年始に発売されたいくつかの雑誌に載っていたキーワード「社内失業」。


大学生の就職活動が話題となった昨年に続いて、「社内失業」が話題になるのかなと思っていました。


雑誌的に、社内失業者の味方になるのか、敵になるのか。

その辺で、労働環境的な変化の方向が変わってくるんだろうな。


社内失業者がけしからんという流れならば、解雇規制の緩和という流れになるだろうし、

社内失業者を救えという流れならば、解雇規制の維持という流れになるだろうし。



なぜ、社内失業者が生まれるのか?


多分、根っこは、バブル崩壊時のリストラブームにあるんだろうと思う。


1)仕事をガメているならば、リストラされにくいという心理が働く

2)仕事を大量に処理する労働者の登場

3)成果主義ブーム

4)処理件数にこだわる心理が働く

5)特定の人だけに多くの仕事が割り当てられる→社内失業者発生


簡単にまとめると、こんな感じかな。


近い将来としては、「給与格差」という言葉がブームになってくる気もする。

給与調整であるならば、法的な規制は比較的緩い気もするし。



「プロ意識を持て!」などと言われた経験のある御仁も多いのではないのだろうか?


「プロ」って何だ?

多分、大体の人は、「仕事でお金をもらうこと」って答えるだろう。

この定義に従うなら、サラリーマン全体が「プロ」っていうことになる。



「プロ意識を持て!」と言う人は、対象の人間を、「プロ」と見ていないのだろう。

ということは、上記の「プロ」の定義は、何かが違うんだろう。



「プロ野球の選手」に対しては、みんな、「プロ」って認めていると思う。

なぜか?

きっと、幼少のころから、野球をやってきて、

甲子園でセレクトされ、

ドラフトでセレクトされ、

スタメンにセレクトされ、

っていう経歴があるからだろう。


何がサラリーマンと違うのか?

上述のセレクトの過程で、「適性」のある人間だけが残っていることに尽きるんだと思う。


つまり、「プロ」の定義としては、「適性のある仕事でお金をもらうこと」が正しいのではないだろうか?



いくつかの職を経て、今の仕事が、一番「プロ意識」を感じさせる。

「休むのも仕事のうち」

そう感じた職業は、他になかったから。


仕事に向けてコンディションを整えることを意識するようになったのは、「プロ意識」が高まったからだろうか?

それとも、「老化」なのだろうか・・・・・?

2010年

すごく忙しかった1年でした。

このご時世、ありがたいことです。

お仕事バブルっていう感じでした。


夏場に立てた作戦。

役立った感じでした。


「強み」を活かす。

「他人」を使わない。



多分、事務所では、目立つ数字を残せたのではないだろうか。



・お仕事クオリティ

 マイナーチェンジを繰り返して、去年とは違うスタイルを確立できたと思う。

 大切なのは、「クオリティアップ」を心のどこかに常にとどめておくこと。

 そうすれば、いつの間にか、そうなっている。

 そんなことを実感した。

 2011年もそういう変化があればいいと思う。


・スピード

 もともと自信のあった分野。

 振り返れば、「よくやったな、自分」と言えるくらい、案件をこなした。

 大量の案件をこなす能力を、トップマネージメントにアピールできたような気がする。


・反省

 少し、仕事をセーブする必要があったことも事実。

 もう少し、時間をかけるべきと感じたことも何度か・・・。


 同僚の退職の影響を受けたことも、仕事の集中の原因であったわけだが・・・



「他人を使わない」大作戦は、僕の作戦の柱の1つであったわけなのだが、

その辺の変更を要求されるかもしれない。

3月までは、今の作戦を継続するとして、それまで、様子見をしてみるか・・・。


上司からの仕事のいくつかを断る方向で動いてみるか・・・。


ま、1番よいのは、自分のキャパアップなのだが・・・。


自分の仕事のやり方に、何かしらのブレークスルーが必要かな。


少し、その辺りを模索してみよう。

ブルーカラード

勝間先生が、「日本のホワイトカラーは、生産性が低い」と述べられるのを聞くと、

「外資系かぶれが!」と思われる人も多いのではないだろうか・・・。


ブルーカラーなキャリアを持つ僕からみると、勝間先生と同意見なのだ。


SQC

SQC(統計的品質管理)のコンセプトは、ホワイトカラーの職場に持ち込むべきツールの1つだと思う。

SQCは、「不良品」の発生を前提としていることは、着目すべきであろう。


機械で作る製品ですら、不良品の発生が前提となっているのだ。

人が作り出すサービスの提供を担うホワイトカラーな仕事ならば、不良品の発生を前提とした仕事の仕組みや組織を作り上げることは、なおさらのことである。



ミスを絶対にするな!

