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父と家族の末期がん闘病記

2012年6月末、当時65歳だった父が突然、末期の食道小細胞がんとの診断を受けました。
現実と向かい合うため、父との日々を忘れないための記録ブログです。

父の体調が急変し、緊急入院したのは2日前の木曜日。

経緯としては、外来でCT造影検査を行った父が体調不良を訴え、主治医からの入院提案を受け入れたそうです。

主治医が診てくれることに安心したのか、その後母から届いた状況報告メールには「 入院してパパは少しばかり元気を取り戻した様子なので、心配しないで。 」と書かれていましたが・・・

昨晩、母から電話が掛かって来ました。



母は淡々と話をしてくれましたが、その内容はとても衝撃的なことばかりでした。



告げられた内容は、次の通り。


***

・ 今朝( 金曜日 )、病院から母に電話があり、主治医から話があるとのことで、父には内緒で話を聞きに行った。

・ 主治医の説明によると、木曜日に受けたCT造影検査結果を見る限り、首元の腫瘍増大が著しく、気管や食道を相当圧迫している状態。( なので、父がまともに食事をすることが出来なくなった )

・ 今まで投与してきたタキソテールが首元の腫瘍に対して全く効いていないことは明らかなので、主治医の判断として、以降の抗がん剤治療は行わないことになった。
また、腫瘍の切除手術も不可、ステント等で気管や食道を広げることも不可、もはや増大し続ける腫瘍に対する有効な手立てはないとのこと。
( 気管切開等も行えない? )

・ そのため、腫瘍増大によりいずれは完全に気管が潰され、呼吸困難に陥り、窒息死に至る状況。
それがいつになるかは腫瘍増大スピードに拠るため、それは明日起こり得ることかも知れない・・・

・ 現時点で相当気管が狭まっている状態のため、淡が絡んだだけでも窒息死する可能性が高い。

・ 父が可能な限り苦しまないよう、呼吸困難を訴えた時点で薬で意識を朦朧とさせ、可能な限り苦しまずに最期を迎えられるよう尽力すると、主治医に言って貰えた。

・ とりあえず来週父は一旦退院し、自宅で過ごせるよう配慮をして貰えることになった。

・ 以前はホスピスへの転院を考えていたが、母としては最期まで大学病院の主治医のもとで父を診て貰うことがベストだと考えていること。( 父が主治医に信頼を寄せているだけに、私も同意 )

・ 想定される死因が原発食道癌の再発や転移による臓器機能低下ではなく、気管圧迫による窒息死になろうとは全く想定していなかったため、今後も父にはこの事実を告げず、少しでも安らかに最期を過ごせるように家族として接していきたい。

・ あなた(私のこと)は現在妊娠9か月後半、出産後も当分身動きが取れない身であるし、父の最期を看取ることも、お葬式に出席することも出来ないと思うが、そのことは気にしなくて良い。
とにかく、父が心から願っていた第一子を無事に出産することがあなたにとって一番大事なことなので、出産に向けて専念して欲しい。

***


父が癌そのものに侵されて亡くなるのではなく、窒息死によって死に至らされるという、想定外かつ衝撃的なな予後。

しかしながら、1年生存率10%以下の病を患いながら2年近く自立した生活を送れていたこと自体が奇跡なのだし、だからこそ遅かれ早かれこういう日が来るとは覚悟してきたことだったせいか、母の話を淡々と聞くことの出来る自分がいました。
そんな自分は、なんと薄情な娘なのかと感じるくらいに。

でも、電話の後半にお腹の中の胎動を感じはじめたら、" 誰よりも私の妊娠を待ち望んでくれていた父が、この子を抱き上げてくれることは無いかも知れない "という現実が押し寄せてきて・・・
電話を切ったあと、その場にいた夫に父の状況を告げながら、涙が止まらなくなりました。


話を聞きながら夫は、まだ父に対して施す手段はあるのではないかと少し思った様ですが、やはり父の寿命は長くないと感じたようで、「 実家に帰りたいでしょ? 」と、私の気持ちを探るような問いかけ。


けど私はつい先月帰省したばかり。
それもいよいよ臨月を迎えようとしているのに、今また急に1200キロ以上も離れた実家に駆けつければ、繊細な父が「 何かおかしい 」と感じ、私に合える喜びよりも、自分の置かれた状況を悟ってしまう可能性は低くありません。
それでは本末転倒だし、出産を控えた今の時期に、飛行機の距離を帰省することにも不安が無いとは言えない。。。

