九州国立博物館の、ビュールレ・コレクションを見に行きました。


モネの「睡蓮」
スノワールの「可愛いイレーヌ」
その外にも、素晴らしい絵画が、沢山ありました。

今回の実験は、絵を見ながら「瞑想モード」に入ること。

普段は、いろんな思考が動くのですが、思考を止めてただ感じることにステイする実験です。

絵によって、合うあわないが有りました。
私をぐいっと捕まえる絵があると、ただただ引き込まれる。

好きな絵は、何度も何度も戻って好きなだけ眺めました。

あっという間に三時間。

列に沿って、流れでみるなら、一時間もかからないかも。

マインドフルネス・名画鑑賞コース、創ってみようかな(笑)

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2018.5.19の午後は、ティール組織についてのダイアログに参加してきました。


開始13時。


朝から家で、グダグダっとしてしまい、家を出るのが12時になってしまいました。

博多駅到着が、12:40分ぐらい。

急げば会場に間に合う時間。


ふと「ああ、おなかすいたな~」と思ったので、ふらふらと飲食店を探してうろうろしました。


バスステーションのビルで、ふらっとしてると、ふきやがおいしそう。


とってもおいしい「イカ玉」を食べて、ワークショップに向かいました。


開始から20分後に到着。


ワークショップの中で、このエピソードも含まれていきました。


それもまた、楽しい経験となりました。


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NVCを学ぶ中で、ジャッカルとキリンが象徴として出てくる。


ジャッカルは、私たちが頻繁に使っていて、痛みを生む考えや表現・行動を現わします。

「私は正しい。あなたは間違っている」

 ●あいつが仕事しないから、俺が大変なんだよね。

 ●あの店員が仕事中におしゃべりして笑ってるのはおかしい、もっとまじめに仕事しろ!

「あなたが正しい、私は間違っている」

 ●ああ、また誤字して上司に怒られちゃった。なんて私はダメな人間なんだろう。


このジャッカル、NVCを学ぶ中で、私はあまり好きになれません。

間違っている事、正しくない生き方の象徴のような気がして・・・・・


先日、NVCのダンスフロア、YES/NOダンスを実演する機会がありました。

私はサポートとして。


キリンのNOがとても弱い・・・・

なぜなんだろう?


もういちど、ジャッカルのNOに戻ってもらい、思う存分、ジャッカルのNOをやり切ってもらいました。


すると、聞こえてくる声がある、浮かんでくる声がある。


守りたい、大切にしたい・・・・・


ジャッカルを徹底的にやりきることで、心の奥の叫びがエネルギーとして場に飛び出してくる。


そのエネルギーを掴んで、言語に変換して、場に戻す。


すると、急激に場が変容していく。あなたが変容していく、私も変容していく。


男性が、社会の中で、まっとうに生きていくために押し殺し、見ないように、感じないようにしてきたエネルギー、感情、生き生きさ。


合理性、論理性、損得・・・その事のために封じ続けてきたものが見える。


そして、それは私も同じ。


封じてきた箱、生まれ始める輝き。


そのものを、抱きしめるひと時。


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ある校区の会議に出席しました。


議題になったのは、違法営業の露店。


パリの同じような露店が比較として、引き合いに出されました。


いわゆる役所の公的なルールは無い。


警察も放置。


でも、露店の長がいて、長に2千円@一週間納めることで営業が可能になる。


トイレを路上でしたり、強引な客引きをしたら追放される。


でも、法の規定の元にはない。



熱帯雨林の様に、それぞれが好きなように生きる。


それを受ける器がある。


日本で言えば、地域で言えば、生活費の源は、生活保護かもしれない。


法の世界の埒外。


そこが、猥雑さと熱帯雨林の源になる。



幸せに生きる渇望と実現があり、その埒外に整然とした法と、社会通念がある。


なんという多様さなのだろう。


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映画を見た後は、サウンドトラックを楽しんでいます。


最近最も心惹かれるのが、The Other Side


これは本当に心に響くし、私の渇望とシンクロします。




Forget the cage, 'cause we know how to make the key

 ケージなんて忘れてしまえ だってそもそも僕たちは鍵の作り方を知っている


 Oh, damn! Suddenly we're free to fly

 ほら!突然自由になれたんだ!


 We're going to the other side

 じゃあ、あの別世界へ行こう!!


 So if you do like I do

 君の好きなように (To the other side) 


So if you do like me

 僕のようにやればいい 

 

(We're going to the other side) 'Cause if we do we're going to the other side 

だってもし別世界に行けば


 We're going to the other side

別世界に行けるさ


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福岡と言う土地に住んで、驚いたことがある。

それは、損をいとわない事、分かち合うという事。


例えば、福岡に講師を東京から呼ぶという事がある。


福岡単体で、収支が取れるようにワークショップを設計する。


そうすると、周辺の都市で、その講師を呼びたいという事が連鎖的に起きる。


しかし、周辺都市単体では、交通費も、講師料もペイしない。


福岡と一体で考えることで初めて、そのワークショップが成り立つという事が起きる。


福岡に引っ越して、しばらくは、このことがとても不思議だった。

福岡は、福岡市はデメリットだけを引き受けている。

なぜ?なぜそんなことを許容するのだろう?


