シブイオンガクスタヂオは、東京、飯田橋と四谷にあります。オンガクスタヂオ、と言っても正確には、ボイストレーニング教室です。
シブイオンガクスタヂオはボイストレーニング教室。思い出のアルバム作りをしようと思うのです。今日も朝10時からクボフミトが、ある時間から入れ替わりで小浜田知子が来て連続でレッスンをしています。このところ夏も終わりお申し込みが少し増えて、忙しそうです。その傍らで少し後ろめたい気もするのですが、まあ私には私の役割があるのです。シブイオンガクスタヂオはボイストレーニング教室。思い出のアルバム作りをしようと思うのです。といってこれが、15回を数えた発表会の写真、ではないのです。あればいいのですが、ある時から記録写真もろくに残さなくなって今に至るのです。致し方ありません。実は、教室を防音仕様に作った記録写真、というものがありまして。それをアルバムの残しておこうと思うのです。で、実際にかつて作っていたんです。思い出のアルバム、と称しましたが、これ、正真正銘、実用用途なのです。いくら自作したからといって、単なる自己愛ではありません。何に使われると思います?きっと想像もつかないことでしょう。新しい賃貸契約を結ぶ際の資料に、なるのです。そもそも賃貸物件のオーナーさん、得体の知れない発声教室に貸すのは勇気がいります。ことに、騒音問題は一番に想像がつきます。だから、まずたいていは断られてしまいます。断られなくても、どのように防音教室を自作するのですか?資料写真の提出をお願いします。と、必ず言われます。審査資料の一つになるわけです。以前作っていたアルバムは、興味を持った生徒さんの閲覧用に待合室に置いてありましたので、古参の生徒さんは存在を知っていると思います。しかし、四谷教室を作る段階で都内某所の不動産屋さんに提出したものの、結果、お断りをされたまま、私が回収に行かなかったために、結果手放して紛失してしまったのです。そうそれは、2017年の春でしたか。あれ以来、ないのです。と言うわけで、一応実用にもなるし、文字通り思い出のアルバムにもなるのです。だから、作らねばならないのです。遊んでいるのではありません。作らなければならないのです。ほかにも、用途があるのです。実際に防音室を自作したいという、酔狂な方のための参考資料になるのです。実際あまりそういう方とも出会わないのですが、最近、防音ブースを自作するという方とたまたまお会いしまして、記録写真の一部が載っているブログページを紹介しておいたところ、ブログのお写真等めちゃめちゃ参考にさせていただいております!というすごい言葉をいただきました。完成の暁には、ぜひ取材にうかがって、ご紹介したいものです。壁、床、天井、を自作して、木造家屋で教室をやっていました。(2010年4月製作)
シブイオンガクスタヂオでは、基本的に入会金年会費、レッスン代は現金で、月末までに来月分をお支払いお願いします。もし手持ちがない場合は、銀行振込でお願いします。なお、クレジットカードでのお支払いにも対応しました。という基本姿勢だ。この理由は簡単で、まだ一般人向けのボイストレーニング教室が巷に少なかった独立したての頃の私自身の考え、あるいは感覚では、そもそもボイストレーニングなんてものが胡散臭く、だからこそ、現金の授受を通して、しっかりと料金に見合うように努めさせていただきます。という意思表示であり、同時に生徒さんとしては、現金を支払うことで、支出した分は必ずや得て行こう、という意思確認、のつもりだった。その後、ボイストレーニングがボイトレと名を縮めて呼ばれるようになったように、かなりその存在は一般的になってきたし、同様の教室自体も爆発的に増えてしまった。一般化するということは、料金も一気に抑えられて気軽に始められるようになる、生徒さんも、余暇を楽しむ趣味という意味合いが強くなっていく。そして月末のレッスンでお忘れになる人が増えるという事態に、実際に直面したのだ。そうすると何が起こるかというと、零細教室としては家賃および微々たるものの光熱費や広告費など月々の支払いに問題が生じるわけだ。漏れなく毎月、末になるとびくびくして過ごしていたものだった。実際はその前の段階、月謝制でもなく回数制で尚且つ、おそろしいことに振替レッスンは翌月まで有効という時期もあったのだ。ここまでして、なんとか少ない受講者で毎月回していくのが零細教室の実態だった。