西表島に生息していた緑色のハトが、本島まで渡ってきているようです。


琉大付近・南部らへんで見かけました。

と・・・いっても、この「緑」色のハトの存在の話しをすると誰も信じてくれへんのやね。

ある人は、話しのはなから信じてくれず、後日、物的証拠である写真を見せても、最後まで「これハトじゃないちゃっ」と言ってくれました・・・(森塚君)

挙げ句の果てに、「青いくちばしのハトだぁー」と言いはなってくれる人もいました・・・苦笑・・・(Oつきりょーさん)





緑に同化しているのは、環境への適応か。。。
周りにはほとんど見たという人がいなく、琉大には頑固者と頭でっかちが多いので、これを見かけたら、このハトのように「素になれるハト」としておこう○

たまに、空を見て歩いていると見かけます。信じられない人は一報を。







ふたたび、ブリューゲルの作品。

これは、3年前のこじまさんの講演会で話を聞いて覚えていた。


街路で、無数の人が溢れて、飛び出して、2・3人~大勢でなにやら遊んだり、けんかしていたり、ものを運んだり・・・いろいろとなにやらコミュニケーションをとっている。

絵全体の街路に、人々の行動(行為)・アクティビティが描かれている。

その人たちは、食べ物・木・丸太・箱・・・いろいろな道具を使って、人と一緒になって笑ったり、泣いたりとある行為を行っているのがわかる。


この人たちが、みんないったん家に帰って、誰もいないこの街路を見ると、次はどのような行為(絵)が起こるとは想像できない。

同じ行動をとった人々の絵は書けない。

それだけ、街路は予測不明で楽しいところだ。時間と共に、ライブや屋台やオープンカフェ、祭りや綱引き、事故やけんか・・・変化していく。


この都市空間における街路の性質をみると、

逆に「内部空間(屋内)からは行為は起きない、行為をすごく限定してしまっている」といっているのやね。

極端にそう感じることができる絵かなと思いました。









おきなわのスカイラインをかたちどっているものはなんやろうか。

ランドマークなりえるものはあるのだろうか。


ろっぽんぎひるず・スカイビル・都庁・タワー・駅ビル・高層マンション・・・

都市には様々に、人を集めてアクティビティが起こる強烈なもの(たてもん)がある。

おきなわのイメージマップは、大半の人が国際通りらへんを書く。

県庁とパレットくもじがあるけれど、どちらも最悪なランドマーク。。。といっては、だめか・・・苦笑。

パレットくもじの屋上は心霊スポットになっているよう。あまりよりつかないらしいね。

うちなーんちゅは、新都心にイメージマップが移ってきているようだ。

新都心は基地跡地ということだけに建物の距離感が、だだ広く「車」ようにできている。

逆に、期待するのは、徒歩スケール国際通りにできあがるこくえいかんか。


そして、25階建てのマンションが新都心にできるようだ。
ついにおきなわも都市のレベルがかわっていく。

スカイラインには、このマンションだけか・・・このマンションを皮切りに・・・乱立か。




ひとまず、現状のスカイラインを取っているのは、宇宙船のようなものです。





森の中にあるせーふぁうたき。


ここは拝所だから、機能は神殿。

しかし、そのアプローチ・空間はできかたは自然そのものを使っている。

曲がりくねった道は、直線ではないことから木々にそって自然体にあるようにつくられている。

神聖なところだけれども、自然に近づいていることから、ここにあることを主張していない。

この逆V字は、古代の地震の断層のずれから起こったと伝わる。

でも、きれいに平らに削り取られた面のは、人為的に見えて古代の巨匠の設計ちゃうか?と憶測してしまうほど。


ここには、三・四回目の到来。この時の行った時間が、夕方の7時ぐらいだったかな。

先々週ぐらいの夜7時だけれども、驚くぐらい陽が長くなっていると思えるほどの明るさであった。


なにはともあれ、この明るさが絶妙によかった。


ここは東海岸沿いなので、夕陽はあたらないところ。

ちょうど、明け方のうす暗い、もやぁとしたぼんやりとした光量の明るさといいた感じです。

(写真では、光量の入れ方を変えてとっているので明るく見える)



このぼんやりとした光の中、道をたどっていると、木々の空間に囲まれているのに気がつきます。

立ち止まり周りを見てみるとうっすら木漏れ陽があたりを照らしている。

道の先を見ると、明るい陽が道を照らしているが見える。

そこに行くと何があるのか・・・


そこには、木々が開けていっそう明るく、空がかえまみえる。

そして、近くに場(拝所)があるのだった。



目の前に見える・・・明るさが、明→暗→明→・・・空間が、広→狭→広→・・・視界が、下→前→下→前・・・と繋がり、この二項のシークエンスによる組み合わせが空間に表れてきます。1枚目と三枚目の写真で、少しそのことが伝わると思う。


