学生の時はあらゆる音楽を体験したくて、毎日貪欲祭りしてた気がする、


★「みたにさんとやってた3ピースバンド」20代前半

カプチーノのドラムみたにさんに誘われてやってたやつ。ギターボーカル、ベース、ドラムの3人でロック中のロックをやってた。ボーカルがテンガロンハットをかぶってた記憶があるけど名前思い出せない。ストラト使いでいいギター弾いてたんだよなあ。曲はダサカッコイイやつだった気がする。気分次第でサイズ長くなっちゃうロックみたいな。なんかテレビにも出て大竹まことに「いいセックスしたなって感じ」っていう評価もらったね。


★「JEAN GENIE」20代前半

初台のスタジオでバイトしてたんだ。そこに来てた気のいいにーにちゃん達のバンドにベースいなくてサポートしてたんだけど、かっちょよかった。今思えばホンモノロックだったな。4ピースのオーソドックスな。

初のリハの時にジョージアサテライツのベストCD渡されて「俺たちこんなんやりたいから」つって。いろーんなライブハウスでやった。ギターはステージでタバコ吸ってたし、ボーカルはリハ終わったら風俗行ってたし。いやー、かっこよかった。でも俺やりたいのは違ったんだよな、、、



★「Atomic seven」20代後半

ボーカルが元いいとも青年隊の岸田健作だった。なんか、やっぱ動員あった気がする。芸能の片鱗が見えてたバンドだった。ポップでロックでヒップでラップなんかもやってて、当時流行ってたいいもの全部あった気がするね。当時の事務所の東谷さんてあれ今のガーシーだよね。

ベースで参加。ダボダボのTシャツ、オレンジのツナギ着てサンバイザー付けて、これはこれでなんか新しい世界あったな、みたいな。




★「東京ピンクBoyS」26歳〜

この辺から時系列がわからない。

青春のすべてをかけたぞっこんブラザーズが解散しちゃって、アコギでとにかくできる場所でライブみたいのを繰り返してたら、声かけてもらって、最初セッションみたいのやったんだよな。ボンジョビとヴァン・ヘイレンとエアロとニルバーナ。なんかニルバーナのカバーが一番しっくり来てそのままバンド組んじゃおうぜ!つって。

このバンドは世界最強だと思ってる。他と全然違う。たぶんKISSとかモトリーとかエアロと対バンしても大丈夫だと思う。世界最強なんだけど、ファンがいないんだ。なので、なんか都合よかったら呼んでよ!なかなか集まれないけど、いつでもできる。いつでもやりたい。尻を出したり、ゲストークをしたりする。


Vo.ドンボルカン山口

G.ぉとぉと

B.あにきさん

Dr.おーちゃん




★ぞっこんブラザーズZ

2回だけやった幻のバンド。ソロでのライブ出演でメンバー集めたら凄すぎてこれバンドでいこう!となったけど、あっという間に空中分解したやつ。分解後もギターのRYUTAROと曲作りをひたすら進めて、Re-DRIVEの原型になった。


Vo.ドンボルカン山口

G.RYUTARO

G.究極超人ヒラノ

B.やなっち

key.JUN

Dr.オカジ



★「ぞっこんブラザーズJAPAN」

ナイトレンジャー、デンジャーデンジャー、ウィンガー、この辺りをやりたくて始動したぞっこんブラザーズだけど、似て非なるハードロックバンド。キップウィンガーに憧れてベース弾きながら歌ってた。ギター2人がうますぎな、なかなかテクニカルで音楽も方向性もコンセプトもしっかりしたバンドだったと思う。


Vo.B.ドンボルカン山口

G.究極超人ヒラノ

G.名前なんだっけ

Dr.杉山カズKISS



★「LADYON」

女性ボーカルの4ピースハードロックバンド。ボーカルが逸材だった。まじでいくと思ってた。しかしいかなかったなー。ギターのYukiくんとここで出会ってる。ベースで参加。ベースもタッピングでユニゾンしたりチョッパーのソロあったり、この時のプレイってとても冴え渡ってたかもしれない。


Vo.Hiroco

G.Yuki

B.ドンボルカン山口

Dr.リーダー



★Re-DRIVE

燃え尽きなかった青春。高校の頃に夢見てたバンドをやろうみたいな、RYUTAROと二人の曲作りからはじまって5人のバンドになった。今までほとんどのバンドで曲をつくってみたいなイニシアチブを取ってたけど、バンドで始めてボーカリストとして存在してた気がする。5分の1というか。作詞しててもこのバンドでしか出てこないもんがすごいある。マジックだなあと。まだ終わってない。そのうち。



Vo.ドンボルカン山口

G.RYUTARO

G.RYUiCHI

B.ブラックサンダー謙

Dr.Masahiko




★「ピーナツバターアレルギーズ」

ジャム。3ピースジャムバンド。決まってない。曲も、歌詞も。ライブで弾き始めたら、それに合わせて終わったり続けたりするバンド。すごいカッコイイ瞬間がある。めっちゃ盛り上がったりもする。UKなロック。ちょっとファンク。

