聴覚障がいがあるけど、制限を外して自由に生きていく!自然と仲良し♪ヒーラーまりりんの田舎暮らし日記

聴覚障がいがあるけど、制限を外して自由に生きていく!自然と仲良し♪ヒーラーまりりんの田舎暮らし日記

千葉県匝瑳市で、田んぼをやったり、古民家をリフォームしたり、ヒーリングをしたり、、、
のんびりと田舎暮らしを満喫中♪
田舎暮らしのこと、おうち作りのこと、ヒーリングのこと、書いていきます☆

Amebaでブログを始めよう!

2011年5月から、

聴覚障がいがあるけど、制限を外して自由に生きていく!
自然と仲良し♪ヒーラーまりりんの田舎暮らし日記

というタイトルで、アメブロを書いていましたが、
いろんな心境の変化があって、ブログを引っ越しました。

ただタイトルを変えるだけでもよかったんだけれど、
まっさらで新しく始めたくて、引っ越すことにしました。

以前の私はこのタイトル通り、
障害があるけれど、がんばってがんばって、自由になるんだ!
制限を外すんだ!と躍起になっていたと思います。

でもいろんな経験を通して、
障害を越えて自由になる、枠を外すと、やっきになるんじゃなくて、
このまんまの私を受け入れること、それだけでいいんだ、と
思えるようになりました。

そして自分のこと、、ヒーラーというのも
なんだか違うような気がしてきました。
このことは、新しいブログに書いてあります。

これからは、ただしんしんと静かに、
自分のやりたいこと、信じる道に向かっていきたいと思います。

もう2,3日前から、新しいブログを書いています。

自然と調和して生きる!
まりりんの里山古民家暮らし


また、HPも新しくしました。
以前はヒーリングがメインでしたが、
これからは、自然の大切さを伝えて、自然とともに調和する生き方を
お伝えし、その中で、自分らしく生きるお手伝いができれば、
と思っています。

そしてもうひとつ、以前から温めていたこと、
子どもの笑顔が輝く世界が作りたい、と思っていて、
その活動も少しずつ始めることにしました。

詳細は、HPをご覧ください。


魔女の自然とつながる学校

要な方のところに届きますように!

それでは、これからは、新しいブログ・HPで
よろしくお願いします。



20日に、岩手県盛岡市の

あすからのくらし相談室・盛岡 さんで、

幸せの学び舎-あすくら学校

「学びともに生きる学級・震災後をよりよく生きる

「あすからの生き方デザイン講座」」

で、お話させていただくことになりました。




私は、「土に触れる暮らしで、自分らしく生きる」というタイトルで、

SOSA PROJECTの活動や、私が移住してからの暮らし、

その中で感じていること、思いなどをお話させてもらう予定です。

プレゼンもまとめることができて、

あとは行くだけです。

私は美しい文章は綴れなくて、思っていることを

そのまま伝えることしかできないのだけれど、

自分の思いを素直に思う存分伝えられたらな、って

思っています。


岩手は初めて行きます。

ドキドキ、楽しみですきゃー

私を行かせてくれる、SOSA PROJECTのみんなに

感謝の気持ちでいっぱいですキラキラ



 

お盆休みも終わりましたね~あひる

って、、私はあんまり関係ないんだけれどへへ

それでもお盆は、お客さまが来てくれたり、遠出をしたりして、

おもてなしをして、おもてなしをしてもらって、

そしてまた、おもてなしをして、あわただしくも、

楽しく過ごしていましたWハート


13日は、ヒーリングを学んでいたときの友達が遊びに来てくれて、

一緒に夜ご飯。

彼女は、なんとだんなさんが、匝瑳出身で、

お盆で帰省していて、来てくれました。

私がこちらに引っ越すとき、東京から一緒に来てくれて、

最初の家のボロボロの状態を知っているので、

あれからきれいになったを見て、

「すごい~!」と感心してくれました。

そんなふうに言ってもらうと、やっぱりうれしいきらきら!!


