無戸室神社 船津胎内神社 | ホツマツタヱ同好会 ワアミブログ

ホツマツタヱ同好会 ワアミブログ

画家、ホツマツタヱ同好会.アート展企画.フトマニWS.絵本WS主催。2016年ホツマツタヱ東京フォーラム司会を、高島縄文ロマンの集いにてヲシテアート展総監督。2017年、2019年、2020年神田文房堂『タマノヲ展』開催。2021年も7月19日から『タマノヲ展』開催します。

【ホツマツタヱ所縁の神社巡り ハラミヤマ編】
行ってまいりました。富士の山まわりのホツマツタヱ 所縁の神社巡りに。

検証ホツマツタヱ の編集人原田武虎さんにご案内いただきホツマツタヱ を学ぶ仲間達でお邪魔しました。
  
【無戸室浅間神社・胎内神社とは】
基礎の話

「無戸室浅間」神社とは340年ほど前の江戸時代に富士講の信者によってこの洞穴が発見されるとともに建てられました。

富士信仰の史料として当時の巡礼日記などを読んでいると、そこにかならず、“まず胎内に寄って”、という一文がよく出てきていたようです。

江戸時代の富士講の人たちは、富士山に登拝する前日にこの胎内で“生まれ変わり”を体験することが必要だったようです。

その後、御師の家に泊まり神前で祈祷を受けたり、麓の湖や滝といった霊場で禊ぎをしたり、ふだん俗界にいる人間が、神なる富士山の山頂に行きつくには、さまざまな道のりを通らなければならなかったのでしょうか。

※富士講 富士信仰
※ホツマツタヱ 内で富士の山はたくさんの名前があり、その一つが『ハラミヤマ』です。

※無戸室(ウツムロ)=ホツマツタヱ 24アヤの『ウツムロ』
*アシツ姫=コノハナサクヤ
*讃え名  生まれの名前以外に功績を称える名前をいくつでも天皇に近い方から頂けた。

ーーーここから本題ーーわあみーーー

富士裾野の船津胎内神社(無戸室浅間神社)に伺いました。

縄文古代文献のホツマツタヱ24アヤに胎内神社の『ウツムロ』にまつわるエピソードがあります。
中はこんな‼️
この後はしゃがんで進むような場所ばかり‼️
参拝をしたその奥に入りますが、この位置に入るのは今までご祈祷を受ける時ぐらい、、、緊張します。







長いですが、お時間がある時にお読みください。

ニニキネはアマテルカミの許可と、勅を受けて日本中に灌漑による稲作を広める旅に出ていました。

相模から富士一帯の役職名オオヤマスミであるカグヤマツミの館にて娘のアシツ姫が食事などをもてなした際にアシツ姫に一目惚れしました。2人は一晩の契りを結び、その後ニニキネは旅を続けます。

その数ヶ月後に
アシツヒメは一夜を過ごしたニニキネとの子を宿し、報告をしたところニニキネ大変喜び、伊勢に知らせようと旅に連れ添うことになりました。

しかし、当時は姉と妹が一緒に同じ夫を持つ事(アマテルカミはムカツ姫と妹のハナコを妻にしている)も、よくありましたので、

アシツ姫の母親はニニキネの休む宮に姉のイワナガを連れて『(アシツより)もっと素晴らしい姫がいますよ?』と言葉を飾って売り込みます。

言葉を飾る事や嘘をつくことをホツマツタヱでは『ふたごころ』二心を持つといいます。
母は二心でイワナガを売り込み1度は会ってみたニニキネ。残念ながらイワナガが好みではなかったため『やはりアシツ』とイワナガを退けました。

そのため母と姉はあろう事か、アシツ姫に怒りの矛先を向けました。

(現代にもある母による搾取子と愛玩子みたいな話ですね)

母、姉は下女を使い
『アシツ姫は不義の子を妊娠している』と噂をばらまかせます。
もちろん噂はニニキネの耳にも入り、そういえば、一度しか契りを交わしていないし、、自分もイワナガに会ってしまったし、後ろめたい気持ちと、姫を疑い気持ちからニニキネはアシツ姫といた宿を1人で先に旅立ってしまい、アシツ姫は置いて行かれました。追いかけるも間に合わず、白子宮に戻りました。

アシツ姫は
二心ある裏切りを受けてニニキネの信用を失いました。

しかし、アシツ姫は(ひいおじいさん)サクラウチの子孫、🌸桜は夫婦の象徴🌸である事から白子宮という場所で桜を植えて

『桜よ意、心があるならば、私の妊娠があだタネ(父が違う)ならば花しぼめ、まさタネ(父はニニキネ)ならば子を産む時に咲け』

と誓い、願をかけました。

姫は三つ子を出産し、胞衣の表面に花が浮かぶ奇跡が起きました。なんと、その花は梅から桜へ最後はウツギへ変化したのです。
(梅の季節に梅に見送られながら旅を始めたニニキネは、途中、桜、ウツギの花を愛で、褒め、それが記録にある)

アシツ姫はこれは意味があるに違いないとニニキネに知らせるも心に届きません。まだ疑いは晴れないのです。

4人を救うために水を吹きかけるタツ
助けられてご機嫌で帰るタツ

アシツヒメは3人の皇子を産んでから
ニニキネにいつまで経っても信用して頂けない事を嘆き富士の裾野にウツムロを作り(戸口のない空の小屋)
ウツムロに火を放ち、
誠にニニキネの子ならば助かると願をかけていました。

それを知った富士山頂に住むコノシロ池のタツタの神(龍)が水を吹きかけて皇子は這い出だし助かります。(ミネのタツ)
このことを見た諸々の人が火を消すのを手伝い、姫を宮に送るりました。



伊勢にいるニニキネにその話は伝わり、姫が出産してから白子宮の桜も咲き絶えていないことがわかると、ニニキネは急ぎカモ船で姫の元に向かいました。

ニニキネは姫に逢いに行きますが、もう散々いろいろな手段で『貴方の子であること』を証明する努力をしたのに死にかけなきゃ信用してもらえない事でアシツ姫は傷つき、ニニキネが来てくれても簡単に手放しで喜べなかったので、布団を頭から被って『会いたくありません』と拗ねていました。

申し訳ない気持ちで
ニニキネは歌の雅で自分の心を伝えました。
その後、
アシツ姫はニニキネの和歌に心を開き、裸足でニニキネに逢いに行くのでした。


桜とは夫婦融合の象徴でした。だからアシツ姫は桜に自分の気持ちを代弁して欲しい、私の心にはニニキネ様しかいらっしゃらないと誠実さを証明したかったんですね。

この事からアシツヒメはニニキネから『コノハナサクヤ』の讃え名を賜いました。

画像4枚について
24アヤから刺激を受けて絵を描きました。

アシツ姫と3人の皇子を助けるタツ、
助け終わりご機嫌でコノシロ池に戻るタツ
初めてタツを描いた時の絵(富士、フトマニ、タツ)
24アヤイメージのタツと富士