その考えを告げた上で、「 先月帰省した際にも、これが最後になるかもと覚悟していたし、今の私が一番優先すべきことは、無事に出産することだと思ってる。 」と、冷静に返しました。


すると夫は、

「 僕がお義父さんと会っておきたいな。
 それに、会いたいなら、自分が会いたい気持ちを優先するべきだよ。
  幸いなことに、来週金曜日の午後は仕事を休める状況で、来週末は土日とも宅直も無いから、僕も行こうと思えば行けるから。
 帰省の理由は、僕の学会ついでに立ち寄ったとか、退職前にお世話になった方への挨拶ついでに立ち寄ったとか言えば良いんじゃない?
 ( 医者である )僕が一緒なら、君も安心でしょ。 」

と。


そんな夫の優しい一押しを受け、正直、自分の思案に薄情さを感じずにはいられなかった一方、夫が与えてくれた深い思いやりに、胸をいっぱいにせずにはいられませんでした。

そして、普段は平日に休みを取れることなどほぼ皆無な上、土日共にフリーになることも珍しい夫が、偶然にも一緒に帰省できるような状況であることは、神様から授けて頂いた最後の奇跡なのかも知れないと考えたら、気持ちは一気に帰省する方向に固まりました。


そして1時間後には、羽田往復の飛行機を予約完了。

来週末は妊娠35週目、妊婦がギリギリ、国内線の飛行機に搭乗することの出来るタイムリミットです。
直前予約すぎて往路は夫と別々のフライト、帰路は早めに大分に戻るフライトになってしまいましたが・・・


月曜日に予定している妊婦検診で主治医に話をし、そこでNGが出なければ、大きなお腹を抱えて父に会いにいくことになります。


悲しい現実の中に生まれた、温かい奇跡。
父に笑顔を、届けられますように。
昨日から父が入院したとの連絡を受けました。

それに伴い、明日予定していた抗がん剤の投与(タキソテール12回目)も延期となりました。


母の話によれば、週末まで元気に過ごしていたのが急に元気が無くなり、一昨日はほぼ一日お布団の中に伏せ、食欲も殆どなくなってしまったとのこと。。。
病院では食事をせず、栄養点滴で過ごしているそうです。


母はメールで、「 今度こそ、覚悟しなければいけないかも知れない 」と悲観的になっていましたが、正直私には父が急変した理由が今ひとつ解せません。

1か月前、私が帰省した際に一緒に受けた外来では、父の原発食道部の癌は再発しておらず、転移もないと主治医から説明を受けていたからです。

小細胞癌の進行はとても速いとは言え、こんなにも急変してしまうものなのでしょうか・・・
夫も「 癌による体調変化というより、( 家庭内に山積する問題が祟っての )精神的なものなんじゃないかな? 」と言っています。


先ほどまた母からメールが届き、今日は食事はしていないものの、元気は取り戻しつつある様子とのこと。
私も夫と同様、父の体調変化の原因は精神的なもののような気がします。


現在妊娠9か月、ただでさえ身動きの取れない私は、1200キロ以上離れている父に万が一のことがあっても、すぐに駆けつけることは現実的なことではありません。

あと50日ほどで出産する我が子の誕生を、なんとか笑顔で見届けて欲しい。
そして、7月下旬に迎える父の68回目の誕生日を、無事に迎えて欲しい。


詳細な状況が分からないだけに、今はただ、父の精神的な安定を心から願うばかりです。

季節は春を通り越し、初夏を感じる装いになってきましたね。

4月下旬には無事に実家に帰省し、大きくなったお腹を両親に見せることが出来ました好
現在妊娠9か月( 32週 )、お腹もだいぶ膨らみを増し、力強い胎動も感じています。


また、帰省中に父の外来が重なり、両親と一緒に主治医のお話を聞くことが出来ました。

去年8月に手術で切除した頚部リンパのしこり( タキソテールが唯一効かなかった部分 )がまた再発・出現していたのは、以前から分かっていたことなのですが・・・

4月上旬に受けたCT検査で急拡大が確認され、気管を圧迫し始めていることが判明。
やはりこの部分だけは、抗がん剤が効いていないと言わざるをえません。
ただ、幸いにも原発となる食道部に変化は見られず、肺やその他の臓器への転移等は見られませんでした。

人はガンそのもので死ぬのではなく、ガンが臓器を侵食し、機能障害を引き起こすことによって死に至らしめるということを考えれば、臓器に再発・転移していない以上、頚部リンパのしこりが父の寿命に影響することは無さそうです。