そして14日、15日は、混雑を覚悟で

車で、山梨県の都留市へ。

昨年、MY田んぼに参加してくれたご夫婦が、週末移住をされたので、

そこに遊びに行きました。



Yさん夫婦は、もうすでに地元の方々と仲良くされていて、

いろんな人と出会えたり、

一緒にごはんを食べたり、

そして行きたいところに連れていってもらったり、

本当にお世話になりました。

ここでも、いっぱいお話をして、

私の話を聞いてもらったほうが多かったかな。

ふだんあまり人には話していないようなことも話せてしまい、

短い間だったけれど、

都留での、お二人との時間が、

私の心に何かを残してくれたように感じます。

都留滞在の詳細は、また次回にsao☆



帰ってきた次の日は、

今年のMY田んぼのKさん家族が泊りに来てくれました。

前日の夜に帰ってきたから、朝から掃除をしたり、

買い物に行ったりして、ばたばたで、

でも夜ご飯を作りながら、

料理を作ることが楽しいなぁきらきら

なんて思っていました。

あんなに苦手で面倒で、でもお客さんが来てくれるから

必要に迫られて作るようになったんだけれど、

いつの間にか、楽しいって思えるようになってた。

みんな、おいしい!って言ってくれるから、

うれしくて、ますます、これからも楽しんで作ろうと思えちゃう。


Kさん家族には、5歳の男の子がいるんだけれど、

そのYくんが私のことを好きでいてくれるみたいで、

ご両親いわく、

「うちの子は、ほかの人と話すのが苦手で、

下を向いちゃうんだけれど、まりりんさんは、

聞こえないから、お顔を見て話すんだよ、って伝えたら、

(苦手なのに)

一生懸命話そうとしてる。

まりりんさんにすごく話したがってる」って。

とても穏やかで優しい子で、

話す時もとても静かなの。

その静かな口調で

「まりりんさん、さくらちゃん(猫)はどこにいるの?」なんて

聞かれたりすると、私の心はとても温かくなる。

聞かれてもわからないこともいっぱいあるけれど、

言葉でのコミュニケーションが取れないけれど、

そんなことはあまり関係ないみたい。

Yくんと私は、共鳴しているんだ、と思った。

次の日の朝、特にいっぱい遊んだわけではないのに、

「帰りたくない」というYくん。

この家にいることが、居心地がいいって

思っていてくれるのかなって思うと、とってもうれしいキラキラ

やっぱり私は、大人よりも、子供の感性に近いんだと思う。


Kさん夫婦とは、Yくんのこと、

これからの暮らしのこと、などでいっぱい話をして、

楽しい時間を過ごせました。


世間のお盆休みの間、

いろんな人と出会って、話をして、思ったのは、

共鳴しあう人と、静かに、過ごしていきたいなってこと。

私は多くの人と話せなくて、そういうことがつらくなることも

あるけれど、これからは、きっと共鳴する人とは、

ちゃんと話が通じるし、言葉がなくても、分かり合えるんだろうなって思う。

だから人とコミュニケーションできないことを

つらく思う必要もないんだなって思う。

共鳴しあえる人は、たくさんいなくていいから、

少しでいいから、ねきゃー


そうそう、15日は、なぜか両親のことが頭に浮かんで、

(ちょうどみんな帰省中だからかな(高速道路が混んでた))

なかなか実家に帰れなくて、申し訳ないなっていう気持ちが

わいてきたけれど、

「帰れなくてごめんね、今とても楽しく幸せに暮らしているよ、

何も言わずに見守ってくれてる、お父さんとお母さんのおかげ、

ありがとう」って気持ちを心で伝えたんだ。
 

先日、個人セッションをさせてもらいましたが、

午後からの一番暑い時間帯で、

部屋の中で、扇風機をかけるよりも、涼しいかも

って思って、こんなふうに木陰にイスとテーブルを置いて、

やってみました。

 

