2009年のインドでの映像を
最近編集し始めている。
この三年間の間で色々なことが起った。
私たちのことでいえば、私たちの間に子供が誕生したこと。
それによって、私は母という生まれてはじめての体験をさせてもらい
JUNAは父という、これまた生まれてはじめての体験をさせてもらっている。
一緒にいたり、いなかったり。
私たちは、家族として共に暮らす前に、まだまだ各自で解決しなくてはならい
心の問題(カルマ)があった。
それをまたずしてこの世に、私とジュナの元に降りて来てくれてた
勇気ある娘のAURAは、そんなまだまだ未熟な両親の元で
すくすくとマイペースに育ってくれている。
そして私たちはそんな彼女の強く優しい魂に癒され、
きっと二人ではもっと時間がかかったかもしれない心の葛藤を
大分バランスのいい部分に調整することが出来始めていると思う。
こうやって、私たちは自分たち家族の抱える問題が、実は地球全体の問題と
かなりリンクしていることに気付かされ、まずは自分のこころをシャンティに保つことから
すべてが始まっているということを知った。
娘のAURAからは日々、たくさんの気づきとメッセージをもらう。
自分がひとりで生きていると思っていた時代もあったけど、
子供が出来たことによって、私は一人ではなく、繋がりの中に生かされていたことに
ただただ感動と感謝を感じることが出来き、そして私はそれに気が付くことが出来たことにより
もっと楽しく、楽に生きることが出来るようになったのには驚いた。
愛はみんなに与えられている。
その愛を惜しみなく、素直に目の前にいる人に手渡せたら、
どんなに幸せなことだろうか。
自分の中に存在するエゴや、まだまだ囚われていてる捨てきれないこころの癖
葛藤。もうそこはさっと手放し、もっと大きな愛に包み込まれ、流れに身をまかせてしまいたい。
自分の五感を信頼し、そして家族を愛し、そしてもっと大きな地球に住むファミリーを愛し
土と共にありたいと祈る。
前置きが長くなったが
2009年ダラムサラ。
私たち きらめく魂の旅人~ディーカオンカ~は、このたびで、祈りを歌にのせ
様々なところでコンサートを開いた。
同じようにその頃旅をしていたミュージシャンなども加わり、
毎晩のようにジャムセッションが行われ、私たちは音の世界の中で
私たちの中に存在している確かな愛を感じ、それだけでとてもハッピーだった。
それもそのはず、社会の縛りや、トラワレ、やらなくてはいけないことなど
なく、自分の好きなことだけをして自由に生きていたのだから。
今の日本でそれをしていたら、生きてはいけても、最低限の切り詰めた暮らになるだろうね。
でも、私は何か苦しさを感じた時、あのときの感覚を思い出すようにしてる。
もともと私たちは自由でいいんだもの。この地球に、遊びにきたのだもの。
もっともっと、自分の感覚を信じて、自分のやりたいことを表現していいんだもの。
そして、自分の表現の自由を、自分で奪ってはもったいないし、
ましてや社会に奪われたくはない。
私の歌声は、インドの旅でどんどん変化していった。
こんな声が、自分の中に存在していたなんて、思いもしなかった。
自分の魂の解放のために、
私は祈り歌っていたのかもしれない。
今聞けば、少し声も強いし、のども歌いすぎで潰れている。耳に痛いときもあれば、
魂にぐっと押し込まれていくような、声の感触を感じる。
今の私はもっと穏やかで、もっと母性的な声。
でも、私はこの頃とても繋がっていた。
自分自身の映像を改めて見てみる。
シャーマンのような、、、なんだか巫女のようにも見えてくるような、、、。
インドという土地からのバイブレ―ションも、ばんばん受けている。
そうか、わたしは空を映していたのだ。
2009年インドはダラムサラ。
祈りをうたにのせ、沢山のところで奉納演奏させてもらいました。
半年に及ぶインドの旅の、最後のステージは、
soul foodというレストランのゲストハウス。
自分たちが寝泊まりしていた巨大な部屋。
入った瞬間から、声の響きがとても良く、十分人も入れる空間だったの、ここでライブを開きたいと思っていました。
集まった魂の家族たち。子供たちも踊る踊る!
コンサート最後の曲は、般若心経のマントラが入る、
~恵みめぐりて~。
フルートで即興で参加してくれたのは、スパニッシュのAlba.
彼女は私の大親友。
声が枯れてるし、なんだか音も聞き辛いと思いますが、よかったら聞いてみてください。