ドクター鈴木・あめぶろ研究室 -59ページ目

サロンド風

 
会社の近所の畑の中のコンビニ跡地に突如現れた理容店。

サロンド風

サロンド風・・・サロンド風・・・

これって、フランス語の「SALON DE 何々」(何々のサロン、何々の応接間)という意味なのだろうか。英語で言うところの「SALOON OF 何々」。
個室ではなく大広間っぽくイスが並んでいるのかな。

『Salon de (かぜ)』なのかな?いわゆる(かぜ)のサロン。

今度散髪に行く時に覗いてみたいお店だ。



散髪といえば失敗談を思い出した。

出張で熊本に行った時、余りにも髪がボサボサなのでご当地の床屋に入った。床屋の主人、当然のことながら見事な熊本弁を駆使している。自分もだんだん雰囲気が熊本弁になってくるがやはりアクセントが違うのか肥後の人間じゃないことがばれる。

やがて洗髪の時いきなり主人が「かゆいところはありますか」と標準語で聞いてきた。私は思いきり気を使って熊本弁もどきで答えてみた。

なかとぉ

直後主人は私の頭のテッペンを思いきりゴシゴシやり始めた。「無いです」といったつもりが「真ん中(中ほど)」と聞こえたらしい。実に方言とは難しい、と感じた失敗。

ではそういうことで。

1+1=1

 
 
中3で因数分解を習った子供たちに毎年、私は

1+1=1

という変な証明問題の話をする。
方程式の性質(方程式の両辺に同じ数を加減乗除)と因数分解の知識があると、この話は超面白い。

☆証明はじめ☆ 

      x=1とします
方程式ですから両辺にxを乗じても等式は成立します
      x=x
方程式ですから両辺から1を減じても等式は成立します
      x-1=x-1
ここで左辺は因数分解できます
   (左辺)=(x+1)(x-1)
よって
   (x+1)(x-1)=x-1
以下整理して
   (x+1)(x-1)x-1
      x+1=1
最初にx=1と仮定しているので代入して
      1+1=1

よって、1に1を加えても1である

☆証明終わり☆


もちろんこの証明は間違っている。
高校生にこの話をすると、「背理法」を持ち出して『この矛盾は最初にx=1と定義したことに起因するのでx≠1で無ければならない』とかワケのわからんことを言い出す。この証明がおかしいのは「背理法」とかではない。
どこに問題があるのかは、賢明な皆さんはお気付きだろう。

ところで、先日放映されたTV番組「何とかサプリ(名称不案内)」で、こんな出題があった。

 18=1
  8=0
118=1
この例に従うと 188は幾つか

答えは1だそうだ。私は判らなかった。番組で司会者の行なった解説はこう↓だ。

左辺の数字中に真横に線を引き、数字を上下に二分割することから始まる。

 18は 18で 10分の 10になり、答えは1
  8は  で  0分の  0になり、答えは0
118は118で110分の110になり、答えは1

だから188の時も答えは1、ということになる、と解説していた。

絶対におかしい。「0分の」という分数は存在しない。
電卓をお持ちなら、0÷1と1÷0をやって頂きたい。前者の答えは0で後者はエラーになるはず。

この問題は、上記「1+1=1」の証明と同じ間違いをしている。子供も見ている(教育委員会が警告を発するようなお下品な番組ではなくて)教養番組だ。そういう場でやってはいけないミスだ。

大丈夫なのか、日本の数学教育。
はそういうことで。

科学の叡智を地球博に・・・

 
 愛・地球博のターゲットは「自然(しぜん)叡智(えいち)」。財団法人2005年日本国際博覧会協会会長 豊田章一郎氏は『21世紀の自然と人間との関わりを探求し、提案していくことにしております。自然との共生は人類共通の課題であり、本博覧会はその解決に寄与できるものと存じます。』と挨拶している。

 さてその博覧会、人気のパビリオンもあって注目を集めているがそれ以上に話題を呼んでいるのは「持ち込み禁止グッズ」だ。特に弁当と飲料に関して、批判の声も上がっている。報道によれば、入場ゲートで金属探知機を通過する際に持ち物検査などをし、弁当や飲料などはその場で没収しているらしい。そこから発生するゴミが果たして「自然との共生」に寄与するのか、という疑問も上がっている。

 博覧会協会はその制限について「保安上の理由から禁止」ということになっている。間違っても、「会場内の飲料品供給会社の営利を守るため」とは説明していない。本当に『保安上の理由』で、飲料は持ち込めないのだろうか。

