いや〜、本人気がつかないうちに、2022年も終わろうとしてるびっくり。今年は月日経つのが早かったキョロキョロ


お気づきの方も多いと思いますが、私がブログを更新するのは超久しぶり赤ちゃん泣き。4ヶ月ぶり。この4ヶ月、いろんな事がありました。


年末でもありますし、その顛末を今日と明日、2回に分けて書きます。


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実は、今年に9月に「肺炎」に掛かりまして、、、



シンガポールでは緊急でない場合、病院に直行はせず、まず公営または私営の「クリニック」でGP(General Practitioner) と呼ばれる総合診療医に最初の診断を仰ぎます。


今回、喉に違和感があった私は、まず近所のクリニックで診断を受けたのですが、真っ先にARTテストをされました。そこで「陰性」だったので、シンガポールではお決まりのパナドール(パラセタモル:鎮痛剤)や喉荒れ用のシロップを処方されました。


一週間経っても喉の違和感はあったのですが、その他は全然問題なく普通に生活してました。


が、最初の診断から10日目、朝起きると身体の節々が痛い。目眩もする。アラカンのおばさんなので無理は禁物と、同じクリニックを再度突然訪問。別に咳も出てないし、あるのは喉の不快感のみ。


またまた、クリニックでのARTテストでは陰性


そこから問診となったのですが、、


順番待ちしてる間に、ものすごい寒気ガーン

待合室のエアコンも厳しかったので、屋外で準備を待ちました。


やっと名前を呼ばれて、医師の問診となった訳ですが、最初は「執念深い風邪だね〜」くらいに医師は言ってたのですが、、、


彼が聴診器を私の肺に当てた時に表情が変わり、、、

その後、熱を測って、、、呆然と表情。


なんと「40.5度


いや、自覚してなかった私も私だけど、

医師はそれ以上に呆然としてましたチーン


医師の診断は「肺の感染症」

つまり「肺炎」と、、、いきなり大病ガーン

これが9月の下旬くらい。


で、ここから高熱が延々と二週間続くのです。

一時期、41.5度まで上昇した時は心の中で覚悟しました。でも、大事なことを旦那に話してなかった事に気づき、必死で戻ってきました笑い泣き。この事に付いては明日書きます。


その後、(余談: シンガポールでの発熱は37.5度以上と定められている)熱が完全に37度まで下がるのに1ヶ月かかりました。


私の場合、熱は夜に上がるので、昼間はあえて普通の生活をしていたのですが、午後4時くらいから38度, 午後6時で39度と上がっていくので、人と会っても何を話してるんだかよく分からない滝汗。熱でボーーーーっとする午後4時って言う状態がずーーーっと続きました。


一度、医師に、朝は普通なので「ジム」に行ってもいい?って聞いてみたら「入院したいのか?」と脅されて辞めました笑い泣き


で、10月、11月は、医師の管理のもと、最小限にウロチョロして小康状態を続いてたのですが、12月に入って再発笑い泣き


今回、熱は40度止まりでしたが、クリスマスはどっぷりベッドで過ごしました。


で、今はまた小康状態。熱なし、咳なし、肺も心臓も今のところ問題無し。どーにか普通に年越し出来そうです。


12年前にも、シンガポールで「肺炎」を患った事があるのですが、正直、長期駐在したヨーロッパや中東、アフリカ大陸で肺炎になった事はありません。入院した事もない。私の大病はシンガポールでいつも起こる笑い泣き。これを幸運というのだろうか?滝汗 そーいえば、この2年半に入院2回してるしぃ〜ゲロー 何故だ?


コロナじゃないだけマシなのですが、肺炎も半端なく辛い病気です。


今回の場合、9月に高熱が出ていた夜中、いきなり咳が止まらなくなり、段々と喉の辺りが腫れてきたのがわかりました。

咳をすると肺が焼けるように痛く、

喉が閉まり、

息がしづらくなり、、、

多分、窒息寸前だったのではないかと、、、。


夜中3時くらいだったと記憶してますが、

偶然にも、以前処方されたインヘラを枕元に置いていて、2回噴射したところ、気道が少し開いたようで、ようやく息ができた時には涙がこぼれました。(肺や気道が痛かったこともある)。



緊急時には、いくら家に中に人がいても、家人が気がつかなければ、そこでゲームオーバーですショボーン。今回は悪運強かったかとニヤリ


まあ、そんなこんなで本日に至ります。

なかなかタフな4ヶ月ではありましたが、悪運と体力とスタミナで、ここまで乗り切れました。


このまま来年に突入しても、肺も心臓も気道も普通の状態が続けば良いな〜。


2022年「肺炎」になった話でした。

明日は大晦日、

肺炎になって価値観が変わった話を、、。