はじめに、勘違いのないように書いておきますが、
私は特定の政党や政治家を支持することも無ければ、常態として批判の対象にするような考えを
一切持っていません。それぞれの政治家及び政党はその仕事の中に功もあれば
罪もあるものだと考えています。
では、「寄せられたコメントを次々に削除するブログ」の話に移ります。
昨日深夜2時頃、「仙台にパンダがやってきます!」(加藤 紘一オフィシャルブログ)
というブログ記事に対し、以下のコメントをしました。
「弾圧を逃れ雪のヒマラヤを越える子供たちまで狙撃するような国に、莫大なレンタル料を支払い、パンダを誘致すること自体がまちがっています。原発事故により多くの動物たちが取り残され命を落としているという事実があるのに、人間の都合で絶滅危惧種のパンダを連れて来ると言う発想が出ることが不思議で仕方ありません。この一年で多くのチベット人僧侶が自らの身を焼いて中国政府の弾圧に抗議しているというのに、そんな事には目もくれず、パンダ誘致を進めることはチベット人弾圧に賛成すると言っているようなものではないでしょうか? パンダが多く生息する四川省は元々はチベットだったという事を考えると、パンダ誘致を進める事は日本の恥になると私は思います」
その結果深夜という時間にも関わらず10分も経たないうちにこのコメントは削除されてしまいました。
パンダ誘致の是非については、立場によって様々な意見があることは承知していますので、
今回はこれ以上のことを書くつもりはありません。
それとは別に、コメントの削除について考えてみたいと思います。
もちろん寄せられたコメントをどうするかは、ブログ主の自由です。
私もブログへのコメントのうちあまりにも差別的な言葉等が含まれていたり、
暴力的な言葉、脅迫に似た表現がある場合は削除する事もあります。(過去に2回程度です)
ただ今回私がコメントをしたブログは、コメント欄を閉鎖するわけでもなく、受け付けておいて
その内容を見たうえで、反対意見あるいは不都合なコメントを次から次へと削除しているようです。
私以外にもかなり多くの人がコメントをされているようですが、見事に削除されています。
ブログ主の自由とはいえ、政治家のブログで多くの人が目にするであろう記事で、
不都合なコメント(国民の意見の一部)を次々と削除するという行為に危険を感じます。
この記事を見た人が、「反対する人はそんなに居ないんだな」と勘違いしてしまわないか心配です。
以前、新浪微博でつぶやきを次々と削除された時と同じような気持ちになりました。
コメントを削除されてもツイッターでこの事をつぶやき、自身のブログでも書く事が出来るので、
言論の自由のない中国の人々に比べれば、私は幸せなのだと思います。
今回の私のコメントはトゲのある表現なので、削除されたのかもしれません。
どなたか、私と同意見の方がいらっしゃいましたら、削除されないやんわりとした表現で、
「仙台にパンダがやってきます!」へ書き込んで下さい。
この記事と合わせて、「アメブロオフィシャルブログ コメント削除について」もご覧下さい。>