光・あかりという空間の要素が、20~30年前の、今でもいい美術館などのアプローチ・空間でこれと同じようなことを感じるのを思い出した。

明かりの計画が身体・五感に与える影響は大きい。

なんでもこのことは、必要最低限の計画で最大のテーマなんだろう。


って、最近は、教科書を読んでいるせいか、初源てきなことを考えてしまいます。


なにはともあれ、うす暗い時間帯のせーふぁーうたきに行ってみるのもいいです。

ひどい湿気とフォトショップへの怒りからノドがカラカラで、しかも・・・財布には一銭もなく、仕方なく・・・研究室の冷蔵庫のオリオンビアーをあけました。

たまには、いいもんや。つねにストックしておこう○




先週に、おぐらっち研究室で見学ツアーで識名園に行ってきた。

写真は縁側のあまはじからの庭園を見たショット。

手前から奥まで、「芝・松・池・六角堂・橋・木・丘・木の茂み・青い空・雲」と多くのレイヤー(層)が重ね合わさっている。

本を一枚・一枚とペラペラと開いていくようにそれぞれのページ(レイヤー)が重なっている。

おぐらっち曰く、奥に見える(写真では分かりにくいが)木の茂みが、奥行きをあらしています。

木の茂みの暗さが、この世界を・・・・と語ってくれてました。

あと、この庭園の特徴として気づいたのが、丘のような地形がぽこぽこあることです。

京都とかでは、フラットな平らな地面の上に庭が広がっているけど、

ここでは、ちょうどうちなー本島の地形がアップダウンの激しい高低差がある地形のように

この庭園では、その世界が表れているのように感じました。






これは、本殿にたどり着く最後のアプローチ。

曲がりくねった石畳の向こう・・・♪

この松の下にある、高さ1500のくねった石垣の先に本殿があります。

石垣が道の領域を強くつくり、今にも吸い込まれていきそうになる感じがする。

あと、ここのアプローチ(道・石畳)・ほかでは、木々を使った「光の明・暗」の演出があります。

暗がりが空間に奥行きを感じさせ、そこに吸い込まれ

そこから先にある光に、向かっていく。。。シークエンス。

この感覚は、せーふぁーウタキのアプローチに繋がっていく。。。。続。

当分の間ほったらかしにしていたけど、また、始めます。

ウェブ・ブログというツールを思いかえてみて、地道に使いこなして最終的にはなにか繋がりができたらいいかなという思いを思い返しました。

たしか、横浜の講演会で聞いたことなのだけれど、アンディウォーホールが「21世紀は、誰もが15分間表現者になりえる」と言っていたそうな。

ブログっていうのは、それにあてはまったりする。













これは、ブリューゲルのバベルの塔、夕焼けバージョン。

色が影響しているのか、少しも美しい感じがしない。暗く淡く怖い感じがしたりする、けど、そこがなんとも頭の中の目に焼き付いてくる。

最近のうわっと言わされた一枚です。


バベルの塔は、基底部100㍍、高さ100㍍の神殿で、古代オリエント時代のバビロンという、一番大きな都市にあったという。もちろん、このバビロン自体も伝説の都市で、バベルの塔もあったという根拠はなく、

この塔は、「人間の虚栄心の縮図」を表しているといわれている。現実を無視した欲望や快楽からくる無謀な夢みたいなもの、ととれるかな。


国の大王の「塔を一段と天と競わせよ」という命令が、神を怒らし、建設していた大工の言葉に混乱を起こし意思疎通ができなくなったという。

それで、塔は建設できなくなって、さらに、この言葉の混乱により、その人々が様々な地方に分散して散り、それぞれの言葉を話すようになったという。

言語同士の対立が、今もその地区でコソボ民族対立として残っていたりとかするらしい。


ふーん・・・・・・・やね。


ちなみに、バベル(バビロン・ギリシャ語)という意味は「混乱」になっている。たしか、最近ブラピが出ていた映画でやっていたよね。


そこで、おきなわでは高層ビルは建たないのやろか。。。


今は、たってもいいと思う。という、おおありの肯定の考えをもっています。


北谷あたりに。職・住・エンターテイメント近接で。さらに、大きな国道をはさみ、高低差のある地形と海の海岸と埋め立てと関係しながら、ランドマークとなりながら、おきなわの都市の身体スケールを使って。

卒計でやろうか。。。そして、国建にもっていく。そして、実施される。。。苦笑








城の上から見たとても平坦な街並み。

切り妻の住宅がざーっと並んでいて、その上に雪がかかっているのを見ると、どこまでが街で、道で、オープンスペースかわからなかった。

街の境界は、奥の先にある山なんかと感じるほどだ。





けっこうな人の中で「城」にのぼったら、江戸時代の建築・土木物、技術が再現され、こうも残され、人が来ているのを見ると、100年後にも残る建築はなんなんや、権力によるものか、先端技術によるものか、タワーか、コミュニティによるものか、遺跡か、墓か・・・、とふっと思考がでかでかとなってしまい、なにかんがえとんねん、おれはと思いいいつつーのそんなことを思った。


この街は、福島県の会津若松。

前から行きたかったところで、日帰りで行ってみたんやけど、

新撰組、白虎隊、野口英世、松平、会津藩士・・・が小さな街から出てきているんだと思うと土場がふかい。

また春に寄ってみようと思う。


街を歩き回っていると、こんなものがでかでかと掲げられていた。

いったんは、スルーしたけど引き返ししみじみ読んでみた。

飾っていたのは、飲み屋やった


少し自信をなくしたときに、励みになる。

あいづすぴりっと、ありがとう。


「ならぬもの(こと)はならぬ」・・・どうとらえます?