多くのワンマン所長さんたちが言うこのセリフ。

工場でいえば、「生産ラインを止めること」と同義だ。

ラインを止めてしまえば、不良率は確実にゼロになるから。


重要なのは、ミスをどれだけ検知し、減らすことができるかであろう。



物理法則

物理法則で成り立っている工場においては、不具合の原因となっている部品が、交換されない限り、同じ不良品が生産され続けるというのは常識である。


ホワイトカラーなお仕事に当てはめると、ミスを改善するための変化が作業工程にもたらされなければ、同じミスが発生し続けるということだ。


残念ながら、多くのワンマン所長さんたちは、

「注意力が足りない!」とか、

「気合いが足りない!」とか、

そんな精神論に終始してしまう。


物理法則には、精神論は糞の役にも立ちやしない。

冷静に、どの作業工程に不具合が生じたかを分析し、作業工程を変化させることが重要だ。


反省の色を見せ、作業工程を変化させない人と、

反省の色を見せずに、作業工程を変化させる人とでは、

後者の方が優秀な人材なのだろうと思う。



書類の作成

おおざっぱに言って、僕の仕事は書類作成工程とチェック工程に分けられる。


書類を作成するIrisさんは、必ず何かミスをしている。

そういう目で、書類をチェックするIrisさんは、自分の書類を見なければならない。

もし、ミスが看過されたならば、チェック工程を重点的に見直さなければならない。


また、書類をチェックするIrisさんは、必ず何かミスをする。

そういうことを前提に、書類を作成するIrisさんは、書類作成に取り組まなければならない。

チェックしやすいように、書類を作成するのだ。


こんなことが工場では、日常的に行われている。


勝間先生が嘆くのも、無理からぬことではある。






集中

ドラッカー先生は、「不必要なこと」に対する示唆を与えている。

「不必要なこと」の1つは、「能力や報酬に関係ない仕事」だと。

「能力や報酬に関係する仕事」に集中することで、「生産性」が向上すると、ドラッカー先生は述べている。


僕にとっては、「弁理士」の能力に関係ない仕事が、前の事務所で、「不必要」と感じていたことだった。

ただ、組織にとっては、僕にとって「不必要」と感じていたことが、「必要」なことであることも理解していた。

弁理士になる前の職業で培った技能や能力が、他の所員よりも優れていたせいで、「不必要」と感じる仕事が多く舞い込んできたのは皮肉なことだ。



『弁理士の能力に関係する仕事に集中したい』

それが、転職の大きな理由だった。



分業制

分業制」は、「能力や報酬に関係する仕事」に集中させるための1つのツールであろう。

幸いなことに、現職場では、分業制がよく機能している。

おかげで、弁理士の能力に関係する仕事に集中できていると思う。


どんなシステムにも、正の側面と負の側面がある

工場での経験で得た法則だ。


他部門の仕事に理解を示さない人が多い職場では、分業制はあまりよろしくない。

上流工程の下手な仕事は、下流工程での不具合を誘発する」からだ。

幸いなことに、現職場は、他部門の仕事に興味が示せないほどは忙しくはない。

だから、あまり部門間のトラブルは、僕の耳には聞こえてこない。



改悪

僕が退職した後、前職場では、雑務に関して、分業制が導入されたと聞いた。

僕が引き受けていた雑事が、複数の人間に分散されたのだから、そうなるだろう。


その件に関して、色々、愚痴を聞かされたが、上手くいっていないのは当然だろうと思う。

他人に対して気づかいを示せるほど、精神的な余裕を持てる職場ではないのだから。



前同僚の愚痴を聞きながら、現職場のシステムを構築したトップマネージメントの方々のすごさを改めて実感した。

経営って、ほんま、難しいわ・・・。





確率論

多くのビジネス書で、「生産性を挙げるために、不必要なことをしない」と述べられている。

しかしながら、不必要なことを見極めるのはなかなか難しい。

そもそも仕事中の作業工程は、過去に必要だと思われる事案があったからこそ組み込まれたものがほとんどだからだ。


不必要と思われていた作業が、時と場合によっては、とても重要な作業になっていたりすることも珍しくはない。また、不必要な作業から、ブレークスルーが生まれることもある。


結局は、「必要」か「不必要」かは、「確率論」に支配されるのだろう。



決定権

前事務所で、同僚が「この作業は、不必要だ」との類の進言をしたとき、所長は「必要か不必要かは、私が決める」と述べていたことを覚えている。この決定は、ある意味正しいのだろうと思う。不必要なことを勝手に差っ引いていったら、組織が立ち行かなくなるからだ。



あるとき、自分のキャリアにとって、事務所での作業のほとんどが不必要なことと気付いたとき、僕は転職を決意した。自己のキャリアオーナーは、自分自身だ。ワンマン所長と同様に、自己のキャリアは自分で決める。