振替はその月のうちまで、お支払いは月末までにと、統一できるまでの厳しい時代のお話。ボイストレーニングを一般の人に勧め、広めていく過程においては、まだまだ理解が少ない分、月謝という言葉が表す本来の感覚もなかったものだった。実際、サービス業だと思われる方がとても多かった。それで致し方なく、銀行振込に対応したものだった。もちろんこのころには、他のたいていの教室では銀行振込はもちろんのこと、銀行口座からの引き落とし処理まで行っているようだったから、私の感覚は当然時代とはかけ離れているのは承知の上だった。理由は最初に述べた通り。そのうち、シブイオンガクスタヂオの評判が上がり、体験申し込みが殺到し始めると、無断当日キャンセルが激増する。無断当日キャンセルこそは、ボイストレーニングがお手軽気軽なものになり、意志薄弱の人でも申し込めるようになった時代のあらわれであろう。その要因は間違いなく、無料体験レッスンを広めた資本のある教室による悪習によるものだが。彼らは、我々に代わって大いなる広告費を使っているのだから、致し方ない。そしてこれまた致し方なく、体験レッスンは料金を倍増して完全前金制にした。支払いは、クレジットカード決済およびコンビニ決済である。そのシステムを借りて、月々のレッスン代のお支払いもクレジットカード決済が可能になってしまった。という流れで、出来上がってきたルールだ。ルールは、試行錯誤に紆余曲折を重ねて、出来上がるものである。ルールには必ず理由があるのだということもできる。きっと、赤信号を前にしたら絶対に停まらなくちゃならなくなった理由にだって、その経緯はあるのだと思う。さて、ここまで時間をかけてできたルール。もうはや、困ることなどないと思われることだろう。まして、設立当初よりは大きくなった教室だもの。多少ルーズな人がいたところでビクともしないだろう。例外的にそういう漏れがあったっていいだろう?儲かってるだろうに?と実際に思う人があるようなので書き留めておくが、自分でも信じられないことに儲かっていない。経営をやったことのある人なら自明だが、経費は跳ね上がる一方だし、なんと税金が追いかけて来た。そもそも消費税をまだ、みなさんから預かっていない。想定外の支出に肝を抜かれる。だから、相変わらずルールには厳しくありたい。例えばその1、月末までにお振込で、お願いします。と言ったら、月末銀行営業日までに、という意味ではないのか。この十連休が月末月初を跨ぐことくらいずーっと前からアナウンスされて来たろうに。例えばその2、クレジットカード決済だって締め日があるんだ。だから月末までにとお願いしているんだ。守れない人が多いから、ルールはまた、変わっていく。えいしーじゃぱん。シブイオンガクスタヂオのレッスン代の一斉値上げは、消費税が10%になった時に行うと、ずーっとずーっと前に宣言した。とにかく税率をとっとと上げてくれ、でないとこっちはますます大変なんだというのが、私のここ数年の気持ちである。それはそうと、ここからは完全な余談である。現金の授受の際、みなさんのやり方は様々である。最も多くの方は、財布からちょうどの額を差し出される。次に多いのは、封筒にちょうどの額をご用意いただく方々。逆に少ないのは、お釣りありますか?と言い添えながら財布からちょっと多めの額を差し出されるかたがた。思いつく限り最も少ないのが、封筒に新札でご用意いただく方々。封筒には、希望のレッスン日時が書き込まれていたり、ひとこと添えてあったり、必ず印を押される方もあったり。まったく色々で面白い。今のところの私はまだ、期限さえ守ってもらえればその多様さに対して寛容にあろうと思っている。が、かつて実在した、お札を必ず財布から投げるように鍵盤の上に置いていた人や、つけはききますか?と言った人、値切って来た人、たっかーいなどと口走った人たちは、私の場合は確たる意思を持って、時間をかけてでも確実に辞めてもらって来た。実は私は、自分自身がボイストレーニングを習っていたとき以来、お月謝をおさめる機会はなかったのだが、この四年ほど前から、おさめる機会ができた。そこでの自分が、百円単位まで準備して封筒に入れておおさめする、というやり方をとろうとしていることに驚いた。封筒を忘れては恐縮し、しくじって釣り銭が必要になると汗をかいている自分に、びっくり。一体、どこで覚えたんだろうか。ボイストレーニング習っていたあの頃の自分は、どうだったんだっけか思い出せない。だけども、20年の経験の末きっとそれが一番嬉しかったんだろうな。と思うのである。他人に強要などしない。自然と私が得ただけの感覚だから。