なんかみんな忙しくなっちゃったけど、隙あらばやりたい。


Vo.G.ドンボルカン山口

B.Satoshi

Dr.Masahiko



★「アイシテルズ」

斎藤JUN淳一と歌謡曲イベントでクリスタルキングを歌った時に結成された。以後、都合つくメンバーが出入りして様々な形で歌謡曲やアニソンのカバーをメインに活動してた。大人にはいろいろあるので今どうなってるか分からないが、人々がやることに飽和して刺激を欲し始めた頃、やるとなったらそれはすぐアイシテルズな気がする。





4年振りに開いたな、ブログ。生きてたんだな。

最近知り合った初対面ソウルメイト、同い年、じろうゆちゃんが自分のバンド歴紹介がてら想いを馳せるってのやってたので、自分もやってきた音楽に想いを馳せてみよう、などと。


今ね、これ介護の仕事の夜勤中でね。真っ暗でね、頼りはスマホの灯りだけ状態でね。何も無い時間でね、なんか暗闇はそうさせるよね、みたいな。馳せちゃおっかな。想い!


★「マディー・ウォーターズ」16歳〜

高校入ったら先生がバンドやってて、そこにベースで入った。ジョンレノン、ポールロジャース、ホワイトスネイク初期、エルトン・ジョン、U.K.、カンサス、etc.洋楽のカバー。好きなバンドはX JAPANだったが、なんかわけもわからずやってた。凄かった。



★「ヘロリゲ」17歳〜

高校入って初めたバンド。BON JOVIや聖闘士星矢やドラゴンボールの主題歌コピーをひと通りやって、オリジナル展開。初めて応募したバンドのコンテストで決勝まで勝ち進み、市民賞という謎の賞獲得。ここから俺はバンドでいく、という勘違い人生始まる。ヘロリゲの由来は演奏等が「ヘロっている気があるネ」からヘロり気、ヘロリゲ、と変化。バンドも最後ヘロる。


Vo.AG.B ドンボルカン山口

cho.あまねっち

G.B.あっつー

keyハイジ

Dr.Bonさん



★「ポンコツタンク」18歳〜

いろいろうまくいかない若者達がコンプレックスまみれで結成。聖飢魔IIとエクストリームとスティーヴィーサラスのコピー、あとオリジナル。ベース担当。とにかくチョッパーかましまくってた。地元でチョッパーやるやついなかったので、これは、気持ちよかったなあ、、、

Vo.エースケ

G.キーチ

B.ドンボルカン山口

Dr.思い出せない



★「カプチーノ」18歳〜

上京してロックやりたかったものの、同じ大学だったkeyのワダさんに「チミ、チョッパーできるらしいじゃん?バンドやらない?」と誘われて見事にジャズフュージョンラテンなバンドに加入。ベース。ここであらゆるジャズスタンダード、パット・メセニーやハービー・ハンコックなど、そこら辺の曲を根こそぎ体感する。セッションの文化もここで習得。けっこう続いて、いろんなバーや街角の演奏や屋形船や、毎月長野の旅館でやるとか営業系もやってた。後半どんどんラテンに傾倒してってフェードアウトだったっけかなあ


フルート、EWI、坂上領

ピアノ、和田洋平

ギター、KENさん

ベース、ドンボルカン山口

ドラム、見谷さん



★「ルネッサンスほの字組」19歳

学園祭でサザンオールスターズのカバーバンドやるために結成。基本編成に加えパーカッションやサックス、フルートもいた。ぞっこんブラザーズの元となるメンバーもここで集結。



★「ぞっこんブラザーズ」 19歳〜26歳

猛烈なやりたい音楽に目覚め、結成。最初は3人、Vo.Key.G.のTM Network形式だったけど、後に6人組バンドへと進化。サザンとか米米ぽかった。歌謡とロック。当時ドラゴンアッシュが流行ってて、クラブ文化も強くて、どのシーンにも入れなかった。青春の全て、あらゆる経験をした気がする。売れたかったがよく分からなかった。コーラス、ダンサーを加えどんどん巨大化するも分解。若かった。


Vo.ドンボルカン山口

G.ミムラ先生

G.藤盛ブルースカイ

B.善彦マットプレイ→ベースエロス

Dr.杉山カズKISS



★「Head phones president」21歳〜

今もう海外とかでも有名になってるバンド。当時すぐベースが入っては辞めてて、辞める度に同じ大学だったドラムのオカジに誘われてサポートやってた。当時女ボーカルのKORNみたいに紹介されてた。モダンヘヴィネス。全国ツアー2回参加してる。このバンドで日本ほぼ回れた気がする。2ヶ月ツアー出っぱなしとかやってた。メンバーにも1回なったけど、レコーディングお蔵入りになって、LA遠征の時期についていけなくなってなんかわりと入ってすぐ脱退したかも。ゴリゴリのシーンにあって、みんなフィールディみたいなガッキンガッキンの音作りのシーンの中、ビルラズウェルみたいなめっちゃうねるベースで主張出来た気はするな。

