にいった。


賭け云々ではなくそう思った。のも事実。


食べて賭けがなくなればいいのにとちょっとだけ思ったのもこれまた事実。


結局1ヶ月で8KGダイエットに成功し、ママはまんまと賭けに勝ってしまった。


・・・

困ったのは実現できないようなことを賞金とした私たち。


飛び降りるといった人は名前も知らないが、その後見かけなくなった。


ほんとに飛び降りた???の?


いや、それはないだろう。


10万円出すといった石田さんは泣く泣く5万円ぐらいの貢ぎもので勘弁してもらった。



そして、、、


”ネッシーの涙”を採ってくるといった私は、



未だにその約束を果たしていない。


「まあ、ずーっとまっとるよ。」


そういわれて以来、何もしていない。



今では数年に一度程度だが、顔を合わせるたびに
「佐藤君、”ネッシーの涙”待ってるんだけど。。。」とママがいう。


んー。あげたいんだけどね、採りに行く機会がなかなかないんよ。


行った時には必ず採って来るけーね。


ママ、それまで元気で待っててね。


私はいつもそうやって誤魔化している。


現在、夜の仕事をやめ、脳の手術後のリハビリを懸命に続けるママ。


「絶対じゃけーね。”ネッシーの涙”持ってきてもらうまで、わたしゃ死ねんよ。」


約束を果たせてない自分の不がいなさは重々わかっているが、
それを活力にして立ち上がろうとしてるママがいる限り、簡単に別の物で代用するわけにはいかないのだ。



そうして今日も”ネッシーの涙”を探して夜の街をうろついている私がいる。


第10話 ネッシーの涙 その1

突然の宣言だった。


ママがダイエットを始めるという。


ママ曰く、「これでも若い頃は、さきよりもきれいだったのよ。」


誰も見てないのだから真偽のほどは確かではない。


ただ、美人の娘の母親なのだから、まんざら嘘ではないとは思う。


ママは、感化されやすい。

ママは、言い出したら聞かない。

ママは、小さなことをとてつもなく大きくする。

ママは、騙され易い。


ダイエットの話をし始めたときもどうせ誰かに吹き込まれたんだろうと皆が思っていた。

実際、仲のいいスナックのママがそのダイエットをしていて、ちょっと効果が出たという話を大げさに話したのだった。



耳つぼダイエット。



当時、聞きなれなかったそのダイエット法は、耳に針のようなものを打つことで
食欲が減退し、摂取カロリーを控えることで結果ダイエットになるというもの。


皆が反対した。


費用も高かったし、あまり成功例も聞いたことがない。

当時は怪しげな宗教や健康食品の類が横行していた時代。


「そんなダイエット聞いたことないし。」
「健康的ではないんじゃないの?」
「やめときなよ。」
「やせなくっていいじゃん。もう。」


皆が口々に反対する。

余談だが、人がダイエットをするっていうと、反対されるのはなぜなんだろう。


その言葉はママの闘争心に火をつけた。

しかも、「もう」ってところがママの琴線に触れたらしい。


「やってやろうじゃないの。」


母親とはいえ、さきは女としてのライバル。

まだまだ女としても現役である(と思ってる)ことに皆、気がついてなかった。


失礼極まりないが、当時若かった我々からすると、「もう」だったのだ。


「じゃあさ、もし成功したら、5階建てのビルから飛び降りるよ。俺。」

「俺は10万だす。成功したら」


その場にいたお客さんが、ママのダイエット成功などありえないと信じ、いろんなものを賞金として提案した。


「ははは、成功するわけないじゃん。そんなわけの解らないダイエットで」


私も呆れ顔でそういっていた。


マ「佐藤君は何してくれるんね。」


「そうね、僕なら・・・ネッシーの涙でも採ってこようかな」


ご存知とは思うが、ネッシーとはイギリスのネス湖に生息するといわれる未確認生物のこと。


生存してるかさえ確認されていない生物の涙を、成功の暁にはプレゼントするという約束を場ののりでしている僕がいた。


つづく。

第9話 競馬の先生 その2

「各馬一斉にスタートしました。」

もう、テレビが何を言ってるかわからない。


昨日からアタマの中は真っ白なのだ。