私音痴なので、それをなんとかしたいんです。この、「私音痴なので」、とは、実によく聞かされる言葉です。音を聴きとったり狙った高さの音を声で表現できなかったりすることを、音痴と呼んでいることになりましょうか。例えば、同じ間違いを何度でもしたりするような学習能力の乏しさや、理解力のなさに対して、気軽に馬鹿という表現をしたりします。あるいは、その程度を相対的に表すために、私馬鹿だから、と表現することも、あいつ馬鹿だからと、言うものです。おそらく、そのような使い方で、私音痴だから、と称するのでしょう。もちろんそうだとすれば、平均律上に限る絶対音感が身についた方からみれば、私などは酷い音痴、の評を受けてしかるべきです。あるいはそう自称するべきです。さすがの私も立場上、そこまで謙ることはできません。自称音痴すなわち安直に音痴と称する皆さんの状態は、どういう状態か、と言いますと、罫線のないノートにまっすぐ字が書けないことを嘆いている、或いは笑われている程度のことなのです。それは、確かに決して簡単じゃないです。が、改善可能です。まっすぐの線の上、沿ってでもいいです。同じ大きさの文字をかけるように繰り返す。という修練をすると、いつかは、それなりになりましょう。人によっては、すぐです。そして、罫線の幅や文字の大きさを自在にするための練習、というものもきっとありましょうし、やっていけばそれなりになりそうな気がしませんか。これを発声に、歌に転用すれば、れなりになりそう、でありませんか? そして、それくらいのことです。やったら、是正されていきそうですね。そして、していくものです。面白いことに。なので、音痴という言葉は、あまり使って欲しくないなと思うのです。こんなお話をする理由は、自称音痴の受講者で本物の音痴と出会うことは数年に一度だという事実を踏まえているからです。何故でしょう。簡単です。本物を自覚している方は、よほどのことがなければ、それを他人に漏らしません。つまり、我々のもとへも足を運びません。ごく稀に勇気を出していらっしゃいます。気の毒だなと思うほどです。上記のたとえで言えば、そもそも字が書くべきノートを持っていないくらいなのです。これは大変です。ノートを作るところから、根気よくおつきあいするのが、私の仕事と思って向き合っていました。最近はまったく、とんと出会いません。二極化でしょうか。趣味の広範化でしょうか。共有価値観の崩壊でしょうか。時代でしょうか。
シブイオンガクスタヂオ、第15回を数えますイベント楽芸会を、東京メトロ有楽町線東池袋駅の真上、にて開催いたします。第15回シブイ楽芸会日時 2019年2月3日 日曜日 13時半開演(予定)入場 1000円(※要予約)場所 Acoustic Folk Bar Players 東京メトロ有楽町線・東池袋駅 3番出口より徒歩1分(駅真上) 都電荒川線・東池袋四丁目駅 徒歩1分 (JR池袋駅 東口より徒歩10分) 東京都豊島区南池袋2-41-18(首都高速5号池袋線高架下)会場が小さめなので大きな告知は控えて参りました。が、観覧ご希望の方は infoアットマークcvongaku.comまで、前日付までにメールにてご一報ください。ご連絡いただけた分につきましては、無理にでもお席をご用意いたします。また、出場参加予定の皆様、会員のページにプログラムを掲載しました。ご確認ください。今まで、イベントプログラムには出場順番、出場者名、うたう曲名、といった基本情報を載せてきました。或いは出身地や出場回数といった余計な情報もおたのしみとして載せてみました。しかし回を重ねてついに今回、出場順と出場者名が並ぶだけのとてもシンプルなものになりました。イベントの性質を理解して、参加を楽しみにしてくださる会員さんの占める率が上がったこと。つまり楽芸会、ここに極まれり。と言っても過言ではないかもしれません。ただし少なくはない初参加の皆さんは驚くかもしれません。だって、次に誰が何を歌うのかわからないんですもの。このイベントがいかに、歌を楽しむというよりもむしろ、人間を楽しむものとして認知されるようになったかがお分りいただけると思います。