そうしたらやっぱり部屋にいるより、涼しくて、

自然の風も心地よく、お客様も、

「全然暑くなくて、気持ちよかった~!」と

言ってくださいました。

またまた自然の素晴らしい力を目の当たりにして、

うちの周りは大自然じゃないけれど、

それでも自然の恩恵に十分あずかって、

暑い夏も気持ちよく過ごさせてもらっているな、と

感じています。


この前は、あるお仕事で、長時間エアコンの部屋に

いたのですが、確かに暑くはないし、肌もさらさらしてて

気持ちいいんだけれど、でも普段エアコンがなく、

汗をかいたらシャワーを浴びる、っていう生活に慣れてしまっているので、

汗をかかないのが、逆に不自然で、

こんなの夏じゃない~!って思ってしまいました。


この夏は、私はとっても元気です。

いつも気持ちは元気だけれど、それに体がついていかない、

だから、いろんなことがおっくうになってしまい、

動けない、ってパターンなんだけれど、

そうそう、熱中症になっちゃうし。

でも今年は前にも書いたように、太陽の光を浴びて、

旬の野菜をいっぱい食べて、

のどがよく乾くので、そんなときは、

自分で作った、梅酵素やシソジュースを飲んでいて、

そうやって、自然の恩恵にいっぱい預かっているのです。

そうやって、何よりも、自然のパワーを

いただいていることが、元気のもとだと思っています。


野菜は、いろいろいただきます。

なので、ほとんど買わなくても済んでいます。

この前は、いつもお世話になっている方に、

とうもろこしを米袋にいっぱいいただきました。

(とうもろこしの隣は、うちで採れたじゃがいもです)

 


「畑のおじさんが、もう捨てるから、って言ってるのを

もらってきた」って。

「だからあんまりよくないものだよ」って言われました。

実際、3分の1は全く食べられない感じだったのですが、

食べられるものも、お店で買うようにきれいに

粒がそろっているものではなくて、

食べられるところは、全体の半分だったりするものも

ありました。

それでも大量にあったので、いつもだったら、

もてあましてしまい、「ごめんなさい」って

捨てることもあったのですが、

今回は、なんとか全部使いたいな、って思って、

みゆさんにも手伝ってもらって、

全部ゆでて、粒だけにし、冷凍しました。

なんだか、全然きれいじゃない、粒がそろっていない、

トウモロコシがとっても愛しく思えたんです。

そしてそれをまず、コーンスープにしてみました。

コーンスープを作ったのは、実は初めて。

料理が苦手なので、今まではめんどくさそうって思って、

作ることなんてなかったんです。

でも作ってみたら、おいしかった~きらきら

やればできるね~エヘ


そのほか、ベニシアさんのハーブの本で、

しそゼリーがおいしそうだったから、

うちに自生していた赤シソは、ジュースを作った時に、

全部使ってしまったんだけれど、

近所のお店で安く売っていて、

やった~!と思って作ってみました。

ゼリーも作るのが初めてで、最初寒天の量がよくわからなくて、

ドロドロになってしまったり、入れすぎて、

今度は固くなったりしてしまったりしたけれど、

でもなんとか食べられて、うれしかったです。


食べ物の他には、うちにはびわの木があり、

その葉をエキスにして、虫刺されの薬として使っていたのですが、

しのさんが、化粧水としても使えるよ、って教えてくれて、

使ってみたら、普段使っているものよりも、

お肌がしっとりつやつやして、いい感じ。


汗をいっぱいかくので、汗のにおいも気になり、

でも制汗剤ってなんか気持ち悪くて、

ふと思ってアロマオイルをつけてみたら、いい感じ。


身近な植物の力はこんなにすごいのに、

簡単に作れて、使えるのに、

今まで何とも思わないで買っていたなんて・・・

それも体に良くない成分がいっぱい入ったものを。

化粧品はとてもいいものを使っていたけれど、

でも身近なもので作れて、自分に合っているなら、

それが一番きゃー


ある満月の日は、

たき火をして、瞑想したり、月光浴。

 

火がいらなくなったエネルギーを溶かしてくれ、

満月がそれを解放してくれたようでした。


昨日は、ちょっと気分がクサクサしていたんだけれど、

有馬家に海に誘ってもらい、

本当はたいち(子供)と遊ぶつもりだったけれど、

ほとんど一人で波に弄ばれて、遊んでたら、

気分がすっきり!