微笑と沈黙

先日、前職場の同僚と飲みに行った。

僕が抜けた後、僕が不必要だと感じていた数々の作業が他の人間に割り当てられたらしい。

その結果生じた過度の業務負担に関する恨み節の数々を聞かされた。


『煩わしい業務を一手に引き受けてた僕が抜けたのだから、そうなることは当たり前なわけで』

『てか、それまで、ある意味、全員がその手の業務を僕に押しつけてたんだから』

『ぐだぐだ言わずに、やめりゃあ、いいじゃん』


そんな黒い感情を隠して、微笑んで愚痴を聞いてました。

そして、黙って、相槌。



煩わしい業務を一手に引き受けていたことが、転職活動のときのアピールポイントになったのも事実。

何が無駄なことなのか、未だによくわからない。





知識社会

1992年の論文において、ドラッカー先生は、「知識社会の到来」を告げている。

ドラッカー先生は、この論文の中で、知識社会の特性として、「社会の急速な変化」や「組織や商品寿命の短期化」を挙げている。



コンビニエンスストアでお気に入りだった商品があっという間に店頭から消えてしまっていたり、GMの破綻などを目の当たりにすると、ドラッカー先生の言は、正しいのかもしれない。



改善

知識社会の中で、生き残る術として、「改善活動」が推奨されている。

日本の多くの工場で採用されているアクティビティだ。


問題点の発見

問題点へのアプローチの立案

アプローチの実行

解決度合の検証


これらのステップを繰り返し行うことで、知識社会で要求される自己変化がもたらされるとのことだ。

このような工場的アプローチを組織的に行っている特許事務所を僕は知らない。

きっと、高い成果を出す人は、自らの仕事の中で、「改善活動」をしているんだと思う。


幸いなことに、工場出身の僕は、「改善活動」を直に体験している。

そして、社会人生活の初期に、「改善活動」を叩き込まれた。

仕事の手法は、今も役立っている。


阻害因子

自己変化に対する阻害因子として、「改善活動の不実行」の他に、「時間及び情報の欠如」が挙げられる。



雑務に追われて、本業に十分な時間を割くことができない環境では、自己変化は難しいと思う。

変化することには、リスクが伴うからだ。

変化が悪い影響をもたらすこともある。悪い影響を許容できる程度の時間的余裕がなければ、自己変化は難しいだろう。



情報は、自己変化をもたらすトリガだと思う。

例えば、法改正の情報の欠如は、改正後の法律に不適合な仕事のアウトプットをもたらすかもしれない。



転職

僕の転職理由の主な部分は、「時間及び情報の欠如」だった。

このままでは、「化石化」してしまうと思っていた。


自己投資をする時間もなく、仕事から得られるインプットも数少なくなってきたと感じた時、

転職しようと思ったのだ。



自分のやり方の固執するのも悪くはない。

自分の得意な分野に留まるのも悪くはない。



だけど、そのような同僚たちを見ていると、


「不変化」は、「化石化」への一本道


と感じた。




これからの人材とは、自分のキャリアを自ら決定する人

ドラッカー先生の意見に少しだけ励まされたような気がした。



情報化社会

情報化社会」という言葉が、よく使われている。

情報は、金となり、社会人として生きていく上で、情報を取得する能力はかなり重要になっているのであろう。


ドラッカー先生によれば、情報に精通するためには、まず自分が何を知るべきかを学ぶところから始める必要があるということだ。



クライアントのニーズ

顧客設定を「上司」から「クライアント」へ宗旨替えをした僕。

知るべき情報は、上司のニーズではなく、クライアントのニーズであろう。


クライアントの修正依頼の裏側を読み取ることが、クライアントのニーズを知ることにつながるだろうと予測してみた。

クライアントのニーズを満たせていない部分が、修正の依頼となって現れているのは間違いのないことだからだ。

もちろん、ニーズを満たせていなくても、修正の依頼をしてこないクライアントがいることは承知だ。だからこそ、修正の依頼はありがたく受け止めなければならない@感謝の心



妄想力

修正の依頼には、これまでも応えてきた。

しかしながら、修正の依頼の背景までを理解する努力は、残念ながら、怠ってきてしまったと思う。

おそらく、「何を知るべきか」の「何」にクライアントのニーズの文言が入ってなかったからだと思う。



これからは、修正依頼の背景を妄想するのだ。

そしたら、何かが見えるのかもしれない。



そういえば、自分の強みの1つに、妄想することを挙げることができる。

妄想した上での、仮説の設定、その後のアプローチ、結果のフィードバック。

これらを組み合わせることで、何かが変わると思う。


「アイ キャン フラーイ!」@窪塚洋介



情報の取り扱い方

修正の依頼」は、ともすれば、自分のプライドを傷つける都合の悪い情報のカテゴリに入るのだろう。