Vo.ANZA

G.HIRO

G.MAR

Dr.Okaji

B.TSUYOSHI



まだ20代前半だ、つづく




美弥乃静より皆様へ

去年の終わりからライブ活動休止して実家に帰っており、大変ご心配をおかけしました。
落ち着いたら理由をご報告しようと思っておりました。
遅いご報告になってしまい申し訳ありません。

美弥乃静は4月に娘を出産、結婚いたしました。

お相手は、ユニットの相方
ドンボルカン山口さんです。
なので夫婦ユニットという形になりました!

早く皆様には報告したかったのですが
年末に病院で、いつもにこにこな先生に真剣な顔で「里帰り予定ならとにかくすぐに帰って」と言われ
主催ライブ前に帰ることになりました。
実家に帰った後も絶対安静から長期入院になってしまったりと
経過があまりよくなく、どうなるかもわからなかったのもあり
発表を控えることにしました。
皆様にはご心配おかけして申し訳ありません。

20周年や年末ライブに出演してくれた方や、お仕事関連でお世話になってる方、プライベートで遊ぶお友達には報告してあります。

私自身いつか結婚、出産することがあるならば非公開にはせず公表して、皆さまにお伝えした上でこれからも大好きな歌を歌っていこうと思っておりました。

周りのアーティストさん、声優さん、役者さをもどんどんお母さんになっていき
その後も活動を続ける方も多く、むしろ子供を産んだことで幅を広げたり、深みが増したりしているのを見ていて、素敵だな、私もそうありたいなと思います。

お互いの実家が遠いし、親戚も近くにいないので子供を見ててもらってライブということがなかなか難しくなるので今まで通りというわけにはいきませんが
制作を中心に個別にライブやったり、自分たちが求める音楽を追求していくことは続けていきますので、これからも応援していただけると嬉しいです。

ドンさんは再婚という形になります。
長いことたくさん話し合って出した形です。
私個人の感覚としては、今までの自分にプラスして最高に大切なものが増えた
そんな感覚です。
なので色々ありますが、ドンさんにも今までの大切なものはそのままに、大切なものがさらに増えたと思ってもらえたらなと思ってます。
とにかく仲良く、お互いを尊重しあいながら、明るい家庭を築いていきたいです。

現実は
子供の頃から夢に描いていた、結婚式して、披露宴は色直し3回して…みたいなものではありませんでしたが、そのかわりその頃に思い描いてなかった最愛の娘が私のところに来てくれたので、本当人生何が起こるかわかりませんね。(式の予定もないので、いつかできたらいいなぁ)

未知なことだらけですが、先輩ママさんにたくさん教えてもらったり
話聞いてもらったり
遊びに来てもらったり、遊びに行ったりしながら
何気に穏やかな毎日をすごしてます。
子育て大変で病むよ、なんて話も聞いてましたが、新米ママで頼りないところは多いだろうけど、娘は可愛いし今のところ楽しく子育てやれてます☆

急に遅いタイミングでの発表で大変申し訳ありませんでした。

これからも美弥乃静と、みやドンを
よろしくお願いします!

次にもう一つ報告があります☆(全くこの内容とは関係ありません)

美弥乃静
2019.08.15

◈◇♡◇◈**:;;;;;;:**◈◇♡◇◈**:;;;;;;:**◈◇♡◇◈**:;;;;;;:**◈◇♡◇◈♪*:*♪*:*♪*:*♪*:*♪*:*♪*:

ドンボルカン山口より
いつも応援してくれる皆様へ

美弥乃静と結婚しました。
響きがなんか信じられない感じ。もう1回言いますが、美弥乃静と結婚しました。
4月に無事子供も産まれました。とてつもなくラブサンクス。
今いろいろ落ち着きまして、二人で話し合って、ここかなってタイミングで発表させていただきました。

美弥乃ちゃんも赤ちゃんも自分が生きてくすべての原動力で、すべての理由で、すべての音楽です。いつもラブサンクスラブサンクス言ってますが、これのことだったなあって。すべての事が今につながるなあって。
音楽も生活も、ラブサンクスがだだ漏れするような、ついつられて笑っちゃうような、こんな奇跡2度とないような、そんな家庭目指してがしっかりがんばっていきます。

あとはもろもろの状況が複雑だったので、これ書こうと思ったら一晩中考えてもまとまりませんでした。前の離婚のこととか。
あとの詳しいこととかはツイッターの質問箱とかで!


ラブサンクスを込めて
2019.8.15.
ドンボルカン山口