そして、ゆっくり時(とき)が流れ、耳に音が入ってこない。


眠れなかったんだ。


あれから。



レースも終盤に差し掛かった頃、ようやく時の流れと耳の音量が正常に戻ってきた。



実況が叫ぶ。

「オグリです。オグリが来ました。最後の最後にオグリが復活しました。」

単勝人気5.5倍。



とめどなく溢れる涙は、オグリ復活の感動と生きれる喜びの現れだったのだろう。


実は、前の日お店が終わった後、さきが僕にこういった。


さ「知ってるよね?なんか熱く語ってたけど大丈夫?私には怒らないけど・・・」


「え、舞踏派なの?」


さ「そんなことないと思うけど・・・もし外れたりしたら・・・」

どうも歯切れが悪い。


「コ、コンクリかなー?」


さ「それはないよ。多分。」


「た、たぶんって。」


・・・


なにはともあれ、オグリが奇跡的に1着になったがためによーさんは大当たり。


500みゃんえんいったらしいと後から聞いた。

払い戻し2750みゃんえんってこと。


ほんともう、生きた心地しませんでしたから。



翌週の月曜日。


よーさんは上機嫌で、僕のことを「先生、先生」と連呼し、僕の当時の憧れ”ヘネシー”をキープしててもらった。


僕はそうして、「競馬の先生」と呼ばれていた。


金額的にも怖かったのでもう二度と予想は教えないでおこうと思ったのだけど、


よ「もう一回だけ」


と頼まれて、


「本当に今回は自信ないですよ、信じて買わないでくださいね」

っていってつい言ってしまったあの日まで。



・・・


その日を境に私は競馬から足を洗ったのです。

当ったかって?


当らなかったから足を洗ったのですよ。


じゃあ、よく生きてたねって?


当分店に行く前に電話しましたよ。


今日来られてる?って。


ほとぼり冷めるまで地下(会社)に潜伏してました。


大分たってから、一度鉢合わせたときの”あの眼”はいまも忘れ得ぬ思い出です。




PS.そんな私と友人亮ちゃんが競馬予想ブログはじめました。

「亮ちゃんの草競馬」 です。

よろしくー。


第8話 競馬の先生 その1

毎日のように顔を出してたあの頃。

自分の中では、もうお客さんというよりはオーナの気持ちだった。


飲み代以外に一銭もお金は出してないんだけどね。


客足が途絶えると、どうやってお客さんを呼ぶかということをテーマに話が始まる。


逆に忙しくなると、自ら「自分の世界」に入っていく。


「自分の世界」とは、当時はまっていた競馬予想。


週初は週末のレースを回顧し、週中には週末のレースに想いを馳せ、週末には気合入れて予想する。


端っこに座った、その場所にあまり似つかわしくない若い客は、いつも競馬情報誌や、新聞を食い入るように眺めてみていた。


「いいのほっといて?」
よく他のお客さんがさきにそう聞いてた。


さ「ああ、さとうさん、いっつもじゃけー」


僕は聞こえてるんだけど、集中してるふりをして無視してた。



ある日、広島の夜には欠かせない筋の方から声がかかった。


その人は、さきが昔勤めてたクラブ時代からのお客さんで「よーさん」と呼ばれてた。


言われなければ普通のガタイのでかい御兄さんだ。



よ「失礼ですが、いつも何をみられてるんですか?」


「あ、すみません。気になりましたか。競馬好きなもんで、勉強してるんですよ」


よ「競馬ですか。なら、今週の予想を教えてくださいよ。」



週末は有馬記念。

有馬記念は1年の最後のGIレースで、オールスター戦って感じのお祭り。

しかも、平成の怪物「オグリキャップ」の引退レース。



「いやー、全然自信ないんですけどね、、、ただ、私が買うのはオグリです。」



よ「ええ?オグリ?もうだめじゃろ。ありゃー。」


そう、その頃は全盛期のオグリの走りが見えなくなっていた。

まあ、だから引退を決めたのだろうけどね。


「いや、来ます。八百長はないんでしょうが、JRAはオグリに最後の花道を贈るはずです。あれだけ活躍した馬です。最後は飾らしてやりたい。ていうか、やって欲しい。いや、ダメならダメだったでいいんです。僕自身たくさんあの馬から勇気をもらったので。。。」


