外を歩くと、アスファルトから小さなかわいいスミレがぴょこんとあちこち生えていました。


その地面はどうなっているの?

と思うのですが、それにも関わらず生き生きと

花は咲いていました。


一昨年もらった家にあるの植木鉢の花も

鉢がか小さくて劣悪な環境のような気がするけど

それでも今年はたくさん花をつけ、咲こうとしている。


花がこうして咲くように

私もまた、その鉢がどうなっていようと、土がどうなっていようと、綺麗に咲くのかもしれない

そんなふうなことを、ふと思ったんです。




ふとあるとき

自分の固執的な考えを捨ててみたら

相手と繋がれるようになったんです。


固執的な考えを捨ててみると

それは本当に大したことのないことで

私をそこに定着させる何かだった。

この考えを捨ててしまったら私たるものがなくなるのではないか、という恐れがあったのに

捨ててしまったらわたしは自然な川の流れにとけて

大きな川に流れの一部になっていました。


川のまま泳いでいると

全てのことが適当で全てのことをスルー

だけど大きな川の流れでスイスイ気持ちよく

漂っているんです。

大きな岩にも大きな岩ですね!と

スイスイスルー



なあんだ川でいた方が気持ちいいんじゃん

と思っていると

ふと夜が訪れでひとり美しい月の光を眺めているんです。いつのまにか川の流れは落ち着いてきて

わあきれいだなあと一人で楽しんでいると

いつの間にか月に照らされた水面から繋がって

その境がどんどん曖昧になっていく

世界がひとつになっていたのか、いないのか。


わたしはおおきな静けさに包まれていました。

安心感とともに。





どうも

無意識たのしい大学、

ついでにシータヒーラー®︎

なりやです


無意識楽しい大学とは

心理カウンセラー大嶋信頼先生の

無意識の旅をきゃっきゃしながら学んで観たり、

無意識の力を実践する架空の大学です。

今日はそこに無意識の働きによって

ヴァージョンアップした結果

あーやだやだ!

となってとばっちり的に封印してしまっていた

シータヒーリングがわたしの中で解禁されました!


わーい!

爆笑爆笑爆笑


(注意)本日は死別についても私の記憶から少し触れるので、そういったことに今少しでも動揺してしまう方が見てらっしゃいましたら、今はもしかしたら閉じていただいたほうがおすすめになるかもしれません。

(このブログに心穏やかに見られるヒーリングはしてありますが、一応注意喚起です〜)


無意識レポートになるかわからんけどいってみよう⭐️



はじめにことばありき

こちらは聖書の節です。

よく大嶋先生が聖書を引用されているので

身近になってきました。


イエスが創造主の父と天地をつくるとき

光あれ、で様々なものができた。

なにひとつことばから生み出されないものはなかった。



言葉は世の中にあふれていますが

どの言葉に触れているかというのは

影響されているのではないかな、

というふうに思います。


言葉はなんの意味もない記号というわけではなく

やはりその背景にあるものを感じるんです。

催眠のスクリプトによる

そこに散りばめられた種、

言葉が咲いたとき、その美しさにはっとします。


また自分にかける言葉というものがあります。

今日はとある自分にかけている言葉に気づいたんです。


それは

悪化


関係が悪化するとか

症状が悪化するとか

自分がどんどん悪くなっているような感じで

使っていました。


シータヒーリング®︎では自分に無意識のうちにかけるその言葉を変えることができるんです。

(思考の書き換えといいます)

あまりに無意識すぎて気づかぬうちにクセになっているものですが、それを無意識のうちにある創造の力によって変えることができます。


その癖も、無意識の状態のなかで

はアッ、と意識化したので

自分でもびっくりしました。


その書き換えワードとして

創造のエネルギーが出したアンサーは


バージョンアップ

ということばでした。


悪化というと、

どんどん自分の状態が腐り果て、

悪くなるしかない様子ですが


バージョンアップというと

アプリケーションの更新!というかんじで

進化の過程にもたらされるもので

常にあるアップデートのなかのひとつ

自分の進化に肯定できるイメージ。

そんな

バージョンアップ、という言葉を使って

書き換えを行いました。


このバージョンアップというワードは、

今日の2021/03/16大嶋先生のブログ


から無意識さんが起動したということになります!(バージョンアップ!というキーワードを読んだからなのです〜)


死というバージョンアップ(途中fapもするはなし)

書き換えが終わったあと、

もともと対処しようとしていた問題とは

別に

ふと亡くなった母の死に近い頃の様子が

思い出されてきたんです。


その記憶はいつもどこか

罪悪感をもって思い出されていました。

(ここからfap.心にきく、を使って自分のなかでぐるぐるしてしまう不快な考えはわたしのものではない!としていきます。)