 実は博覧会協会の会長さんの所属する会社から、この2月に開港した「中部国際空港(セントレア)」の社長が出ている。同空港は民間の活力を導入した空港で、別名トヨタ空港と呼ばれている。この空港でペットボトルや弁当の持ち込み規制はしているだろうか。

 新空港セントレアには、レストランが入居している。当然会社としてはそのレストランの営業を妨害しないように空港に弁当を持ってきてはいけない、ペットボトルを持ち込んではいけない、としているのだろうか。いや、それは口が裂けても言えないので「保安上の理由」で、とか・・・。

 そういう規制は無い。
 いや、911テロ以降非常に手荷物検査チェックがうるさくなっている航空機の中にさえペットボトルをはじめとする飲料は持ち込めるのだ。そう、手荷物検査場に「ボトル内液体物検査装置」というのがおいてあって、これで簡単に内容物が検査でき、このチェックさえ受ければ機内に持ち込んでもちろん構わないのだ。

 自然の叡智も大切だがこのさい科学の叡智を「愛・地球博」に送り込もうではないか。入場ゲートに「飲料チェッカー」さえつければ「保安上の理由」は解決しないだろうか。

 喉が渇いてだだをこねる子供に、行列の途中、会場内のペットボトル屋で高い飲料を買い与えて何が「愛」だろうか。安全な飲料はどんどん持ち込ませる、そして入場ゲートでの大量のゴミ発生を防ごうではないか・・・。それも「自然との共生」ではないだろうか…、と環境の専門家は考えるが。

ではそういうことで。

巨体

 
 
一張羅(いっちょうら)のスーツだけでは4月以降の新しい職場(講師から助教授に昇進)では悲しすぎるので、奮発(ふんぱつ)して新調することにした。とは言っても財政に余裕がなさ過ぎる我が家にあっては高級品を仕立てるわけにも行かず、吊るしの、いわゆる「二着で○万円!」というようなカテゴリーの物を選ぶことしかできない。

昨日、いつも「閉店セール」ばかりをしている近所の量販店の前を通りかかったら珍しく「フレッシュマンセール」をやっていたので、見境いなくその店に飛び込んだ。

すぐさま店員に取り囲まれたが、こちらも目的を持って訪問しているので苦にならない。スーツを探しに来たが自分にあうサイズの奴はあるか、と店員に言いますと「ございますとも!」と案内されたのが『大きめサイズ』のコーナー。しかもそのコーナーの一番隅にある、

巨体

と表示されている一角(写真参照)に連れて行かれた。

確かに当方は巨体である。身長1800mm、体重0.1トン。座高とウエストが1m超である。しかし「巨体」というカテゴライズにはいささか憤慨(ふんがい)した。同伴していた女房が「ま、()せなさいってことよ」と冷ややかにささやくのを振り切って店員に「巨体とは失礼なりき!」と食って掛かった。

しかし、よくよく見ると「巨体」では無く「E体」である。アルファベットのE。

大きな声を出してしまったため引っ込みがつかなくなり「着られれば一番安いので良いよ」とは言い難くなってしまい、店員の言うがままに一番高い奴を。涙のショッピングとなった。

参考:
成人男子用衣料サイズJISの改正について(工業技術院標準部・繊維化学規格課)
http://www.meti.go.jp/press/past/c60130b1.html

ではそういうことで。



エイプリルフール企画?

 
もうすぐエイプリルフールだ。

私はこれが大好きである。
01年:会社を辞めて協力隊で絶海の孤島に行く
02年:浜松医大の歯学部に社会人入学したぞ
03年:航空会社の採用試験に合格した
04年:今年はエイプリルフールをしません
    (と言いながらイロイロ)

私の周りは純な人が多くきれいに見事に笑わせていただける。
そんな友人が大好きなのだが…。

くどいようだが今年ももうすぐエイプリルフールだ。

最近ブログをはじめたのでこれで一丁勝負してみるか、と考えていたところ、なんと、3月30日から4月1日まで「ブログサーバー集中工事 」で36時間使用できない。なんということだ!!

