『今ひとたび、あなたに』【5】 | 梅花艶艶━ばいかえんえん━

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『艶が~る』を元に、己の妄想昇華のための捏造話を創造する日々。
土方副長を好きすぎて写真をなかなか正視できません(キモっ)
艶がはサ終しましたが、私の中では永遠です。
R-18小説多し、閲覧注意です。




*****

光の眩しさにようやく目が馴れて、私はゆっくりと瞼を上げた。

川の瀬音はさっきと変わらずに響いている。

もう一度ゆっくり瞬きをして、橋の向こうに焦点を合わせた瞬間、私は自分の気がふれたのかと思った。

この世界に戻って来てからの最初の数年、私は日々、死ぬか狂うかできたらいいのにとひそかに願っていた。

ここ二年ほどでようやくその願望は鳴りを潜めてきたというのに、それが今になってとうとう叶ったのかと、本気で思った。



見覚えのある、浅葱色の羽織。


川を渡る風が私の髪を揺らすのと全く同じタイミングで、浅葱色の羽織の裾と袂も揺れた。









──橋の向こうに立っているのは、土方さんだ。


私は叫びそうになるのを、すんでのところで堪えた。


見間違う筈はない。

腕組みをして、少し斜に構えたようなその姿勢。

微かにひそめられた眉。

でも、その下の眼差しは優しい。

その眼と、確かに視線が合わさった。

あの日戦場で、馬上の彼と目が合ったときのように。



*****


こんな時でも決して手放しの笑顔ではないところが、いかにも土方さんらしい。
そんな彼は、私の記憶の中でどうしても忘れることができない、あの最期の日の彼よりも、幾分若く見えた。


ああ、そうだ。

だって、あの羽織を纏っているということは、京都の新選組で活躍していた頃の彼ということだ。

近藤さんも存命で、沖田さんも元気で。

彼がこよなく愛した新選組が最盛期を迎えていた頃の、あの時の姿なんだ。

そうと分かって、私は微笑を浮かべた。



──もしもう一度会えたら、話したいことは沢山あった。

訊きたいことも数えきれないほどある。

謝りたいことも、詰(なじ)りたいことも。



駆け寄って、抱きついて、その腕に抱きしめられて、この再会を喜び合いたい。

なのに、私はそれができなかった。

正確には、そうしようと思わなかった。


だって、私はまざまざと知ってしまったから。

彼我の距離は、この川に架かる橋よりも遥かに遠くなっていて、もう決して埋まることはないのだということを。



──ゆく川の流れは絶えずして。


あかりさんが諳(そらん)じた『方丈記』の冒頭が、不意に鮮やかに耳に蘇る。


そう、川が絶え間無く流れるように、時間は私の上を静かに流れていたんだ。

その流れは、当たり前だけど決して誰にも止めることなどできなくて。

一緒に並んで歩いていた筈の私とあなたとの間は、流れる時によって今はもうはっきりと、彼岸と此岸とに隔てられてしまっている。

鼻の奥がツンと痛い。

…泣いちゃだめだ。

泣いたらあの人が見えなくなってしまう。


瞼にぐっと力をこめて、私は精一杯微笑んだ。


私と土方さんは、ただ見つめ合った。

それだけでいい。

それだけでよかった。



*****


私の人生っていったって、たかだか二十年ちょっと。

私はまだ若い。

土方さんと愛し合ったあの日々が、私の人生最後の恋だと決めつけることはないのかもしれない。


でも、私にとってはやっぱり紛うかたなき初めての恋愛で、私は土方さんと一緒に沢山の『生まれて初めて』を経験した。

親とも、友達とも、先生とも、他の誰とも築くことはできなかったであろう、あの五年近くの歳月。


それは、なんて素晴らしく、大切で、愛おしい日々だったんだろう。


ありがとう、土方さん。


愛してくれてありがとう。

守ってくれてありがとう。

沢山の喜びとときめきと幸せをありがとう。


悩んだことも、泣いたことも、苦しんだこともあった。

今も苦しいし、やっぱりまだ涙が出ることに悩んでしまうけれど。


でも、それでも、私はあなたに会えてよかった。



******

土方さんの向こうに見える現代の街並み。

広がる夜空。

私たちの間を渡る風。


あなたが遺してくれた日々は、あなたがこの世界からいなくなってなお、残酷なほどの美しさをもって私を責めます。

それでも私は、行かなくてはいけないんですね。



私はそっと右手を顔の横に挙げた。

小さく振ってみる。


橋の向こうで、土方さんも右手を同じように振ってくれた。


──土方さんが手を振ってくれたことってあったかな。

私は共に過ごした時を懐かしく思い返してみる。


私がさよならと手を振ったことはあったけど、彼が振り返してくれたことはあったかな。

頷くか、微笑むかくらいしかなかったような気がする。

じゃあな、とか、またな、とか言ってくれたことはあったけど。


そんな土方さんが、今私に手を振ってくれている。


私は嬉しくなって、手をもっと挙げ、大きく振った。


土方さんも着物の袖が二の腕まで捲れ上がるくらい右手を挙げて、大きく振り返してくれる。

何度も、何度も。何度でも。




───ありがとう、土方さん。

手を振ってくれて、ありがとう。


何とか笑顔のままで手を振れてよかった。

笑顔で手を振った私が、あなたの最後の記憶でありますように。

いつかまた逢える日まで、どうか笑顔の私を覚えていてくださいね。



******


気がついた時は、初夏の空は既に白みかけていた。


黎明の仄かな光と、西の空に瞬く一つか二つの星、そして下弦の月とが、弱々しくせめぎ合っていた。



私たち三人は、ここへ来た時と同じ間隔を空けて立っていた。


誰からともなく、お互い顔を見合わせる。


あかりさんも、翔太君も、涙を流していた。

それを見て初めて、自分も滂沱として落涙していることに気づく。


「……会えた?」

涙を拭うこともせず、あかりさんが尋ねた。

私も翔太君も、流れる涙をそのままに、ただ無言で頷いた。


「あれは……」

翔太君が誰にともなく呟く。

「亡くなった人たちの残留した思念と、遺された者たちの想いが、この日この場所でうまい具合に共振してできた映像を、あのカメラが写し出したのよ」

あかりさんが、今はもう誰もいない橋の向こうを眺めながらそう言う。


翔太君とあかりさんが、それぞれ会いたかった人とどんな再会をし、どう別れたのか、私は尋ねることはしなかった。

二人も、私に何も訊かなかった。

「ありがとう、翔太君。あかりさん」



そしてもう一度。

ありがとう。土方さん──。







【今ひとたび、あなたに・了】