でも、最近は、この懐の広さが、福岡市の良さなんだと思うようになってきた。


九州の盟主のランクを引き受ける。

それは、日本の盟主として東京がランクを引き受けるのと同じ。


周辺都市のために、わが身を燃やすこと、尽くすこと。

これがあって、初めて、福岡は九州府の中で、一定の地位を認められるのだと思う。




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これは、予感のようなもの。
今朝、瞑想を終えて、リラックスしていた時に、「ああ、もう終わるな~。」という感覚が湧きました。

そして、「黒い雲がやって来るな~」

原初の夢の通り。

書き出すことでもないけれど、未来へのメモとして。



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これまで、比較的、損得で物事を考えることが多かったです。


これを最近、自分の楽しめる事、わくわくすることから判断するようにシフトし始めています。


先日のミンデルセミナーと、それに続いてのワークショップ。

費用面や日程を考えると厳しかったです。

損得と思考で言えば、行かないほうが良かった。

でも、行きたいから言った結果、お友達も増え、そこからさらに豊かな余韻が続いています。


つまり、損得ではなく、自分がどう感じるかという事を大切にして選び、大きなシフトを経験することができました。


恐れというものは、私を護ろうという力を持つ反面、私を動けなくしてしまうのです。

失敗したくない、損したくない、批判されたくない・・・・そういう恐れがあるのは当然です。

ただ、そこから行動することをやめる。


自らの声を聴き、自らを信じて動いていく時間を増やしていきます。




また、今企画しているワークショップや定例会 数えてみると結構沢山。


●ティール組織に関連して、吉原史郎さんを福岡にお招きするワークショップ(募集開始)

●福岡市職員(同僚)向けのNVC体験会(案内開始)

●長田誠司さんをお招きしての7月ワークショップ

●2020Robertの日本招聘

●DYADSの定例運営(実施中)

●Robertの音源やワークを使ったオンライン会

●ホフステッドモデルを説明するオンラインクラス

●安納献さん・重子さんの福岡招聘

●福岡のNVC練習のコミュニティ運営


などなど。


このどれからも、「恐れ」成分を手放していき、生き生き・ワクワクする部分にフォーカスを置き始めました。


こんなにもたくさんのワクワクの源があるなんて、なんて素敵なんだろう。


今日は、友人の一人が声をかけてくれて、DYADSをする時間を持てました。

それはとても豊かでした。

豊かさの中に居る事への感謝と、時々、怖さもあるな。


そして、今日も人生は楽しい。



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NVCの講座を仲間と一緒に企画しています。


企画の進行は、とてもゆっくりとしたプロセスです。


全員の意見が、安心安全に場に提供され、とりとめのないおしゃべりが続くようにも思える時間があります。


その中から、ぐぐっと合意が生まれてきます。


企画のプロセス自体が、NVCを体現しているかのよう。



なにより、その過程で、道のりを共にしてくれる仲間がいるという喜びがあります。


福岡で、NVCのコミュニティを続けてきてよかった。


仲間のいる嬉しさを、しみじみと味わっています。


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2017 JAPAN IIT

10.08PM Robertのクラスメモ。

「私はバイブレーションであり、楽器である。そして、誰かと共に響きあう。」

その事を思います。





自分が誰かと座っていて、共感をもって相手と共に居たいと思ったら

「意図」が大切です。


共感の意図は、何であり、何でないのか。


これは体験ですが、概念を説明しますね。


これらは全て相互作用していて、すべて同時に起きます。


一つ目の意図と、二つ目の意図は絡み合って訪れます。

そこに在る命のエネルギーと繋がること、受け取る事。

命のエネルギーは、根源的な神聖なエネルギーと呼んでもよい。


共感が他と何が違うかと言うと、その人を癒したり、直したり、正す意図が無いのです。


その人の全体性を持って癒されることは大切にしているけれど、それは自分の意図ではないのです。


正す、癒すことのない意図を持ちながら、言葉、体、非言語、全てを使って表現されるものを受け取る事です。


そのためには、私が、今ここにすべてをもっていることが大切です。

エネルギーは、過去にも未来にも存在しません。

それは今現在のみ受取ることができます。


三番目の意図は、フォーカス。


エネルギーはさまざまな形を取ります。

命のエネルギーを定義すると、「感情とニーズという形のエネルギーを含む、ある種の、命が別の命にタッチするという事です。」


私が受け取ると同時に感じ取るという事が起きます。

受取る乗り物である、心と体。

ここに誰かと一緒に腰かけて、誰かを受取るとき、開かれた場所から訪れる振動に気づいています。

これがエネルギーを受容する第一のステップになります。


感じ取ることにセンスがあります。

われわれの頭と理論で考えることが、圧倒的に私たちを支配している。

頭と理論に支配されることで、感じ取るセンスが塞がれてしまう。


誰かと共に座るとき、私は、彼らとともに旅をします。

非言語メッセージは

「あなたと共にいます、あなたが私に投げかけるすべてのものと共にいます。直そうとせず、正そうとせず、ただ共にいます。」です。


このワークをすればするほど、体は楽器であると気づきます。

体は、意識とエネルギーが生きたダイナミックな楽器だからです。


あなた自身が生きた人間として、生きたエネルギーを受取る楽器である体験しているでしょうか?


受取りながら、同時に返している。


私が生きている、私の生きているプレゼンスを相手に与えている。

自分が受け取っている行為を相手に与えている。


少し時間をおいて、私の話が皆さんに届いたか、聞いてみたいと思います。


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