歌から、声から、人間を、たのしむ。2006年から今に至るまで、その日の最初から最後まで、参加者全員が客席もさびしくなく、内容も面白がって過ごせるようにと工夫して企画して参りました。今回もえー、それなりだと思います。ただこの、あまりにも私らしい私の企画はこれが最後になります。ここまでおおきくなった教室に、自分で言うのもなんですがそうとう偏屈な私のスタイルを押し付けるのは、それをよしとはしない人に枷をはめることになりそうな気がしてならないのです。それでは、みんなが楽しめない。こんな書き方では、これで終わりなの?とお思いの方もあるかもしれません。いつかこの日が来ると思って、イベント企画に長けたクボフミトを一昨年から講師として招いているわけです。ご安心ください。それは私自身もとても楽しみです。だからみなさん今回は、私のためにも、咲いておくれ。と、願いながら伴奏がんばりまーす。
今年はあらためて読み物を書かなくちゃなんて思っていたら、すっかり大事な通知事項を書きそびれていました。シブイオンガクスタヂオ15周年です。取り巻く状況は大きく変わりました。私自身の立ち位置も変わらなければなりません。そのために、今年は大きく変わっていきます。いくつもありますので、関わるみなさんは、読んでおいてください。第一に、消費税問題です。消費税どこ吹く風とばかりに、シブイのレッスン料金は全体的に市場価格より低めに設定してきました。その理由は、私がお金をかかる専門教育を受けていない者だから、という遠慮でした。が、それでも真面目にやってご好評が重なれば、消費税の問題は避けて通れなくなるわけです。そうです。消費税分をいただかないと、さすがにやっていけません。なので、待ちに待った消費増税に合わせて、レッスン料はぐっと上がります。なので、現在通っている皆さんは、10パーセント割増を覚悟してください。あるいは、それまでに習得してしまってください。第二に、再入会金です。こちらを見直します。シブイオンガクスタヂオでは、定額月謝制にはなっていません。毎月、3回の月もあれば2回の月も、いやもう最も極端な且つ実際の話、ゼロ回の月があっても、会員資格は継続しています。つまり、隔月一回づつでも、たとえば発表会に出られない、といった区別は行なっていません。しかしこのルールのせいもあり、予定が組みにくいというデメリットが発生しています。今月お休みした会員さんが来月は戻ってくる予定だからと枠を空けて待っていたら、実際は来月もお休みで再来月にやってくるという肩すかしによって、せっかくの枠を体験レッスン受付に回すこともできなくなる、という事例が多発しました。もともと不安定なのに、さらに不安定な仕組みになってしまっていた体制を整えます。再入会金は値上がりすることでしょう。第三に、年会費です。レッスン回数はそもそも不確定なので、実質値上げとは言えませんが、広告も打てない零細教室は、長い将来を見据えて通われる方のおかげさまで、成り立っています。外向けに書いたことはあったかもう、忘れてしまいましたし、そんなこと書くべきではないのかもしれませんが、年会費は講師が受け取るボーナスと捉えています。今年から継続三年目以上の方は毎年千円上積みすべきと考えています。春から、かな。第四に、これは私に限ったことです。ボイストレーナーなんて食えない仕事です。でも、それを食える仕事にしてみたい。これが、私の長年の野望でした。増えた講師陣からマージンをかすめとって、さぞやついに私も儲かるかと思いきや、その野望がために、毎月ひいひいです。事務仕事も追いつかなくなり、私に限ってはレッスンの精度が落ちているのを感じました。レッスン回数を25パーセントほど減らしていく予定です。これらが、2019年の予定です。今年もよろしくお願い申し上げます。