母の部屋に寝室を移す作業がありました。


片付けこそ私の出番、と思ったわたしは

張り切って部屋を整えに実家に帰りました。


その時の私はどこか逃げるかのように遠くに住んでいて、ここではせめて役に立ちたいと思っていました。

(fapツッコミはいります。逃げてる!という感覚は私のものではな〜い)

そもそもだれひとり家族は母のものに手を出せる人が

いませんでした。

わたしは丸一日かけて

部屋のものを整理し、捨てたり、移動して

ぴかぴかに掃除をしました。



その過程で、

母の雑誌や新聞記事の切り抜きを大量に処分してしまったことがありました。


私はその切り抜きを捨ててしまったとき

母の顔をみてそれと記憶がどこかで関連しているのではないか、というのを感じてしまって

記憶の混濁が色々と症状にあったこともあって

後にそこに罪の意識を感じてしまいました。


あの時、捨ててしまったことが

何かを壊してしまったのではないか。

悪化させてしまったのではいか。

(という疑いは家族のものでしたけど〜ここはfapじゃ〜!)


でも死に向かうことさえバージョンアップなのかも、と今ふと思ったのです。

すべてのことはバージョンアップに必要だったこと。

その記憶の束はもういらなかったのかもしれない。

(と思うことで免罪符になるなら!と思うのはわたしのものではなーい!)

....


おわりに


人はいつも時にかなって美しい。

そのバージョンアップは

いつも良きように人生の中で

アップデートされているよね

というお話でした。


(おおっとこの話をすることで私もまたバージョンアップ〜)


ということで、


本日もお読みくださり、ありがとうございました!


これで読んだあなたもバージョンアップだ⭐️











こんにちは。


無意識楽しい大学の

大学生なりやです



無意識楽しい大学とは

心理カウンセラー大嶋信頼先生の

無意識の旅をきゃっきゃしながら学んで観たり、

無意識の力を実践する架空の大学です。


本日から日記をレポートとして提出してみます。


無意識さんがふと教えてくれたことや気づきなどを

レポートしていきたいと思います。


長い友情の秘訣


うちの父が長いことブログを書いていて、

そこには父の友人とのメールのやりとりがそのままかかれているんです。

その内容に対して共感性の高い私は

父の返答をみるに

相手の友人の方に対して

内容がなんというかアレで

男性同士だとそんなもんなのかもしれませんが

結構深刻な内容にスルーも多いし

オイオイ、よく父といられるな!

と思っていたわけです。


(記憶が抜けているだけな気もするけど!)



だけどふと

久しぶりにブログを読んでみると

無意識さんがこう教えてくれた気がするんです。


相手にわかってもらおう、共感してもらおうというのが、もうあまりないんだな

ということ。


それこそ、犬に話しかけてるがごとく

期待しない感じ。


父に対しては私は家族なので

ムッキー!としてしまいますが


ご友人はそうでない。


大分長いこと一緒にいて

お互いの老いを感じながら

一緒に歩んできた。




母が亡くなって実家に滞在してたとき

ブログでみていた友人のかたに

お会いする機会がありました。


心地の良い空気がながれていて、

私も会話に加らせてもらったんだけど

なんかやっぱり話が通じてないやん!みたいな

ところもありつつ

でもなんだか楽しそうにいるかんじが

伝わっていました。


私は心の中でそっと

これからも父をお願いします

とお辞儀しました。


〇〇さんのおかげを連発


そういえば

父の方が仲間内で年長なんですが

兄貴分を発揮するどころか弟魂がつよいのか

いつも皆さんに助けられている、という父。


嫉妬の発作という話が

大嶋先生の本でもありますね。


ほんとうは能力が高いのに下!となってしまうと

嫉妬の発作をおこされて潰されるという図。


父はその辺うまくて、

もうとにかく

〇〇のおかげなんです

を連発していました。


友達のおかげで楽しいんです!

とか

わたしの母のおかげで趣味が楽しめるんです!

私が幸せなのは子供たちがいるおかげ

とかとか。


〇〇のおかげ、は嫉妬の盾になります

大嶋先生のブログにかいてありますね。

(7月23日のブログなどを参考に!)


父は嫉妬の盾のプロでした。


わたしも〇〇のおかげで!が

そこはすらすらいえるんで

わりとこれで世の中を渡ってこれた気がします。

いや〜これも父のおかげなんですぅニヒヒニヒヒ笑笑



父の友人はずっとそう言われ続けて

悪い気はしなかったと思いますし

だから長続きしているのかも?

と思ったりします。

父からご友人へリスペクトも感じるけどね。



おわりに


いかがだったでしょうか?

何か参考になることがあれは幸いです。


因みに


父対わたしの会話の場合は

おかげ返し合戦か繰り広げられます(笑)





今日もお読みくださり

ありがとうございました❤️