一夜明けまして3月。

 

「僕とナターシャと白いロバ」1か月に及ぶ公演が終了いたしました。

 

劇場までご来場いただきました皆様、配信でご覧頂きました皆様、まことにありがとうございました。

 

 

僕が大好きだった本作は、ペクソクとジャヤの物語。

 

その作品性を大切にしたく、カーテンコールのご挨拶ではお客様、カンパニーへの感謝に留め、自分のことを語ることを控えました。

 

インターネット上に記事が公開され、誰でも読めるという部分では、ブログも同じかとは思いますが、これは僕の日記なので、思いの丈は、ここに記そうと思います。

 

 

まず、はじめに。

 

今回は、僕のミュージカル俳優としての第1歩でした。

 

ミュージカル初出演ということではありません。

 

ですが、今までミュージカルに出演させていただく際は、あくまで【ミュージカル界の外から来た俳優】という立ち位置でした。

 

歌ではなく、芝居を求められ、歌も1~2曲程度。

 

専門的な技術を必要としない歌を歌っていました。

 

歌っている時間も僅か。

 

【役者の歌】として歌唱指導の方からも、音楽的な指導はされず、言ってみれば「別枠」として扱われておりました。

 

僕自身も【俳優】として、作品を全うしてきました。

 

ですが、今回は「ミュージカル俳優」として舞台に立つ。

 

「ミュージカル俳優としての第一歩」と言う言葉は、実は僕から出た言葉ではなく、本作のリリースの段階でHPや記事に書いていただいた文言です。

 

だから、正直この文章をはじめて目にしたときは、震えました(笑)

 

と同時に、そんなつもりじゃなかったと、震えた自分を恥じました。

 

 

お客様は、自分をミュージカル俳優としてご覧になる。

 

不安以外の感情はありませんでした。

 

稽古も本番も。

 

毎朝目が覚めては「今日はもうダメかも」と思い、ブログにも書きましたが、歌うことへの恐怖と戦う日々でした。

 

これはもう、千秋楽まで消えませんでした。

 

自分で言うのもなんですが、安定感はあるタイプです。

 

芝居で大きなミスをすることはほとんどありません。

 

気づきを得て、トライをして、それを踏まえ前に進んできている自負はありました。

 

失敗も1度したら繰り返さない。

 

 

ですが、歌はそうはいかなかった。

 

まず、下手であること。

 

これがもう耐えられない。

 

そこで、色々なことを試してみるが、目立った効果を得られず。

 

場合によっては【失敗】に終わる。

 

この素晴らしい作品の足を引っ張っているという陰々滅々とした気持ちが、泥のように粘り気を得て常に足元に纏わりついている感覚。

 

「かもめ」のニーナのセリフ「ひどい演技をやっているなぁと自分で感じるときの気持ち。とてもあなたには分からないわ。」あれは、これのことを言っているのか。と。

 

自分の足元を見たら、一気に飲み込まれてしまうような恐怖の沼を引きずりながら、30ステージを終えました。

 

Twitterにも書きましたが、千秋楽の最後の瞬間まで「こういうのはどうだろう?」とトライを続けました。

 

それは、作品の為であることももちろんですが、自分自身が救われたかったのも大いにあったのだと思います。

 

ですが、全く持って実力不足。

 

芝居の時のようにはいきませんでした。

 

この「失敗が続く」ということも、久しく感じていないものでした。

 

恐らく、演劇を始めた当初は失敗ばかりだったのでしょうが、いつの間にか忘れてしまっていた。

 

 

ブログのタイトルにもありますが、僕は「オールドルーキー」です。

 

ジム・モリスと同年代の36歳でのミュージカルデビュー。

 

若いうちに色々なことを始めるよさはたくさんありますが、中でもやはり「失敗をものともしないガッツ」が一番なのではないか思います。

 

俳優生活も間もなく20年。

 

ようやく「失敗」が減ってきた時期に、「失敗」だらけの日々。

 

養成機関にいるわけでもなく、俳優としてデビューしていないというわけでもなく、もう既にプロの俳優を名乗って活動をしている人間が、頭が真っ白になり、言葉も出せず、音も取れない、リズム感もない、何をどうすればいいかもわからないという姿を晒している情けなさ。

 

要らぬ自意識であることは分かっていても、やはり「失敗」への耐性は減ってきているのだと思います。

 

言ってみれば、36歳にもなって「こんなことも知らないのか」や「こんな初歩的な失敗をするのか」と言うことが本当に苦痛でした。

 

これも、ブログに書きましたが、「歌はやってきていないから仕方がない」という考え方は、稽古の序盤に捨てました。

 

成長を阻害するから。

 

だけど、この拠り所がない中で藻掻くことは想像以上に苦しかったです。

 

少し話は逸れますが、「SMOKE」という作品の超という男の気持ちがとてもよく分かりました。

 

今回の苦しみが超の役作りに活きるということが踏みとどまれる最終防衛ラインであり、拠り所でありました。

 

この話は、ネタバレになってしまうので、また「SMOKE」の際にブログに書ければと思っております。

 

 

気持ちを整理するために書いているのですが、まったくまとまりません。

 

だって、千秋楽にだって「こういう音色が出したい」とチャレンジして失敗したから。

 

あの瞬間は絶望しました。

 

もう、2度とミュージカルには出ちゃいけないと思いました。

 

これ以上迷惑かけんな!と。

 

しかしそれこそが、甘えなんだと思います。

 

自分が今の演技スタイルを手に入れるまでに、どれだけの年月がかかったのかを思い返せば、こんな短い期間であれだけ圧倒的な共演者の皆様に追いつこうなんて、都合が良すぎる。

 

舐めるなよと言われてもおかしくないわけです。

 

だからこそ、苦しいわけです。

 

舞台上で歌うことが。

 

千穐楽後のTwitterにも書きましたが、

 

 

超一流の方々に囲まれて、自分の実力以上のものは出せたと自負しています。

 

荻田さんの素晴らしい演出・小百合さんの指導のお陰で、あそこに立たせて頂けるところまで仕上げて頂いたことも自覚しております。

 

千穐楽後、思わず楽屋で「限界だった」と漏らしてしまったことは、その瞬間後悔しましたが(笑)

 

 

 

アホだからすぐ感傷に浸って、毎晩この歌を聴いておりましたが、聴き終わって思うのは、毎回「え?かろうじて歌い切れていたの?」ということでした。

 

「お前、今日やりきったつもりか?」と。

 

都度、消え入りそうな火になけなしの燃料を放り込み・・・。

 

費やせる時間はすべて費やしてこの作品に向き合いました。

 

凹んでいる暇はないので、凹みながら進みました。

 

「ちょっと待ってください」と「時間ください」だけは言わずに来たつもりです。

 

だから許してねってことではないです。

 

どんなに頑張ったって到達できなかった、今の実力は絶対的に認め、自覚しなければならない。

 

今回の初日、千秋楽に感じた悔しさは一生忘れません。

 

だけど、この経験をくださった方々に、何かを返せるようになるまでは、進まなければなりません。

 

細り萎び錆びゆく生業をされど燃やして進まなければなりません。

 

あ、でも充実してたし、楽しかったよ。

 

完了