ここでは何度も書いてきたことですが。わたし自身は、歌にも喋りにも適さない、聞き取れない声と言われ、大声あるいは歌えば、苦しそうな声と言われたところから、ボイストレーニングとの付き合いが始まっています。ゆえに、どうして声が小さいのか?書き取ってもらえないのか?疲れやすいのか、或いは、苦しくもないのに、聞く人は苦しそうと感じるのか、という疑問の理由は、頭でも身体でも心でも理解しています。つまりよくある、小さい頃から上手だったからそれを職業にした、というパターンとは逆です。ゆえに当然ですが、いわゆる上手でない人、のその理由も分かります。ボイストレーナーのやり方はそれぞれで、画一的である必要もなければ、マニュアルはむしろ不要です。人それぞれ、声は違うし、今のその声に至る道のりも千差万別。だから、シブイ講師陣はそれぞれのキャリアをベースに、且つ相手によって違った手順でレッスンをすすめているはずです。わたし自身も、毎月毎月手を替え品を替え、より伝わりやすい方法を探し続けています。このお仕事は、自由だと思います。ここまで読んでいただければ、ボイストレーニングは、出会った講師との相性次第であるから、そこ大切にしましょ、と常々唱えてきた理由がお分かりいただけましょう。なので、経歴や現在の活動の様子も探したら分かってしまいやすい現在なら、体験レッスンは、講師が自分とあうかどうか、ということの確認をする場でもあるという臨み方をしてもいいのではないかと思います。逆に、今年のテーマに即して言えば、ボイストレーナーのお仕事は経験知がものをいいます。対峙したその人が、何が得意で何が苦手か。例えばあるいは、積極性をもっているのか隠しているのか。隠し持った可能性に気付けるかどうか。その逆に、高すぎる自己評価が故に勘違いをしているかどうか。といったことは、音楽の専門教育を受けただけの人、よりも一般社会人経験の視線が活きる場合も起こるわけです。と言うことができます。
(この文章は、cvongaku.com内の記事を転載しています)シブイオンガクスタヂオ、石村吹雪です。無事入会されて会員になると、ここを読まなくなる傾向が強いので、以前はそれをただただ寂しく、とにかく悲しく、この世の終わりとばかりに嘆かわしく感じたものでした。もちろんいつからか、私以外の講師が新規会員を受け付けていますし、ゆえに私はここに書くのを控えてきました。が、それならばそれで気がねなく書けるのである、ということにやっと気がつきまして、今年はまた復活させていこうと思っています。今年のテーマは、ボイストレーニングの意義についてです。主に目的は、講師養成です。私自身は法学部卒ですし、そもそもガタイの割りに声が小さくて自己主張が下手なキャラクタです。そんな私がボイストレーナー。お笑いですよ。実際笑われてきたことでしょう。先日も大人の集うバーで、ボイストレーナーさんですと紹介されたところ、他のお客さんから歌のプロ扱いされて困りました。弱りました。弱ってしまう私をきっと奇異に感じられたことでしょうが、そういう地味な性格なんです。また、笑われちゃった。それでも、これひとつで生きてきました。巷では、ボイストレーナーで生計を立てるのはとても無理無理、とされています。あったりまえです。需要ないし。ゆえに単価安いし。だって、ボイストレーナーなんて、世の中にいなくても誰も困らないんですから。困らない人が、しかるべき仕事に就いていれば、いいだけですもの。困る人は、別の仕事をすればいいのです。結論。本来、ボイストレーナーなんて不要。それでも。この時代なら、この仕事でも生きられるということを身体で感じて、体現してきました。残念ながら後ろ盾はありませんでしたが、諦めて死んじゃうこともなく、生きてきました。し、多分、東京が壊滅しない限りは、続けられると思います(大真面目)。私の記事は今年は、ボイストレーナーを職業にしてみたい方向けに、書いていきます。久しぶりだなあ。気兼ねなく書けるぞ。組織が大きくなるにつれいろいろ、大人っぽく振る舞ってきたものだけども、それはそれはストレスだったなあ。やめるぞお。もうそんなのやめるぞお。だって、私が何を書いても、新規募集には関係がないのだもの(私は募集してないから)。これは気楽です。昔はプレッシャーあったもんなあ。あ。大事なことを書き忘れた。今年こそは、消費税ぶんをいただきます。あ、これ大事だから別立てで書きますね。