涙、流さんばかりに目をうるうるさせて、熱く語っていた。



よ「そうか、そこまでいうんならオニイサンにのって見ようかの。」


「いやー、あくまで私の予想ですから・・・」


よ「よし、決めた。明日はオグリ一本でいこう。」


「いや、あのーーーー」


・・・既に聞く耳持たず。


翌日、


ファンファーレとともに、有馬記念のゲートは開かれた。


僕にはまったく聞こえてなかったけど・・・

なぜなら。。。

つづく

第7話 安全パイ

りぼんにはたくさんの常連さんがいた。

大きくわけてママのおなじみさんとさきのおなじみさん。


ママのおなじみさんの中にはさきのことを娘(恋人)のように
熱愛するおじさんも少なくは無かった。


僕はさきの先輩としてこの店に辿りついた。


でも、さきを自分の恋人にしようとはあまり思わなかった。


当時僕には付き合ってた大学の後輩がいたし、さきにも彼氏がいた。


ただ、それぞれに相手がいたから恋人にしようとしないのではなく、
恋人としての愛情というより、僕のさきへの想いは家族愛に近いものだったのかもしれない。


さきの数々の恋愛遍歴を側でみてても心をかき乱されることは殆ど無かった。


さきは何でも僕に相談してくれたし、僕もさきには完全に心を開いていた。


このころからか、ママには内緒よって、いろんな話をしてくれた。


寝てもさめてもママと一緒の生活だからいろいろ鬱憤が溜まるんだろう。


ママもそれを知ってか、二人を残し、ご飯の途中で先に帰ることも多かった。



男女の友情なんて存在しないってよく言われる。


僕は女性的な側面を持っているからなのか、女性の友達が多い。


自分でいうのも変だが、決して男性から嫌われるというタイプでもないと思う。


さきは僕の異性の友達としてのパイオニアである。



会社に入ってすぐ、僕には同期の仲の良い3人組ができた。


一人は中・高・予備校が一緒で大学は違うんだけど、会社に同期として
入ってきた「かず」。

会社に入るまではお互いの存在は知っていたけど、そこまで仲がよかった
わけではない。


もう一人は、短大卒の3つ年下の女の子。

女の子というよりは男まさりタイプの「いしだ」。


会社は同じだが、配属された部署が違ったのでなかなか時間が合わなかったが、
一人暮らしの「いしだ」の家で待ち合わせて遊びに行くことも多くなった。


当然、流川で飲むときは、「かず」も「いしだ」も、りぼんに顔をだした。


3人が行くと店ではカラオケバトルが始まる。


声の高い僕は、いしだが自分で歌う為にリクエストした曲を、もう一本マイクをもらい、彼女よりでかい声で熱唱し、よく怒られてた。


かずは甘い声で歌う。

でも選曲はガッチャマンと山ねずみロッキーチャックとひろみ郷。

これがめちゃくちゃうまい。


というか、盛り上げるのが天才的にうまい。

彼のレパートリーは、結婚式で披露して欲しいと切に願っていぐらい。



さきは、いしだに同じにおいを感じたのかすぐに仲良くなり、休日にいしだの家で
鍋パが開催されるときには決まってさきもやってきた。


飲んで騒いでその後は、ざこ寝。



かずは遅くなってもどうして家で寝たいといって夜中に帰る。



僕は男一人、女性二人に囲まれて寝るのだけど、、、


なぜだか間違いは起こらないのだねこれが。


。。。

そうして僕は彼女達のなかで安全パイとしての不動のポジションを獲得することとなったのだ。


第6話 日課

ほぼ毎日のように通うようになったのは大学を卒業し、会社に入社してからになる。

会社の事務所が流川の入り口にあったこともあり、会社が終わって、特に用事が無いときは

いつも顔をのぞかせていた。


入れてるボトルにはホワイトのペンで一杯の落書きがされている。


落書きが多いほどなにか安心感があった。


いつも何か落書きしてもらってた。


