「入院ジャーナル」

        股関節以外の日常は、

     「エミール外伝」 で狂喜乱文中!!

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敬愛する担当理学療法士とむさんに

とむさん、
温かいメッセージを
本当にありがとうございました。

とっても嬉しかったです。


3カ月間、本当にお世話になりました。

とむさんのおかげで楽しい入院生活を

送ることができました。

私がリハど真ん中、

とむさんがこのブログをご覧になっていること、

私も気づいておりました^ - ^)v


なんの問題もありません。



私の嫌いな言葉のひとつに「闘病」があります。

ただただ病を治すだけが人生のような、

男臭いナルシズムを感じて大嫌いです。



同部屋の大好きな先輩患者のひとりに

退院後、お会いした時、

「入院中は、ホントに天国だったわ」と

重みのある吐露をしていて、

やっぱり、この人、大好きだ!と思いましたけど、

我々整形外科の患者は、食事制限もなく、家事もなく、

3食&昼寝&リハビリ付きなんて、

幸せ以外のなにものでもないと心から思います。



患者の体を元に近い状態に戻す
手伝いをすることだけが

医療従事者の仕事ではないないように、

体を元に近い状態に戻すために心を尽くすのが

患者がしていることではないわけで、

実はネイル塗ったり、ネットしたり、園芸したり、

時にはシャバでの日常よりも

美味しいものを食べたりもしている。


そんな「闘病」という言葉からはかけ離れた

入院生活が必ずあるだろう、という推測と、

普段の日常からかけ離れた生活を送る、という意味では

ロングバケーションになるだろう、という推測から、

入院中の日常のホントを伝えたいと

この拙ブログを始めたわけでした。



やっぱり、推測どおり、というよりもむしろ、

推測以上に、どえらい楽しい時間でした。


入院というのは本当にいいものですねぇ~!

人生の転機と呼ばれるものであるとか、

節目と呼ばれるタイミングは、

ルーチンな日常の中では、

なかなかつくりにくいものですが、

意図的に入院という期間をつくったことによって、

自ら節目をつくることができました。



自分を探しに、インドとか行く人いますけど、

入院するほうが、よっぱど自分を知るんじゃないかな。



ガンジス川より、介護風呂に漬かれ!


だと本当に思います。



「結婚」というのは、

自分の人生にはないものだと

ずっと思っていましたし、

しなくていいものだと思ってきましたが、


てなことを、トントントンとかやっている最中に

よく話していた気がしますが^ - ^)v


入籍した途端、結婚はとっても大切で、

自分の人生に必要なことだと思えました(笑)。

へへへっ。

人間の価値観なんて、水素級に軽く、
歌舞伎役者の着替え並に、
早変わりするもんだぜ!
と我ながら思いますが、
それもこれも入院あってのこと。


また、


人間は誰しも弱者になる。

それを身をもって早いうちに知れたことも、

私の財産ですし、強みにもなりました。

ちょっとは以前よりも、やさしさを持つ人間に
なったような気がしないでもありません。
きっと気のせい。


そんな気のせいも含めて、かけがえのない
宝物のような時間をとむさんと共有できたこと、
とっても幸せでした。


いただいたトントントンの木は、

いつも私のデスクの下で、

裸足の私の足に踏まれています。



「リハビリでちゃんと使ってください」と

リハビリ室に響きわたるような

とむさんの声が聞こえてきそうですが、

とむさんからのメッセージを読んで、

さっそく本来の使い方でトントントンの木を使いました。

毎日、とは言えないですが、

ぼちぼち自主リハっております。



時々、こうして書き込みを入れていただけると
ヤベッ!と自主リハれますので、

遠隔支援いただけると幸いです。


これまでも&これからも、私にとっての

ナンバーワンリハビリニスト(エミール語)は、

とむさん以外にあり得ません。


野球で言うところの「長島茂雄」。

ザベストテンで言うところの「ルビーの指環」。

私の好きな食べ物で言うところの「エビ」です。



キングオブキング!


心より多謝です。



手術一周年記念



この拙ブログをご覧くださる方のほとんどが、

リハビリを卒業したから、ブログも止まってんだな、と

思われているであろうと思いますが、違うんです。




なにせ、本家ブログ「エミール外伝」も

止まってたんだから!




と、胸を張って言うことではないですが、

なんとなくブログ気分では

なかっただけなのでした。







しかし、今日、4月24日は、

私がRAO手術をしてから丸1年という

記念すべき日!




何か書き残したいと思い、

手術当日のことを振り返ってみる。











1年前の朝、下剤を飲み、

手術はまだかまだかと始まりを待ち、

やっとベッドに乗せられて

手術室へ行ったのが、お昼すぎ。




母と当時の恋人に見送られながら、

ピースサインをしてご機嫌な調子で、

手術室へ入る。




手術台に乗せられながら、

「写真家をされて長いんですか?」と質問され、

「いや、本業はカメラマンじゃないんですよ、私」と

軽妙なトークを交わしながら、

手術室を撮影できないことを悔やむ。




背中から麻酔医に麻酔を入れられ、

そのテクニックを大絶賛した時の

麻酔医の嬉しそうな顔!