仕方がないので、「コロコロサイーガ」さんのブログの『【エイプリールフールトラックバック企画】脅迫文を作って1000万円をゲットしよう。 』に乗ってみることにした。ご褒美は1000万円の札束ラジコン らしい。


サーバー集中工事は機能アップのためやむをえまい。たった36時間じゃないか、我慢しよう。ではそういうことで。

国立大学法人の知的財産管理(その1)

国立大学は2003年7月に成立した「国立大学法人法(以下、法人法)」およびその関連法に基づいて2004年度から「国立大学法人」に移行した。まもなく移行1年を迎える。国立大学が個別に法人格を得たことは人事や会計の規制緩和につながり、私のような民間企業経営者が教員になれたり、大学が学内に企業を作りそこに出資したりすることができるなど、特色ある運営が可能になった。言い換えれば教育と研究の二面において「産官学連携」の位置付けが明確化した。

このカテではしばらくの間、国立大学法人の「知的財産(以下、知財)」管理に焦点を当て考えていきたい。なお、「国立大学法人化」そのものに対する反対運動なども依然あるようだが、このカテではこの問題に特段触れる予定はない。

国立大学法人の業務については、法人法22条に下記のような定義がある。

第二十二条 国立大学法人は、次の業務を行う。
 一 国立大学を設置し、これを運営すること。
 二 学生に対し、修学、進路選択及び心身の健康等に関する相談その他の援助を行うこと。
 三 当該国立大学法人以外の者から委託を受け、又はこれと共同して行う研究の実施その他の当該国立大学法人以外の者との連携による教育研究活動を行うこと。
 四 公開講座の開設その他の学生以外の者に対する学習の機会を提供すること。
 五 当該国立大学における研究の成果を普及し、及びその活用を促進すること。
 六 当該国立大学における技術に関する研究の成果の活用を促進する事業であって政令で定めるものを実施する者に出資すること。
 七 前各号の業務に附帯する業務を行うこと。
2 国立大学法人は、前項第六号に掲げる業務を行おうとするときは、文部科学大臣の認可を受けなければならない。
3 文部科学大臣は、前項の認可をしようとするときは、あらかじめ、評価委員会の意見を聴かなければならない。
4 国立大学及び次条の規定により国立大学に附属して設置される学校の授業料その他の費用に関し必要な事項は、文部科学省令で定める。


私共「大学における知財屋」は、三・四・五・六の各項に規程されている業務に大きく関与していくことになる。即ち、「三」については産官学連携の位置付け、「四」に関しては公開講座開設など”開かれたキャンパス”化を求めており、「五」についてはインキュベーション業務に関する規程、「六」はいわゆるTLO(Technology Licensing Organization=技術移転機関)への出資等の促進である。

従来、国立大学の中で発明者は大学に届け出、発明委員会などで審議し学長が決定することでその帰属が決定していたが、一般的には特殊な例(国が特別に措置した研究費を使用、及びまたは、国が特別な研究目的のため施設した大型研究設備を使用)を除いて、その権利は発明者個人(例えば教授であったり学生であったり)に帰属していた。従来問題となっていたのは発明者個人へその権利が帰属した場合で、特許などの出願に関する経費は個人持ちとなるため、また書類作成の複雑さから、あるいは国家公務員の副業規程(特許のライセンス料を「副収入」として禁止する大学が存在した)から、その発明の知財化は捗らなかったといえる。法人化後は一括して大学が管理できるようになり、また発明者個人へのロイヤリティの支給等も法人の自由裁量に任されることとなり、発明に伴う技術移転が促進されることとなる。

参照:
国立大学法人法(PDF 136KB)http://www.mext.go.jp/b_menu/houan/kakutei/03042401/03091701/002.pdf
「国立大学法人法案」関係6法案の概要http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/15/02/030222.htm
国立大学等の教官等の発明に係る特許等の取扱いについて(昭和53年文部省学術国際局長、会計課長通知)
http://www.mext.go.jp/a_menu/shinkou/sangaku/sangakuc/sangakuc6_1.htm
 同上関連 昭和52年6月17日付け学術審議会答申 -抄
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu8/toushin/021102e.htm


以下続く(週一ペース?)。ではそういうことで。      

頑張っている人たちにエール


ブログを始めて以降、特にあちこちで『頑張っている』人たちを見かけるようになった。自分自身が過去そうであった「社会人大学院生」の人たち、後輩諸君だ。

私が博士後期課程への挑戦を開始したのは36歳の時だから既に「一昔」近く前になる。37歳の誕生日の翌日、自宅近くの国立大学の博士後期課程入試に合格し入学、修了まで3年間の長い戦いだった。零細企業を経営しながら、社員や家族のバックアップを頂きながらの3年間は(自分でいうのもなんだが)壮絶なものであった。経済的な面と体力的な面が、精神力で埋めることのできるレベルを超えた負担だった。当時母校の大学院の研究科は「社会人に正式に門戸を開いて2年目」という時期で、大学のご当局も五里霧中。毎日が右往左往という状況であったといっても過言ではない。40歳になって学位(甲種で工学)を頂いた時には「このまま人生が終わるのか」と思うぐらい疲れ果てたものだ。その時の経験を書いた本を2000年7月に出版したが、その本に刺激されて「社会人大学院」の門を叩いた人が多数現れたのは嬉しかった。

