前回に引き続き、
「ふつうの人」の人生、後編です。

重ねて申し上げますが、
これは、私が考えている
「よい人生」でも
「悪い人生」でもありません。


「私が経験したこと」
を書き記したものでもありません。

「ふつうでない」ことに
不安を感じる人の多い世の中。

では「ふつう」って何なのか、
を見るために、
私の世代の人が、おそらく
「ふつう」って考えている
であろう人生を、
私が経験した視点や
私の周りの人が経験した視点で
敢えて具体的に書いているだけ
です。

大人時代に入ってきますと・・・
生な感情が動くのか、
書いていて、かなりチクチクします…>_<…

では、いきます。
大人バージョンは、
内容が込み入ってくるので、
女性の人生に絞って書きますね。


4月、入社した会社で
同期と一緒に新入社員研修で鍛えられたあと、
配属先での仕事が始まる。

知らない業務につまずき、
失敗をしながらも、
先輩や同期、上司に助けてもらいながら成長。
男女の差を感じながらも、
女子に与えられた役割をうけとめ、
女子としては平均的な早さで昇進していく。

男性のパートナーと
紆余曲折ありながらも結婚を決め、
緊張しながらも両家に挨拶をして、
結婚を認めてもらい、祝福されて婚約。
職場や同性の友人、親族など
数十名の人を招いての結婚式を挙げて、
お祝いしてもらう。
結婚式の費用の負担をどうするかについては、
少々もめたが、新郎の実家の地域の習わしに従うことで落ち着く。
結婚式に引き続いて新婚旅行に行き、
職場へのお土産を山ほど買って帰ってくる。
婚姻届を提出して、法律的に夫婦となり、
同じ家で暮らし始める。
婚姻届を出したのと同時に、
新しい姓に変えて仕事しはじめ、
しばらくは違和感と戦うが、じきに慣れる。

結婚して数年の間に第一子を妊娠、出産。
育児に専念するために仕事は退職。
障がいも成長の遅れも病気もなく、
平均的なペースで成長する我が子の成長を喜び、
時には友人と愚痴を言ってガス抜きしながら、
実家の母親に相談したり、
嫁ぎ先の姑の意見をうまく流したりしながら、
子育てをする。
数年して第2子も生まれ、
上の子との違いに驚いたり悩んだりしながらも
自分の時間なんてまったくない育児どっぷりの
毎日を過ごす。
夫は仕事も忙しい盛りで、あまり協力は得られないが、
土日は担当してもらって、そこでリフレッシュ。

公園デビュー以来、幼稚園、小学校と
ママ友との付き合いも続く。
苦手な人も多少いるけれど、
とても共感できる友だちも出来て、
なんとか折り合いをつけられる毎日。

苦手だった家事も、
毎日頑張るうちにいつの間にか手際よくできるようになり、
子どもの事も考えて、添加物のない食品を使ったり
冷凍食品を出来るだけさけたりして、
バランスのよい食事を作れるようになる。
ときどき身体に良いケーキなどのお菓子も焼く。
洗濯や掃除もどんどんスキルアップ、
最近はグリーンなどを飾る余裕も出てくる。

小学校高学年くらいから
子どもの自我が出てきて扱いにくくなってくる。
隠し事も増えるし、口数は減る。
不安定な子どもに接して、私もすごく不安定。

思春期の難しい時期、ずっしりしんどさを感じるが、
数年経つと反抗期も落ち着いてきて
少し大人になってくれたかなとほっとする。

高校受験、大学受験を経て、
子どもも大学生活。
アルバイトなどで忙しいし、
友だちと外泊などと言うが、
もしかしたら彼氏や彼女との関係が進んでいるのかも。
まだ早い・・・と思いながら、
特に出来ちゃった婚などの展開もなく、
ときどき家にも連れてくる。
感じのよい子なので、まぁいいかな。
それより、就職活動への不安が募る。
いまどきは、親向けの就活セミナーもあり、
何度か顔をだして勉強をする。

卒業前までに内定をもらえ、
あまりメジャーではないかもしれないが
本人が行きたい会社なので意思を尊重して送り出す。

子どもが初の一人暮らし。
心配なので、物件などは一緒に見に行くも、
子離れのため、関わりは自分でセーブするよう
必死に努力、
子どもとの距離感に少し慣れ、
子どもとのコミュニケーションも安定する。



ここくらいにしておきます。

「ふつうの人」の人生を、
私なりに想像して書いてみました。

読んでくださった皆様は、
どんな風に受け取られましたか?