顔に麻酔のマスクがかけられ、

「眠くなりました」と言った途端、意識がなくなった。









・・・・・・・・・・・・・・・








主治医に「イシダさん、起きて!」と起こされ、

「もうちょっと寝たかったです」と応え、

目覚め早々、手術室で笑いを取る。




ベッドに乗せられたまま、ちょっと休憩的な場所へ移動。


荘厳な感じのヒーリングミュージックがかかる中、

体調が戻るまで待つらしいのだが、体調が悪い自覚はない。




でも、えらく寒く、そのうち歯がガチガチ言い始め、

「むちゃくちゃ寒いんですが」と言うと、

シャラシャラと音がする、ジャンパー素材っぽい

軽い布をかけられる。






ベッドのまま移動して、病室へ戻ると、

母と当時の恋人が、かわいそうなものを見る目で

私をのぞき込んでくるので、憤慨するのだが、

心の中でしか憤慨できず、

顔や言葉など表現として憤慨する気力が出ないので、

ああ、確かにかわいそうな状態なのだな、と思う。





酸素マスクに、たくさんの管を付けられたまま

過ごす夜は、痛くて、孤独で、寝られず、

このまま死ぬのはイヤだな、と思い、

手術をしたことを後悔して、ひとり、泣いた。




結局、寝たのか、ずっと起きていたのか、わからないまま、

夜が明けたのをカーテンの隙間から見つけ、心底ホッとした。









20094月24日~25日のことは

一生忘れないと思う、きっと。











「・・・・」で表現した手術前と後で、

確実に私の体は変わった。




体質が変わった。




以前はカレーを見るだけで汗をかいていたのだが、

汗はかくものの、以前ほどではなくなった。


その代わり、普段暑がりになった。







感覚が敏感になった。




今まで使っていなかった脳の機能が

働くようになったんじゃないかと思う。







そして、体だけでなく、

精神が強くなった、と思う。

潔くなった、とも言う。




内田樹先生が様々な著書で

言っているような肉体と精神の関係が、

なるほどホントだわ~と

まさに、頭ではなく、体でわかったという感じ。









1年前の手術明け、歩いている自分さえも、

想像ができなかったのだから、

1年前、入院中の私を本当に献身的に

尽くしてくれた恋人と別れ、

当時、話したこともさほどなかった人と結婚するなんて、

誰が想像できるだろう。









よく「完治」ではなく、「つきあう」という

言い方を医療では表現するが、

その意味もよくわかるようになった。




手術前、手術したら完治するのであろう、

以前と比べ物にならないくらい

足が抜群に良くなるのであろうと思った。





だが、そういうものではない。


しんどい時もあるし、絶好調だなと思う時もある。

人の感情の起伏につきあうのと同じように、

股関節の調子にもつきあう。

そういうものだのだなと。





だから、「足の調子はいいの?」と聞かれるのが

一番、応えに困る。




自分的な感じでは決して悪くはないし、

医師的には絶好調であるそうだけれども、

疲れを感じたり、しんどい時もあるわけで。




でも、そう言うと、かわいそうな顔とかされて、

その顔を見ると、私の感情の始末が面倒なので、

「まぁ、ボチボチです(ニッコリ)」と

ファジー全開な応え方をしている。








しんどさの要因は、私が自宅でリハビリを

全然していないから^^;




これに尽きる!





誰かと一緒にする、決まった時間に行ってする、

というルールの中でやるならいいのだけど、

自由に自分ひとりでやって!というのはホント無理。





えんらいツラい時になってやっと、

ちょっとリハっておくか、とやる。





結局、自分をしんどくさせているのは、自分なのだ。









手術後、手術したことを大後悔したし、

この先、ずっと後悔し続けるのだろうか?と考えた。




1年経った今の応えは、

手術をしたことはYES




本当に良かったと心から思っている。





何度もこのブログで書いているように、

入院生活で出会えたすべてかけがえない時間だったし、

退院後の世界は、味わい深いものに大きく変わった。







手術をしようとした自分の決意は、

石田恵海人生史上の中でも、

五本の指に入る英断だったと思う。



えらいぞ、自分!






リハビリ通院卒業!


あけまして、リハビリ終えました!



昨年の12月いっぱいで、
リハビリ通院が終わりました。


嬉しいやら、不安やらです。




これまで、週1回通っていたのですが、
それがパッタリ終わるわけですから、不安です。


そこで、1月からは「イオンの日」程度に、
フェイドアウト的にリハビリ量を
減らしていけないものかと、
手術をした病院のドクターに相談したら、
「それで、いいと思うよ」。


しかし、リハビリ病院のドクターからは
「これだけ骨の付きが良いんだから、もう大丈夫!
ほかにリハビリをしたい患者がたくさんいるのだから、
その人たちにあげてくれ」的な言い方をされ、
しかたなく、12月いっぱいで
リハビリを卒業することになりました。




一番の不安は、ピカ痛などの
足の痛みが再発すること。


ドクターの診察は、いくら受けても
痛みを解消することはできないですが、
リハビリをすると解消できます。


そこで、リハビリ病院のドクターに
「もしも、足が痛くなったら、
リハビリに来ることはできますか?」
と聞いたのですが、
「自分でリハビリして治しなさい」と。



そう冷たく言われてショックを受けた、と
担当理学療法士にしたら、
「もしも、痛くなっちゃったら、
もう勝手にリハビリ、来ちゃえ!」。



ウルッときました。



以前、紹介したベーカリー・ウィズさんで、
からふるのTシャツなどを
委託販売させていただいているし、
ウィズさんのリーフレットの制作も
私が請け負うことになったので、
リハビリ病院方面には
別の用事でまだまだ縁が続く予定。



そう、担当理学療法士に話したら、
「じゃあ、来る時、連絡くださいよ。
歩く姿を見せてもらえれば、
リハビリや日常気をつけることなど、
何かしらアドバイスできると思うから」。



この人が担当で本当に良かった、
と思いました。




百錠の薬よりも、即効性のある注射よりも、
ぬくもりのある言葉のほうが、断然効くね。



医療や介護などの現場に必要なのは、
技術力よりも、コミュニケーション力!



ここ1年以上の病院とのつきあいで、
一貫して私が痛感していることです。




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