体験レッスンをやりました。先日、たまたまというかついに、すっぽりと土曜日の予約が空きました。こんなの何年ぶりだろう、ということで記念の気持ちで三枠、売りに出しました。売りに出すという言い方を最近はしているのです。土曜日の13時の枠を体験レッスンとして一枠2000円で売りに出す。という意味です。つまり、石村の体験レッスン枠を三人分、先週の土曜日の12時と13時と15時、募集をしたのでした。即日二枠。翌日には残りも、売れてしまいました。一ヶ月に全体で三人も問い合わせがあればそれがアベレージだった頃と比べると、ずいぶんとシブイさんも人気教室になっちまったものです。しかし、現実的にこの方たちに入会していただくことが出来ないのです。たまたまあの日、空いただけなのでした。やはり、これは由々しきことですね。やはりしばらく、石村のレッスンの新規受付はやめにしておきます。だって、ご質問にはメールならいくらでもお応え出来ると思って、どのような場合にも、ご質問はお気軽にと付け加えてきたものの、実際折り返しいただいているメールに、なかなか返信も書けない事態なんですもの。この異常事態がおさまるまで、やはりおとなしくしていようと。こんなこと書いているうちに、お返事書けばいいのです。でも、昨日も写真の四谷教室のインターホンを取り付けに出かけたりと、なかなか本当に時間がないのですもの。i
せっかくこの夏隠遁して、ぎんざぶろうを名乗って、久しぶりに実りのある話でも書いていこうと思っていたのだけれども。いや、だからこそ、なのかな。ある面、ある人たちにとって少しでも益があるとするならば、書く意味が出てくるだろうと思うからこそ。わざわざ明文化していってみましょうか。実は、カラオケが苦手なのです。どれくらい苦手かといえば、逃げ出してしまうほど。そういう人、いますよね。そういう人にとって、少しは益があるのではないかと思うのです。先般、お世話になった方々に招ばれ、大変もう大袈裟なくらい歓待されたにもかかわらず、結局いつものように逃げ出してきてしまったのです。実に申し訳ないことです。もうそろそろこの点について、原因究明をしたり、改善をしたりをするべきなのではなかろうか。と思うのです。いい加減、狭い狭い世間様に迷惑をかけたくないと心から思うのです。多少、自分自身痛みを伴うことでしょうが、まずは問題と向き合うことから始めてみようと思うのです。少しずつ少しずつ。だって今年の私は、ボイストレーナーを生業にして20年目なんですよ。
いつからでしょうか。滑舌が悪い滑舌が悪いと、ボイストレーニングの初心者が言うのです。そんな言葉、二十年前は一般的でなかったものです。こんな言葉が一般に使われること自体が、素人の時代の象徴であるわけです。だって、プロは滑舌のよしあしについて、一般社会に於いては口外しなかった筈ですから。それはそれとして。ボイストレーニングを受けに来る人のうち、滑舌が悪いと自称する人の半分くらいは、それほどでもない、というのが私の印象です。自分の発語について、滑舌の悪さ、を認識させられる場面は、他人に自分の発言を聞き返された時、にほぼ限定されると思われます。そして、そのほとんどのケースが、慌てて早口になっていたか、自信のない内容について発語していたか、になるようです。共通点は、一音一語をはっきりと発音できていない、になります。具体的には、口が開いていないに決まっています。そうなると、とても簡単な解決の道筋が見えて来るのです。これはもう単なる、論理的解決と言っていいでしょう。口開けて発語できるようになれ。に尽きます。そうしたら、早口も困難ではない筈ですから。
シブイオンガクスタヂオは、私シブイぎんざぶろうが作りました。という説明をすることにしたら、くどくどとした時間がかからなくなりました。我ながらすばらしいアイディア、に同意を下さった会員さんに感謝。それに合わせて絵も描いて下さった吉田朋子さんにまた、感謝。それからももう、何年も経ちました。シブイは、渋いです。それだけです。かつて私と同じ職場で同じ時期にボイストレーナーになった信也さんが、シャイニーと名乗るのとは、見事に対照的で面白いな、と思ったものでした。それももう、随分、そう、むかーしの話です。あれから、何年経ったかすぐにはわからないのですけれども、ある年からシブイオンガクスタヂオをめぐる環境は大きく変化したのでした。まずそこから申し上げておきましょう。このアメブロでは、もともと水道橋の教室ひとつでやっていた頃から、講師二人体制で飯田橋に教室を新設した模様などに大きく記事数を割いていたと記憶しています。それが2010年の春でした。現在2017年夏です。それが外向けに何が大きく変わったかといえば、この時作っていた飯田橋の教室は飯田橋の駅の反対側に移転をして防音室を作ったりして、講師計四人が入れ替わり立ち替わりする状態になり、水道橋の教室はこの夏、四谷三丁目のエレベーターのあるビルに全面移転を遂げました。