昨夜の新聞で母校の卒業式(修了式)の記事を見た。自分のときからもう5年になる。今でも母校のゼミに参加しているが、自分が苦労した当時に比べ大学院ご当局も変わり(慣れ?)、制度上の問題は殆どなくなった、と聞く。

TV番組の「BEFORE/AFTER」ではないが、その前後で自分の人生も大きく変わった。本業の零細企業は相変わらず倒産寸前のところで超低空飛行だが、アカデミックな面では完璧に上昇気流に乗っている感じ。3校の非常勤講師を掛け持ちしていきながら、先般某国立大学法人に客員(=副業?)助教授として着任した。以前は「身銭を切って」学会発表などをしていたが、この春遂に海外の大学から「招待講演」(アゴ足付き!)のオファーまで来た。10年前の自分とは「なんということでしょう!」というぐらいの差だ。

社会人大学院生の経験は、専門分野の研究という学術的な面だけではなく「産官学連携と知的財産の応用」という自分にとっての新たなジャンルを切り開いた。社会人大学院生が大学で開発した技術が誰の知的財産に帰属するか、という問題が端緒であった。在学中は制度整備が進んでおらず随分混乱したことを覚えている。今は知的財産の担当として大学で講座を持つに至っている。この件はおいおい、この知的財産のカテの中で紹介していきたい。

さて、冒頭にも記したように、ブログを楽しんでいく中で自分の『後輩』を多く目にするようになった。そんな頑張る人たちのサイトを見つけたら先方の迷惑を省みず(すみません・・・)トラックバックし、エールとしたい、と思っている。

ではそういうことで。

床上手


何日か前に「某写真屋さん」の屋号について報告したが、私の通勤経路にはまだまだ意味不明な看板とかがある。したがって本日はその第2段。

髪処床上手

確かにとても腕の良さそうな床屋さん、というイメージもあるが、「床上手」ってどういう意味かご存知なのかなぁ、と思いながら、ちょっと顔を赤らめながらお店の前を通過する私。

料理上手は床上手、とか、やりくり上手は床上手とか、昔は良く言われていた。解釈は「男性が求める女性の理想像」とか「表の顔と裏の顔」とか諸説ある。いずれにしても今では死語なのかな。

とにかく、市立小学校のすぐ前にあるお店なだけに、気にならないと言えばウソになる、感じだ。

ではそういうことで。




指輪2



昨日「まねした電気」さんに教えていただいた方法(2005-03-23の日記のコメントを参照のこと)、指に食い込んでいた指輪をはずしてみた。思った以上に簡単にはずれた。

はずれる瞬間にぽん!という音はさすがにしなかった。

写真から読み取れると思うが、指に残った指輪の跡は結婚後15年弱の「肥満の歴史」を物語っている、のかも知れない。確かに15年間で20キロ以上は増えてるからなあ・・・(泣)。

ではそういうことで。

指輪



あんた最近太ったぁ?

朝食しながら妻がつぶやいた。

結構な歳になってきたのでそこそこ健康管理に注意だけはしているが、ここ何年かは体重は横ばい。ちなみに私の体重は0.1トン。

単位はキロじゃありません、トン。しかも、「0.1」を「こんまいち」と業界人っぽく発音したりする。だからもともと太いが、最近ことのほか太ったって感じはしていない。

妻が指摘するのは私の左手薬指にある結婚指輪(写真参照)だ。確かに指輪が指にめり込んでいる。言われるまで気付かなかった。

指輪は金属であるから、理論上気温によって膨張したり収縮したりする。しかし、常温環境下では縮まって指に食い込むことは無いだろう。指だけ太ったのか?パソのやりすぎで猛烈筋肉質の指になったのか・・・しかし薬指は余り使わないよなあ。

試しに取ってみようとした。全然取れない。少しは動くが、1cmも動いてくれない。いや5年ほど前に何かで入院して手術を受けるときに、「電気メスを使用するので、危険回避のため金属は外してください」と看護師に指示され病室で取外したことはある、そのときは大丈夫だった。

今後万一指輪を外さなければならないことがあったらどうしよう。その時は切断だ。指輪?指?どっちなんだろう・・・。

ではそういうことで。