・私の思う「ふつう」と全然違う
・え、ここに行っていない私、ダメなのかなぁ
・「ふつう」って何!?感じ悪い!!
・あらー、私、全然「ふつう」じゃないわ。

などなど、いろいろあると思います。

私は、自分で書いてみながら感じたこと。

「ふつう」って・・・
ただの幻想だな、
と。

まず、私が「ふつう」って感じることに
何の根拠もありません。
でも、なんとなく、
「こんなものだろうな、ふつう」って
思うものを敢えて書き出しただけです。

結果的にこういう人生を送っていらっしゃる方も
いらっしゃると思いますが、
別に大部分の人がそうなわけではない。

私が敢えて想像した
「ふつう」のパーツをつなぎあわせてみた
「ふつうの人の人生」

でも、私の周りには、
100%書かれた通りの人生を歩む人は
一人もいない。

いったい、誰を表すんだ、「ふつうの人」って。

ましてや、敢えて
超キラキラしている
目指したい人生かどうか考えてみるなら、
別にそうでもない。

しかも、書きながら、
たぶん、私が思う「ふつう」に
違和感を感じる方もいらっしゃるだろうな、と。

そんな多様性のある「ふつう」

「ふつう」から外れることって、
そんな大したこと、なのかな?

って思います。

気づけば私の人生と、
ものすごーーーく違いました!

そしてもうひとつ改めて思ったこと。

「ふつう」ってなんと残酷な言葉の凶器だ、と・・・

「ふつう」って言うことは、
「ふつうじゃない」っていうものを
とても簡単に切り捨てている感じがしました。

「皆が」っていいながら、
「ふつうじゃない」ことの存在を
どれだけ否定しているのか。

今回敢えて「ふつう」の幻想を具体的にしてみようと
書き出した文章。

心がとても痛かった。

誰もが平均的でないところを持っている。

なのに、人の平均的でないところを取り上げて
「ふつうじゃない」ってレッテルはって、
差別したり、見下してみたり。

先ほども書きましたが、
私の「ふつう」に違和感を感じられた方も
多いですよね。

私たちはそれぞれ、
育った環境や自分が体験したことによって
「ふつう」のパーツは大きく異なるはずです。

両親の離婚や死別はあったのか、
サラリーマンの家庭で育ったか、自営だったか、
共働きだったか、母親が専業主婦だったか、
兄弟はいたのか、親はどのように自分に関わっていたのか、
自分の性が自分にしっくり来ていたのか、来なかったのか、
学校はどんな学校だったのか、
先生はどんな人だったのか、
いじめはあったのか、
成績はよかったのか、悪かったのか、
受験はしたのか、しなかったのか、
お稽古ごとはしていたのか、
何かとても秀でた才能があったのか、
自分が不得意なことは何だったのか、
つらいと感じることはどんなことだったのか、
自分はどんな相手に恋心を感じるのか、
将来目指せと言われた職業があったのか、
どうしても入らざるを得なかった「枠」はあったのか、
病気があるのか、
大けがはしたのか、
自分にあるいは家族に障がいや病気があるのか、
友だちとはどんな関係だったのか、
恋愛でどんな経験をしたのか、
結婚したのか、
結婚は早かったのか遅かったのか、
子どもが出来たのか、出来なかったのか、
離婚を経験したのか、
就職したのか、どんな会社に就職したのか、
どんな仕事をしたのか、




きりがないですが、
とにかく、いろいろな要素で、
すべての人が
「私オリジナル」な人生を歩んでいる
はずです。


孤独を感じる人ほど、
「ふつう」を目指す。
何故なら、人とつながれるから。

とある方がおっしゃっていました。

実は、「ふつう」を書きながら、
確かに、この中にいたら安心かも、
って感じたのも確か。
それは仲間が多そうな気がするから
なんですね。

・・・気のせいですけどね。

どうせつながるなら、
「素敵だな!」って感じる人
つながればいいよねぇアップ

だって、「ふつう」って
別にすごくかっこいいっていうわけでもない。
誰のことでもないしね。

今回書き出しをしてみて、
改めてわかりました。

「ふつう」っていう言葉は凶器でした。

私はやっぱり「ふつう」っていう言葉で
人に優劣をつけることは
すごく悲しいことだと思います。

すごく悲しいから、
「ふつうでないと」って縛られる人が
少なくなったら嬉しいし、
「ふつうじゃない」って言われて
傷つく人が少なくなったら嬉しい。

私も、
長いこと「どうあるべきか」って求めていて、
多くの人に認められる「ふつう」でない自分を
すごく責めていました。

でも、私が力を発揮できる場所や
自分が居心地がよい場所を求めた結果、
気づいたら
「ふつう」なんてことを全く気にしない、
私らしさを丸ごと受け止めてくれる仲間に
囲まれています音譜

「ふつう」は目指さなくていい。




だから、
「ふつうじゃない」ことに
不安を感じなくていいキラキラ


それよりも、
自分が一緒にいたい人や
自分が素敵だと思う在り方の人の
近くにいることを選ぶ
っていうのはどうでしょう?

今回も思いっきり長かったな。

私の実験。
読んでくださって本当に有り難うございます!!