講師は全部で五人の体制です。もともとは私ひとりでした。ですから、書き残っている文章はほぼすべて私の手によるものです。が、実は私は今年半年たちますが、生徒募集をしていません。しなくてもだいたい常時、手一杯になってしまったのです。2010年当時私がもしも今の私を見たら、さすがに羨ましく思うことでしょう。ということは、実際に生徒募集をしているのは、私以外の講師たちなのでして、そうなると、サイトの外見と中身が別のもの、みたいな状態が続いているわけです。この誤差をなんとか取り除かなくては、広告に偽りあり、とまでは言いませんが、誤解を招きやすくなるに決まっています。なので、本拠地シブイブログを講師陣に委ね、私はぎんざぶろうとして、かつて書きかけてやめたアメブロに戻る形で隠遁しつつ、内容的には従前通りに記事を連ねて行こうかと思った次第です。
いい声と、簡単にいうが、そりゃ一体どんな声かと思われるに違いない。通常そう呼んでいて、レッスン中に見事に出してもらえた時には、鳥肌がたつ声。澱みなく掠れなく、もちろん無理もなく、当然よく響き、長い音は余裕で伸び、邪念もない声。おわかりだろうか。その声で話してもらえたら、耳に心地よい声というものがあるんだったと再認識させられるような声。その声で歌って貰えたら、多少の音のずれなど歌の良し悪しには関係ないんだと気づかせてくれるような、声。おわかりだろうか。そういう声は、誰にでも出せる。シブイでもたくさん聞いて来た。皆その時は、完全笑顔だ。私は長年こんなお仕事をして来たせいで、センサーが発達して来たのを自覚している。過剰反応ではない。誰もが出せると言い切ってみると、それはそれこそが、その人固有の声であり、誇らしげに使って欲しいと願うもの。使う場所がないという人は、私の話を聞いてくれ。恣意的に使う必要もない。声なんて自信はおろか、コンプレックスであった。そんなことがあるのかとお笑いの方もあろうが、大好きな野球を辞めたのは、あの、大きな声がどうしても出ず、それをなじられ、そこにいる資格がないと思わされ、集団に馴染めくなったからだ。次に好きになった歌だって、声が小さいのは身体的欠陥だと思い込んでいた。学生時代の友人は、私の声など印象にないことだろう。どうせ聞こえないだろうと思って無口に過ごしたのだから。そんな私が雑談の折に、いい声ですねと褒められるのだ。何気ない社交辞令といえど、人は褒められたら荒んだ心も洗われるもの。声に自信が必要か?と言われたら、不要と答える人もあろう。ならば、とりたてて何にも自信がないという人よ、案外いることだろう。こっそり、いらっしゃい。
ここと公式の記事を分けたのであれだが。体験レッスンが入ったので今朝、それ用の記事を書いておいた。まんまと、書いたとおりになった。しめしめそれにしても、早稲田でアカペラをやってる大学生が体験レッスンに来るとは。それを聞いて、貞國くんのところに行けば?と言ってしまうあたり、無私無欲さが滲んでしまったか。大丈夫。全然競合してない。大学の頃は対等に遊んでたけど、もはやキャリアが違う。一人合点するほど機嫌は良い。だって、シブイのトップみて納得済みで訪れたと言うのだもの。まあ、大学一年生に変な人と言われて嬉しくはないけれどさ。よくわかったな。小娘が。
どうも書く内容がそぐわない気がしたので、ここではここなりのことを書こうと決めたのであった。決めたらすっかりご無沙汰。といういつものパターン。ボイストレーニングに於いて笑いは重要である。昔、堅い顔している女性に、ちょっと笑ってごらん。自然に息の流れ出来るからと。言ってみたところ、面白くなければ笑いませんと言い切られてからというもの、私はお仕事中は人格を変更して大変饒舌に振る舞っている。緊張もほどほどに。笑えば自ずと緩んで理想に近づくからね。さて。世の中には仏頂面系統の人がいる。君、ここ何年くらい楽しいことなかった?と素で質問してしまいそうなくらい、簡単には笑みを浮かべないタイプ。しゃべり声のトーンは低く、落ち着いた風ではあるが、お愛想なし。ついでに色気も限りなく、ない。私は思わず訊ねた。最近はしゃいだことは?想像通り、そんな話を即答してくれるはずもない。しかし、そんな彼女が実はお相撲さんが好きで、両国に住んでいるとか、鬢のにおいを嗅いだときに興奮する、なんて言い出すから、分からないもの。それをききだせた時わたしは、大変はしゃいでしまった。達成感。
