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子宮頸がんステージ4b闘病と日々のブログ

子宮頸がん ステージ4b鎖骨リンパ転移膨大動脈リンパ転移の闘病と日常。

またご無沙汰しております。

何度かブログにこの件を書こうと思ってたのですが

書いてるうちに苦しくなるので 書くのを何度も中断してました。


4月の中旬に母が亡くなりました。

死因は喘息による 呼吸循環不全だそうです。


その日妹から電話がかかってきて 母が入院の病院先で亡くなった知らせを

聞きました。


母は重病にかかっていた訳ではなかったので 最初聞いた時信じられませんでした。

わたしの方が早く亡くなるかもと思ってたし まだ57と死ぬには若い年齢だし

見るまで 生き返るのではと思ってしまってました。


母に少し前に会った人が言ってましたが物凄く元気だったそうです。


色々あって 5年も母と会ってなかったのですが 会いに位いけたのでは

と 自分を物凄く悔やみました。

 

いつかは 自分に余裕が出来たらまた母の世話をしたいとは考えてましたが

こんなに早く死が訪れるとは思ってなかったです。


どんなに考えても 家を出た事は間違いでは なかったし

母親が最後に選んだ男の人は 本当に最低な人だと思うし 関われなかったのは確かです。

その男の人がわたしは 本当に怖かったのですが 一回会いたくないので ネットで名前を

検索したら 事件ファイルのようなものに 名前が出てました。

だから家をその人が帰ってくる前に出たのは間違いじゃなかったと思います。


ただ 病院にいる時は母は連絡を取ってなかったらしいし 会ってもいなかったそうなので

お見舞いに行く位良かったんじゃないかと思いました。

母は抗精神薬に物凄く 依存していたのですが いつまでがまともで

いつからが まともじゃなかったのかが もうわかりません。

悪い所ばかりじゃなく いいとこも沢山ありました。

わたしが幼稚園の時は 絶対冷凍物を使わず美味しいお弁当を毎日作ってくれてたし 母の料理は本当に美味しかったです。

高校が最初合わなくて 行きたくないと言ってた時は物凄く支えになってくれてたし

大学受験の時も 物凄く応援してくれてました。

病院での生活を聞くと 寂しいと言っていたらしいのを聞いて本当に泣きました。

自分の判断の何が間違ってて 何が正しかったかは もう自分でもわかりません。


お葬式は絶縁状態だった 親戚も来てくれました。

母も嬉しかったと思います。

一先ずこれ以上は苦しくて書けないので これでこの記事は以上にします。

また次回更新する時はいつもの 自分でいますので 宜しくお願い致します。