これって人ぞれぞれとらえ方がちゃうと思う。

その本心は、あいづに育った人しかわからんのやろう。


首里の金城町には、歴史深いところなのでみちの保存地区となっている。

そこには、本来の姿とときの流れにそってきたものが露骨に残っている。


人が通る幅だけのみち。

その細街路といわれるものは、もとより車やバイク・自転車は通る必要はなかった。

歩きにくくめちゃめちゃ滑る石畳の上には、徐々にすんでいる人の手で無作為にセメントがひかれる。

住民が井戸へ水をくみに、側溝が雨水を井戸へ・・・

いつの間にか、下水・雨水・配水の通る管がみちにひっついた。


住民が時代と住み方、生活に対応して手を加えたみち。

それは泥臭い人のにおいやね。


これがなくなるれば・・・・

机の上やテーブルに散らかりたまってきた小物やペンを引き出しや押入に入れることになる。

整理整頓。それもデザインという工夫、パッションしだいや。


http://forgemind.com/xoops/modules/news/article.php?storyid=21


インターンでがんがんつくった、机や椅子、人、螺旋階段、すのこが載っています。

ツボ状の模型がめちゃんこデカイのがわかる。

もうちょい、インテリアがあってもよかったと思うばかしかねえ。

うっし、作戦Bプランに変更しよう。

書く時間があまりなくなってきたので、作戦変更をせないかん




パイレーツになりてぇ!!

長らく開いた。




次回から、ずっーと考えていた「みち」についてこん詰めて書いてまとめていこうと思う。


上の写真は、おきなわの観光名所にもなっている首里にある石畳の真珠道である。


高くそびえた城壁みたいに意志、じゃなく・・・・石が積まれている。これは、一部なんだけど。


とにかく、これが集落・住宅地の中をつっきている。


ということは、生活をするための道になっている。


ここは、戦後、戦前、さらに、首里城で王がかまえていた琉球王朝時代から使われている。


人と馬や牛が通り、王が通り、中国の使者を案内し、雨水を下にある井戸に運んでくれるものであったのが、銃弾が飛び交い、軍事作戦が行われ、さらに、車・バイク・自転車が入り、電話線・電線がひかれ、下水道がひかれ、そして、映画が撮影させ、世界中から人が訪れる。


今、時代がたつにつれ対応して生き延びてきたここの道は、保存・再生やらでもめているようだ。


道について、考えるようになったのは一年前の都市計の授業からやった。


区画整理事業で、住宅が建ってもいない中でも、また、集落を・住んでいる住宅を壊してでも計画どおり、無造作に新しい道路、道をできるのをみて考えるようになった。



街、住宅街ができあがっていくのでなく、都市全体のインフラという名目で道路交通の使い勝手やら・・・のためにできあがっていくようなものでやった。


確固たるマスタープランもなく、ありきたりの言葉で掲げられた計画と人工的な街のできあがり方に、はらがたっていた。


自分の家を出た前の道、自分の部屋でた先のアパートやマンションの廊下、いつも通る道、どこかへ行く途中の都市の中の道、いろいろある。


そこには、たくさんのデザインがあって街を豊かにしてくれるものがあると思う。


それは、こころを楽しくしてくれるものであると思う。



つづく・・・・



http://machizo7.seesaa.net/


これは、この前会った象設計人のブログです。


なにか、象の建築の取り組みにはひかれる。


なにか、楽しんでいるというか・・・サッカーやっているからかな・・苦笑。


ひとまず、こくえいかんのコンペのプレゼンも終わり、A2用紙へのプレゼンも切りがついた。


事務所でのプレゼンは、「きみがいるからでしょ?!終わらないのは。話しは好きなんだけどね・・・」っと、ざっくりおおみねちゃん節を炸裂さしてしまった。


へっ、アンビルドならぬアン提出の帝王にでもなってやろうか!!・・・苦笑


・・・10月の下旬に入って、新しい課題「学校」がはじまった。あいかわらず、取っつきにくい課題で、地域開放型だとさ。


この調子だと、小倉氏がいつぶちぎれるのか楽しみなところです。


もうこうなったら、きれさしてやろうや。


来月に向けてリベンジで、スタディをはじめようかと思う。


http://www.kenchiku.co.jp/tepco_si2006/index.html ・・・役に立ちそうな内容でないかも感じるけれど、都市に住むという意味で深めてみようと思う。



垂直に伸びるものは、くさ・はな・木が一番ええね。


コンクリート・鉄骨なんかクソ食らえや!!!!!!!!!!