ここシブイオンガクスタヂオでも、いろんなことを致しますが、詰まるところ呼吸なのであるとは、毎日のように言うことです。もしも声に関して自分の中に不満や不安があったら空気の良い土地に来たときに思わずしてしまう深呼吸を思いだして下さい。それを、毎日毎時毎分毎秒の呼吸に転化してみて下さい。悪いことはない筈です。
食後出場者陣は腹ごなしブランコ後腕立て伏せこれで本番も大丈夫
シブイはお客さんとも言える。故に、楽屋でずっと茶を飲んでいる。いた。
完全にうっかりしていた。明日は、シャイニーミュージックの発表会であり、なかの芸能小劇場にシブイから出場する生徒さんたちを引率するのであった。このお付き合いも三回目である。毎回四組ずつ出させていただいているが、今回は体調不都合の方が出て、三組三人である。いかにもそれでは、あと言う間に終わる寂しい団体になるので、致し方なく、仕方なく、私も歌うのである。ここはひとつビシッとやるべきだろう。だって、よその教室の発表会にお邪魔する引率者だもの代表だもの。そう思うと、引率されるシブイのみなさん、かわいそうだなあ。いや、それは私見であり杞憂に違いない。そう信じよう。なかの芸能小劇場で歌うのは、まさに十年ぶりである。その時も教室の発表会であり、シャイニーミュージックの斎藤信也さんとは同僚であった。その時歌った曲名・夜・送信願~~なんともまあ、スカッとしない曲名だ。実は、そういう機会のために一曲作っておこうと作った曲名が・下手な人~~我ながら、尋常でない空気の読めなさ加減である。まあその後、発表会で歌う機会を封印してきたので、いつか実現してみたいものだ。発表会で下手な人。いやだから明日はビシッと行かねばならない。主催ならまだしも。違うんだから。ビシッと。明日土曜日午後一時、なかの芸能小劇場で会いましょう。また、前回やった、えかきうた。その後YouTubeでは驚異的アクセス大感謝。今回はネタを一新して臨む予定。
さて久しくまじめな更新ができなかった。改めてまた、まじめな記事を書いて行こうと思う。表題が、今後しばらくのテーマとなる。どういうことかと言えば、こうして門戸を開いていると、非会員の方からも質問を受けることがあるものの、決して正確には伝わりきらない。そこをなんとかしようという事情。よくある回答、とは言うものの、正義と真実のシブイオンガクスタヂオ、正義にもとづくあまりよくない回答、になることも、ままあるのである。正義は決していつでもどこでもまかり通るわけではない、正義は絶対ではないのは、この世の常識。故にこそ正義と真実のシブイオンガクスタヂオは、誤解されがちである。誤解されたままでは、もったいない。何のために我々馬鹿正直に生きているのかといえば、縁あって門を叩いて下さる方のため、だからである。
巷間、単身カラオケボックスに乗り込む文化がある。目的嗜好も志向もそれぞれとは思う。都市部の住宅事情により、自宅で歌など歌えない、という人が九割以上の世の中である。ゆえに、発声法を学んでもなかなか、遠慮なく声を出して試行錯誤がしにくい、という声が一般的。しかしもしも練習したいなら、年々安くなったカラオケボックスは、有効だろう。歌う場所がないという人にはすすめてきたものだ。未体験の人はだいたい、どきどきでためらいがちである。一人で行って一人で歌っている姿、事情を見られたり想像されたりするのがこわいもの。しかし、一度行ったらあまり人目は気にならず、案外楽しく過ごせるものと、あんなに渋々だったことも忘れて語られる。十人中十人の確率。今月ついにそれに挑んだ方があり、やはり、良かったらしい。「自分はこれくらい歌えるんだ」「案外歌えるじゃないか自分」といった体感は、大事なことだと思う。そして、ひとりならこれだけ出来るならば、他人が同席しただけでどれだけ我を忘れてしまう性質であるか、が自覚できよう。これはもう、発声法以前の問題であるということも。小さな自信を積み上げて欲しい。そう願う身としては、ひとりでカラオケ行って、「案外歌えるじゃん自分」と思える体験は、有効なんだなあと思った。事実その方は、歌いだしの思い切りのよさが前回比ずっと良くなっていて、それが発声に及ぼす影響は多大。一気に光明がさしてきた。こちらから強いたりも焦らせたりもしないが、苦手だと思う人ほど、歌ってもいないのだ。そんな自分には、気づいてもらった方がいい。