しかし、「 変化があった 」という事実そのものが父の精神に大きくのしかかってしまったのは事実で。。。
父はすっかり落ち込み、久々の私の帰省も心が宙に浮いている状態になってしまいました。


診察では、抗がん剤が効かないのに副作用だけ残るのでは本末転倒なので投与を中断もしくは薬の変更に関する打診を受けました。
しかしながら父の場合、今ではすっかり薬の副作用を感じない状態になっているので、2か月ぶり11回目のタキソテールを投与することに。

原発食道部にだけでも、タキソテールがまだまだ効き続けてくれますように。


***


ところで、私が実家から大分に戻ってきてから一切父と連絡を取り合っていません。

実は実家滞在中、父と少し言い合いになってしまったのです。


姉が二人の娘( 両親にとっての孫 )を連れて実家で暮らしているのは、以前ブログに書いた通りなのですが、姉が昼間働いている分、孫の世話を両親が見ている状態にあるのです。
下の孫はまだ3歳で、まだまだ手の掛かる幼児期。
それだけでなく姉が精神的に少し弱いこともあって、両親は父の病気以上に、姉家族のことで手一杯の状況なのです。

それに、今までも姉はいつだって両親に心配や面倒をかけっぱなしで、両親の関心や心配はいつも姉ばかり。
正直、私は「 あの子はお姉ちゃんと違って大丈夫だから 」と思われ、実際にもそう言われて育ってきました。

姉は某有名女子大在学中に学生結婚している上に、国際&出来ちゃった婚。
昔も今も一度も正社員で働いたことが無く、" 困ったときには、誰かが必ず手を差し伸べてくれる "と思い込んでいる、完全受動型人間。
総合大学出身、総合職&海外マーケットの荒波に揉まれまくってきたガテン系気質の私とは完全正反対なのは確かです。


けど、私だって初めての出産・育児で不安がいっぱい。
こんな時くらい、両親に気に掛けてもらいたいというのが本音。
そして、何故いつも姉だけ、、、という、拭うことの出来ない不公平感。

被害妄想かも知れないけど、私だけが一方的に父の病気の心配をし、両親の負担を想い、気張って過ごすことに空しさを感じているのが事実です。


そんな気持ちから、

「 私はパパのことを心配して、この1年間だけでも飛行機で4回も帰省してる。
パパもママも私が帰省すれば単純に喜んでくれるし、まだ子供のいない私たち夫婦に経済的余裕があると思っているかも知れないけど、車で2時間の距離に住む義両親のもとに行く頻度よりも多く実家に帰ってるのだから、相応の帰省費用が掛かっていることや、夫や義両親に対して私が気を遣っていることを、少しは気に掛けて欲しい。
その上、辛い不妊治療も孤独に頑張っていた私の苦労も察して欲しい。

パパもママも姉や孫のことがあって私の元へは行けないと言い訳ばかりだけど、私だって初めての出産で不安も多いし、来て欲しいと思う。
『 お姉ちゃんが・・・孫が・・・ 』って言い訳を聞かされるのは、精神的に苦痛。

私は出産に際して両親に面倒や心配を掛けないように一人で頑張るから、その分パパもママも、今後は私に期待しないで欲しい。
姉が頼りにならないからって、相続問題やパパの病気に関する対応を私に求められても、子供を産んだ後は今までみたいに力になれないと思う。 」

と言ってしまいました。

キツイ言い方をしてしまったと思うけど・・・ でも、全部本音。


今まで父は、「 頼れるのはお前だけだよ。 」と私に頻繁に連絡をくれていましたが、私の本音の告白が堪えたのか、この一か月弱、全く連絡は来ていません。

病気で精神的に弱っている父に対して、私は大人になりきれないひどい娘だと思います。
だけど、娘だから、病気の父に対しても、気に掛けてもらいたいという想いが拭えないのです。。。


なんなんでしょうね。
親子なのに、両親に対して無償の思いやりを与えることが出来ないちっぽけな自分。


とにかく、7月上旬に私は親元を遠く離れた九州の地で、初めての出産を控えています。
8月上旬には夫の転職に伴い、新生児を抱えて新天地への引っ越しを予定しています。
意地を取り除いても、本当に自分のことを考えたり行動するだけでいっぱいいっぱい。


両親に心配と迷惑を掛けないことが、今一番の親孝行。
そう割り切って、頑張ります。