こんにちは、
長女のミカタ、となみなおこです。

昨日、高校の同窓会に行ってきました。
クラス会ではなく、
卒業年度を越えた同窓生が集まる会。

初めての参加、
しかも大先輩とご一緒かと思うと、
昔の優等生気質が顔を出しそうで

少し緊張しながら行きました。

結果的には・・・

諸先輩方が素敵すぎて・・・♡♡♡

もう、大感動して帰ってきました。
私は女子校出身ですので、
同窓生は皆さん女性。
最高齢85才の大先輩。
背筋がシャキっとしていて、
ご自分の想いを鮮明に言葉にできて、
憧れる!

そんな先輩方の姿を見て、
あの学校に通わせてもらえた
両親への感謝が心の中にいっぱいです。

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そんなことを味わっていたら、
同時に思い出したことがありました。

「あぁ、これが私の世界って
    ほっとしたんだよね」
と打ち明けてくれた友人の話です。

その友人Sさんは私立の学校に
通って育ちました。
校内のご挨拶は「ごきげんよう」
というお約束があって、
学校の友達とはその挨拶を交わしながら
思春期を経て…

大学を出て…
社会に出て…

だんだん感じるわけです。

この挨拶をする私は
〝普通じゃない〟

って。

もーお嬢様なんだから~(ノ´▽`)ノ

確かに周りの人にそう言われていた
Sさんの姿を私も見たことがあったなぁ
と思い出します。

普通じゃないと感じて、
なんだか肩身の狭い思いをしてた
Sさん。

あるとき、
街でバッタリ、その頃の友達の
お母さまに会ったそうです。
とっさに

「おばさま、ごきげんよう!」

とご挨拶した自分がいた。

「あら、Sさん、ごきげんよう!」
と再会を喜んで下さって…

すごく、
気持ちがよかったんですって。

たぶん、そのご挨拶は
Sさんにとって
十代の環境の象徴ではないかと
思います。

普通ではないと
肩身の狭い思いをしていた頃は、
自分の十代を良しと出来なかった、
そんな状況だったのではなかったのか
と思います。

人に良いとか悪いとか評価されても、
自分の育ってきた過去は
自分を形成してきた、
自分の一部のようなもの。

それを自分で良しと出来ないなんて、
自分の一部を隠していたいのと同じ
でしょう?

育ってきた学校、
ご近所さん、
実家…

いろいろあったとしても、
やっぱり懐かしいし、
しっくり来るし、
居心地がよい。

つらくて記憶から
シャットアウトしたい方も
いらっしゃると思います。

でも、そうでないなら、
人がどう思おうと、
私が自分の過去の環境に感じる
ほっとする感じ。
それを大事にしていけば
いいですよね?

人におおっぴらに語らなくてもいい、
わかる人とだけ分かち合えばいい、

私の大事な
ほっとするところ

人がどう言うかを考えて
肩身の狭い思いなんてしたら
かわいそう。

私も改めて、
結婚して気づいた実家での習慣や、
離れてわかった母校での教育や、
そういうものの中にある
しっくりくる感じや
ほっとする感じを
そのまま思い出して、
懐かしんでみようと思いました。

自分だけは、
自分の大切なもの、
大切にしておきたいですね。