クサクサした気分を、波がさらっていってくれたようでした。

雄大な海を見ているだけで、もう大丈夫って言ってもらっている

ような気がして、涙が出てくる。

 

その日、午前中は草刈をしたし、午後海で遊んでからは、

1時間かけて、イベントに遊びに行ったり、

自分でもすごく元気だなぁって思ったのでした。



本当に、そんなに大自然じゃないところだけれど、

こんなにいっぱい自然の恩恵にあずかることができてる。


田舎暮らしは4年目だけれど、

最初からそれができてたわけじゃない。

自然はいつもそこにあったのに、自然の近くで暮らしたいって

田舎暮らしを始めたのに、心はいつも外側ばっかり見てたんだと思う。

何かしなきゃいけない、何者かにならなきゃいけない、

ってそれは外側にばかり向かってた。

何かをしていていると、誰かの何かの役に立っているようで、

誰かに会うと、刺激をもらって、違う自分になれたようで、

セミナーに行くと、いろいろわかったようで・・・


でもやっと、遅まきながら、だけれど、

何かしなければいけないこともなく、何者にならなきゃいけないこともなく、

大切なことは、ここに、自分の中にあったと気づいた。


だからここしばらくはうちこにいて、ほとんど人と会うために

自分から出かけることもなく、

暑い日中は、部屋で風を感じながら、本を読んだり、

昼寝をしたり、猫の寝顔を見て平和な気持ちになったり、

夕方になると、庭仕事や畑、田んぼへ行ったり、

そんなふうに、ただ自然の流れに沿って生活し、

ゆっくりした時間を過ごしていた。

焦って、何かをしなきゃ、って思うことなんて、

ほとんどなかった。


時間があるから、料理をゆっくりする時間もあり、

いただいた大量の野菜も無駄にしなくて、

工夫して使うこともできる。

身近に使うものも、周りにある植物で自分で作ろうと思う。

そんな生活は、周りにある自然に感謝の気持ちを持つことが、

当たり前になる。

生かされてる、って気持ちが自然と湧き上がってくる。

そして自然は私たちをただ、包み込んでくれると、

ありのままを愛してくれると感じられるようになる。


だから何が起きても、自分の力で何とかしようとするのではなく、

大いなる自然に任せて、流れに任せていこう、

そうするしかないのだ、と、ゆだねることができるようになる。

何が起きても、起こることが起きてる、と思えるようになる。

何がよくて、何が悪くて、なんてジャッジもいらない。

ゆだねることができるようになると、本当に楽に生きられる。


自然の恩恵をいっぱい受けて、クリエイティブを楽しんで、

心も体も健康に、自然の流れに身を任せてゆだねていけば、

きっと自分の力でどうにかしようとするよりも、

大きな力が働いて、思ってもいなかったことになっていくんだと思う。


ここにきて、本当に自然のパワーをしみじみと感じてる。

これからは、自然の中で心を解放し、自然と溶け込み、

植物の恩恵を受け取れるように、

身近なものを作ったりする、ワークショップやセミナーを

していきたいな、って思っていますキラキラ




先日の記事に書いた映画は、終了後に辻さんのトークがあるとのことで、

市役所に手話通訳をお願いした。

実はそれは映画上映日の2日前、

急すぎるから通訳を派遣してもらうのは、無理かも~あせ

もし無理だったら、映画だけ見て帰ってこよう、って思ってた。

そしたら担当の方から、「派遣、大丈夫ですよ」ってメール。

やった~キャハハ って大喜びして、

そのとき思ったんだ。

普通の人(聞こえる人)は、トークを聞くことは普通に、当たり前にできる。

当日、ふらっと直前に行こうと思って決めても、普通に聞ける。

でも私は通訳がないとわからないから、今回の場合は、まず、

映画館に問い合わせた。

手話通訳つけて入ってもいいですか?って。

そしたら映画館の人が映画を作成した、なまけもの倶楽部に

連絡してくれて、その担当の人とやり取りをして。

OKが出たから、今度は市役所に派遣の依頼をして、

そしてそこでもOKが出て、やっとトークも聞けることになった。

それだけの手順を踏まないといけなくて、

前だったら、損だなぁとか、面倒だし大変、って思ってた。

でも今回は、ただうれしい~って大喜びして、

聞こえないってことは、普通の人よりも足りないところがあるってことは、