しかしながら、正しく使えば、自己の成長にとって都合のよいものになると思う。



先日、「チャレンジャ号(スペースシャトル)」の事故原因を究明する番組を見ていた。

原因は、「低温時のOリング(ゴム輪)の性能低下」をNASAが軽視したことだそうだ。



ゴムが、低温化で硬くなることなど、中学生でも知っている話だ。

科学の最先端をいく専門家集団のNASAが、このことを軽視し、結果として、7名の宇宙飛行士が亡くなった。

NASAは、使用されているOリングが、発射日の環境下では、問題を引き起こすことを知っていたらしい。

それでも、飛ばした。そして、爆発。



情報を手に入れた後において、大切なことは、「何に使うか」ということだろう。

そんなことを痛感させられた番組だった。




マーケットルール

以前、勤めていた会社で習ったこと。

マーケットでナンバー1のシェアを獲得した会社は、莫大な利益を得る。

2番目は、そこそこ黒字。

3番目以下、赤字。


このことは、麻雀などの賭けごとをやる人には体験的に分かるであろう。



ドラッカー先生によれば、リーダ的な地位に立つためには、市場や顧客の価値と、生産者や供給者としての特別の能力を結合する能力が必要らしい。




顧客って?

以前、統計学の講座に参加していた時、講師に、「あなたにとっての顧客について、よーく考えてみなさい」と言われたことがあった。


若かりし頃の僕には、皆目見当がつかなかった。

歳をとり、顧客について、考えられるようになった僕。


昨年度の顧客は、直属の上司だった。

上司に喜ばれる仕事を達成すること

これが、僕の打ち立てた「事業の定義」だった。




事業の定義

昨年度の僕の「事業の定義」は、大ヒットであった。

僕にパスを回せば、他の人と較べて、ほとんど上司の手を煩わせることなく結果に結び付けたからだ。

おかげで、短期で「クラスアップ」をすることに成功した。



ドラッカー先生によれば、「事業の定義」が時代遅れなものとなると、正しきことをしても、成功できないらしい。

クラスアップに伴う環境の変化は、昨年までの僕の「事業の定義」が流行遅れなものにさせている気がする。もはや、上司は僕の作成する書類をチェックすることはほとんどないからだ。




再定義

僕の書類を見るのはクライアントだ。

したがって、今年度からは、「クライアントを喜ばせる仕事」だ。


クライアントからのフィードバック情報をもっと活用しなければならない。

クライアントの打ち合わせにおいて、クライアントの求めるものを察する能力を高めなければならない。



何やら、「普通の弁理士さん」っぽいことを述べていることに気付いた。

ようやく僕も普通の弁理士さんになれたのだろうか。。








構造変化

ドラッカー先生によれば、既に起こり、後戻りのないことであって、10年後、20年後に影響をもたらすことについて知ることは大いに意味があるらしい。彼の論文では、そのようなこととして、人口構造の変化を挙げている。


僕にとって、そのようなこととは、弁理士の増員政策なのかもしれない。



予測

巷では、弁理士の増加が、競争の激化を招くと言われているが、僕は、そう単純なものではないと思っている。特許事務所の数が増えたという話をあまり聞かない一方で、人員削減や閉所の話をよく聞くからだ。


弁理士の増員は、特許事務所で働く補助者から弁理士へのクラスチェンジと企業内弁理士の増加を意味しているのではないだろうか?補助者から弁理士へのクラスチェンジは、望ましいことだと思う。以前のように、多くの明細書が補助者の手によるものという状況よりは、ずっと正常な状態だと思うのだ。


企業内弁理士と特許事務所の弁理士との競争もあまり成立しないと思う。企業内弁理士と特許事務所の弁理士とは、期待されている役回りが違うと思うからだ。企業内弁理士の明細書作成は、彼らに期待される多種の業務のうちの1つに過ぎないのに対し、特許事務所の弁理士は、明細書作成が主業務である。


企業内弁理士の増加は、特許事務所が出力する明細書の良否の判定精度を向上させるだろう。

彼らは、国内のみならず外国の法制度を含めて、総合的な知見の下の判定をすることができる。



結論

弁理士の競争の激化の1つの因子として、企業内弁理士の増加に起因する明細書の良否判定の精度の向上が挙げられる。企業内弁理士が作成する明細書と有意差が見いだせない明細書しか作成できない特許事務所の弁理士は淘汰されるのだろう。企業内弁理士が作成できるレベルであれば、わざわざ特許事務所に依頼せず、自ら作成すればよいだけの話だから。



当たり前の結論だけど、やっぱり「クオリティの向上」が生存競争のカギなんだろう。

ボトムラインは、はっきりしたので、ボトムラインに対して、どれだけ加点できるか。

そのことを意識しながら仕事をしていこう。




結局、増員に反対しているのは、「バッチ」で食えなくなることを恐れている大先生方なのではないだろうか?