楽しみの日々 | いまのしゅんかん

楽しみの日々

わたしの趣味であるスポーツ観戦が復活した。

先週の火曜日にレアル-バイヤン戦をテレビ観戦したのを皮切りに、水曜日にはチェルシー-アツレチコ戦、木曜日にはユベンタス-ベンフィカ戦を観て、土曜日には久しぶりにハンドボールを生観戦しにいった。日曜日の夜にはハンドボール・ブンデスリーガのライン・ネッカー・ローエン-ハンブルグ戦を観た。

その前までは一切テレビなんてつけなかったのに、夜ソファにふとんをかぶりながら間接照明だけでテレビ観戦するのはなんともヒュゲリで嵌る。

 

日曜日の朝には、久しぶりにハンドボールおたくブログを更新。

http://ameblo.jp/danmarkhaandbold

 

生観戦で間近で巨体同志のぶつかりあいを観るのも楽しかったし、ハンブルグ戦で今のわたしの一番のお気に入り選手Joan Canellasのプレーを観るのも面白い。というか、ときめきを得ているというか。後頭部かなり薄くなってきているようだが、それでもわたしにとってはかっこいいといったらかっこいいのである。

観戦しにいったヨーロッパ選手権の準決勝戦で、あの強豪フランス相手に「俺がやったるぜ」という気合でトップスコアを稼いだ男気がいいなと思ったが、その後チャンピオンリーグのインタビューで終始目を細めた笑顔で応えているのをみて、そのかわいさとプレー中の男らしさとのギャップにすっかりやられてしまったのだ。

来季、生のCanellasを拝みにドイツに観戦しにいくつもりである。次回は日帰りで行く予定だけど楽しみである。



Canellas
Joan Canellas

 

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今日、先月日本旅行に行きすっかりFascinateされたPhDの子と実験室でまた日本の話をし、肉まんがおいしかったと聞いて食べたくなってしまい、勤務後コペンに行きアジアショップで蒸籠を買いにいった。

うまくいったら、職場にももっていこうと思う。

久しぶりのアジアショップだったのでいろんな食材を買い、今日は和食にした。いつかまたひとをよんで食事会をしたいと思った。

 

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日曜日に、聖書の会にも参加し、イエスが一番近しい弟子3人に、エルサレムで殺されることを予言し、しかし心配するには及ばないと諭すところについて話し合い、また考えさせられた。

イエスは、その予言によって、救世主の本当の意味を示唆する。すなわち「救世主」とは、当時民衆が皆期待していた、ローマ帝国の圧政に虐げられているユダヤ人社会を救うひとではなく、物理的には存在しないが、民衆のきもちを喚起する精神的な意味合いでの「救世主」であると。

苦しいと物理的にその現状を変えてくれるひとの出現を待ち望むのは、2000年前だけでなくいつの時代もそうで現代もしかりである。

 

個人レベルのことでさえ、誰かが自分の苦しみを救ってくれるのではないかと期待してしまう。

本当は、自分を救うのは自分しかいないのに。いや、誰かから助けを得たとしても、少なくとも自らイニチアティブをとることが大事なのに。

前の夫に出会ったときも、これでわたしの人生がバラ色に変わると思ったし、不倫相手ともそのときの苦しみを救ってくれるという期待をしていた。確か、破綻していた家庭の事情を思い切り吐露して聞いてくれたことでうれしくなり、彼にのめりこんだのだった。

浅はかだったと思うし、うまくいかなくて当然である。相手に幸せにしてもらうのではなく、自分が幸せで相手も幸せにするくらいじゃないといけない。自分が充実していなければ、結局相手にどんなに尽くされたとしても、もっともっとと求め、不満に思い続けてしまう。

 

なので今は、ひとりでさみしく不安ではあるけれど、ささやかながらも楽しみをみつけて充実していければなぁと思っている。