その足りないところに、喜びのスペースが入るってことなんだって

思えた。

普通の人が当たり前に何の感動もなく、通り過ぎるところを、

私はわ~い!私も聞ける!って大喜びし、

なまけもの倶楽部の担当の人にも、

市役所の担当の人にも、

実際に通訳に来てくれた人にも、

ありがとう!って感謝の気持ちでいっぱいになった。

たくさんの人に助けてもらえたことに、感動していた。

これは私だけが感じることができることなんだって

うれしくなった。


ところがね・・・

前からそうだったんだけれど、

今回ははっきりとわかったんだけれど、

私にとって手話は普通の会話はよくわかるのだけれど、

トークのような一方的に長時間の通訳は、

よくわからないんだよね・・・

私は手話の文化ではなくて、文字の文化で育ってきているから、

手話を頭の中で文字に変換しなくちゃいけなくて、

そうしていると、話の内容を理解するどころじゃなくて、

手話を文字に変換することに一生懸命になり、

話の内容がわからなくなっちゃう。

(この説明、みんなにわからないかもしれないけれど・・・)


だから辻さんのお話も半分わかったかどうか、って感じで、

これからは、手話通訳じゃなくて、

文字通訳の要約筆記をお願いしようと思った。

なぜ今まで手話通訳をお願いしていたかというと、

要約筆記は要約だし、情報量が少なくなってしまう、と

思っていた。

それは私が、聞こえないために、情報量が少なくなるのは損だ、

って思っていたからだと思った。

すなわち、聞こえないことは損だ、って思っていたんだと思う。

聞こえる人と比べて、自分はだめだって思っていたってことだよ。

ずっとずっと比較していたんだな、って思った。


でもこのとき思ったんだよ。

言葉って、そんなに大事かな?って。

普通人は言葉によりコミュニケーションしていて、

トークなども言葉で伝えられる。

その言葉っていうのは、耳からまたは文字だと目から入って、

頭で処理されるわけだよね。

深いとことでわかると、それは頭を超えたところ、

ハートとか丹田とかに入って、

腑に落ちる、ということが起きて、

感動したり、勇気をもらうことがある。

それは必ずしも、言葉でなくてもいいのかも。

私たちは、そういう感動っていうのは、

言葉よりもエネルギーで受け取っているのかもしれない。

私は本を読むとき、すごく心に響いて、

感動して涙が出てきてしまうときっていうのは、

たいてい文字を追っていないとき。

どの文章に感動しているんだろう?って思う時があって、

行間を読んでいることに気付く。

文字を超えた、エネルギーを感じているんだよ。


とにかく私たちは、頭で理解しようとするから、

言葉がとても必要で大切なものに感じて、

言葉や文字がないと、コミュニケーションが成り立たない、

社会も成り立たない、と思うんだよね。

でも言葉は真実でないことも、伝えられる。

心とは裏腹なことを言う人はこの世界にいっぱいいる。

だから世界は複雑になってしまう。

でもエネルギーは真実だけ。


話は変わるけれど、最近、ノンデュアリティ(非2次元)にはまっていて、

その関係の本やブログばかり読んでいるんだけれど、

その本のどこかに、言葉は分離だ、って書いてあったのを思い出した。


いろいろ書いたけれど、言いたいのは、

私のように、耳からの言葉を聞くことが難しい人は、

言葉だけに頼らなくてもいいんじゃないかってこと。

言葉が聞けない、情報が少ない、と嘆かなくても、

ちゃんと必要なことは、エネルギーとして受け取っている、

って安心していればいい。

それが私の受け取り方だって思っていればいい。

誰とも比べなくてもいい。

こういった、

人と比べる世界=争いが起こる世界

だよね。

やっぱり私たちの心の中に、争いの種があるのだと気づく。


人それぞれでよくて、それが個性ってものだよね。

障害が個性ってわけではなくて、

障害ゆえに感じることやものの見方や行動が、

みんなと違うことがあり、それが個性で感性。

私は、そういう個性やその人なりの感性を大切にできる世界を

作っていきたいな。

人と比べない世界=平和な世界。

特に子供たちの感性を大切にしていきたい。

子どもたちの感性を大切にしていくこと、

このことについては、まだ書きたいことがあるので、

また後日に。