ボトルのネックには、カラオケのために貯めている100円玉が入った子袋と、

僕の名前がかかれているプレートがぶら下がっている。


ウイスキー、ブランデー、バーボン、コニャック。


なぜか当時は茶色いお酒を水で割って飲むのが主流だった。



「今日、百姓一揆いこうや」

トイレにたったママが通りすがりに耳打ちする。


僕は他のお客さんに気がつかれないよう知らん顔して小さくうなずく。


1時を過ぎるとよっぽど盛り上がっている場合を除き、お会計が始まる。


僕のお会計を順番を最後にまわすことで、お客さんが全ていなくなるまで店にいルことができた。


その後は簡単なあとかたずけを手伝う。


行ったときの僕の担当は掃除機。

椅子を上げて掃除機で塵やオードブルのピーナッツのカスを吸う。


ママはコップを洗うなどの水廻り、さきはテーブル廻りを担当。



終わってからママとさきと一緒に夜食を食べて家路につくのが好きだった。

「百姓一揆」はぼろぼろのお店なのだけど、朝までやってるし、ホテルのシェフをやってた

おいしい料理をだす料理人”よーちゃん”が一人で切り盛りするお店だった。

いわゆるアフタというものなのだろうが、他の人が想像するそれと違うのは

ママが会計をしてたということだ。


ママはそのうち、僕のことを”うちの息子よ”と知り合いに紹介するようになった。

第5話 端っこの客

広島ではスナックのことをスタンドとよぶ。


もしかしたら細かな区別があるのかもしれないが、その店はそうなのっていた。


決して立ちのみではない。


大阪ではスタンドってきかなかったから、地域限定なのだろう。


どの地域でそう呼ぶのか知ってる人いたら教えて欲しい。


システムはセット2750円。(時代に応じて値上がりはしたよ)


ボトルはダルマと呼んでたサントリーオールドが一番やすく5000円だった。


あとは何時間いても値段変わらず。


カラオケ一曲200円のみ。


当時はレーザーディスクを自分で取り出し、裏表を確認して
機械にセットするタイプ。


歌いたい人は灰皿に沢山の百円玉を入れておくのがルール。


七時から一時までが営業時間でたまに盛り上がると三時ごろまで開いていた。




「ただいま。」


僕が疲れた声を絞りだす。


マ「おかえりー!。」


百倍のテンションで、ちょっとだみ声気味のママの声がかえってくる。


ママはさきのほんとのおかあちゃん。


さきにもましてママは豪傑だ。




椅子に腰掛けるとさきがおしぼりもってくる。


さ「いらっしゃい。つかれたじゃろ。なんかたべてきた?」


矢継ぎ早に聞かれる。


「ううん、何も。キクヤでかつどんとってや。」


何も食べず、何も飲まず、一番最初にこの店に来ることが多かった。


さ「ママ、佐藤さんキクヤのカツ丼だって。」


マ「またカツ丼ねー。たまにははちまきの弁当にしんさい。いろんなもんがはいっとるんじゃけ。」


ママはぼくの本当のお母さんよりずけずけと僕にはいってきては、

ずばずば言いにくいことも言ってきた。


僕だけじゃなく、広島の夜には欠かせないちょっと怖い感じのお兄さんにさえそうだった。


だから、ここではいつもみんな丸裸だった。


あ、精神的にだよ。


いいことも悪いことも他の人には内緒のこともここでは全部白状してた気がする。


注文が決まると夜の電話帳で調べて電話する。


通称「夜電」。飲食店専門の電話帳があった。


インターネットという言葉すらなかった時代。


店まで配達してくれる店をこの本でよくさがしていた。


なかでもキクヤのカツ丼はカツ丼フリークの僕がお薦めする一杯。


ママのお勧めは、はちまきのお弁当おかずが沢山でボリューム満点だった。



端っこにいつも陣取り、店でいつも出前のご飯食べてるさきの先輩。



「あれ、だれだ?」
「例の、ほら・・・」


いつのまにかこの店のお客さんで僕のことを知らない人はいなくなった。