2007年7月13日、日本の演劇界に確かな足跡を遺した人物がこの世を去った。
 
劇作家、演出家、太田省吾。 御年67歳だった。
 
目の前に一冊の上演台本がある。 この本は、すでに30年も前に書かれた本。
 
『はじめに見えたもの』というタイトル。
 
1996年、阪神淡路大震災の翌年から再演して、今年で16年連続で文化庁による助成金を得ての巡回公演を毎年続けている。
 
文化庁からの助成金を得ることで、児童数が少ないために予算が足りなくて芸術鑑賞会の開催が困難な学校での公演を可能にしている。
 
なぜ、この作品ばかりが毎年選考され続けているのか?
 
それについて、他の劇団の方々も含めて異議を唱える者は誰ひとりいない。
 
公演先の全国の子どもたちから寄せられる感想文が大人たちに衝撃を与え、圧倒的な支持を得てきたから。
  
教育委員会をはじめとする選考委員の方々が口にする言葉は、
「この作品だけは、外せない」「どうしてもこの作品を子どもたちに観て欲しい」というもの。
  
選考委員のある方が言う、「これは、えこひいきだなんだかんだって言われたって仕方がないよ、作品がイイんだから・・・」
 
太田省吾の書いた上演台本には、不足が一切なく、余計が一切ない。
 
90分間、子どもたちを舞台に釘づけにし、ハラハラ・ドキドキさせて、最後には、新しい世界観、価値観を育むきっかけを与える。
 
これは当劇団の演出家であり脚本家の高倉から聞いた話なのですが、
6歳になる年に終戦を迎えた太田氏は、そのときに世の中の価値観が急激に変わる現実を目の当たりした。
 
そこで、「大人が安易に出した結論を子どもたちに押し付けない」という考えが、作品に貫かれている。
   
だから、この作品を観た子どもたちの反応は、さまざまなのだ。そして、その反応が大人たちに衝撃を与える。
 
私は、太田省吾という人物に逢いたかった。
 
太田氏がこの世を去った後に、私は劇団とのつながりができた。
 
この作品は、奥が深い。 設定もセリフも、あらゆる面で考え尽くされている。
 
自分の考えが深まるごとに、作品の意味が深まっていく。
 
でも、これは、すでに30年も前に書かれた本なのだ。
 
いつの日か、この作品を超える作品を私も書きたいと思っている。
 
日頃から私は、日本の児童演劇界全体のことを考えている。
 
けっして、自分の劇団のことばかりを考えているわけではない。
 
だからこそ、先ずは、他の劇団の作品よりも優れている作品だと断言できる太田省吾の作品、『はじめに見えたもの』の公演回数を年間MAXまでもっていきたいと、そう願っている。