「むかしのろう学校はね、手話を教えてなかった。手マネだったんだ。」
私が最近、人工内耳者から聞いた言葉だ。
「友達との雑談とかどうしてたんですか?」
そう聞いたら、俗に言う "猿まね" らしき仕草を見せてくれた。
以前より、ろう学校で手話が禁じられ、
口話教育法が強制的に押しつけられてたのは聞いていたけど、目の前で実際にその仕草をみると絶句してしまった。
ろう者や聴覚障がい者で手話ができる人たちは、学校外で再獲得してきた人が多いという。
教えてくれた人工内耳の方は補聴器の時に、経緯は分からないけど、途中で一般の学校に転校したらしい。
ご自身の努力も相当なものだったと思うのだが、普通に話すし、見聞が広い。
ひらめきが良い人なので、一緒に話しているとなんだか自分が勉強不足のように感じて、焦る![泣き笑い](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/592.png)
![泣き笑い](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/592.png)
少し手話の歴史を振り返ってみたいので、↓良ければ読んでみてください。
16世紀に、スペインの修道士が近所の聞こえないこどものために手話を作る。
各国の手話です。
そこから100年から200年後、
1878年 日本でも京都に最初のろう学校を設立
1933年 発話を促す国際的な流れにより、日本でも文部省により手話が禁止された。
以降、口話法による教育が1990年代まで、体感的にはもう少し後まで続いた。
60年以上も手話が禁じられていたことになる‥
2006年 国連で、手話も言語と認められる。
2011年 7月に日本でも、改正障害者基本法により手話が言語と認められる。
(この年は3月の東日本大震災により日本全体で大変な時であり、社会的には話題にならなかったように思う。)
2020年 6月19日 東京都手話言語条例 成立
この前後から今にかけて、全国の自治体で手話言語条例が成立してきている最中。
口話で育ってきた私が思うのは、口話のみだと相手の顔に集中しなければならないので、想像以上に疲れる。
歳をとってくれば、なおさら集中力は続かない。
なにより、一方的な負担‥
口話で育つと、なかなか手話を始めようと思わない。
私もコロナ禍のマスク社会で口話ができなくなった年月がなければ、手話を習い始めていたか分からない。
話を戻すが、手話は言語である。
法律的に認められたことは、とても大きく感じる。
というのも、私のこどもたちの学校でも多様性による共生という教育の一環で、手話や指文字を目にする機会が、以前より増えたからだ。
だって、日本にいてもう1つの言語なのである。
手話ができると、そこに広がるコミュニティーは思ったよりも小さくない。
今や孤独をアメリカ全体の3割が感じる時代である。
聴こえていようが、大国でもこんなに孤独を感じているのだ。
そして、もう1つ。
日本の一般の学校では2020年より、アクティブラーニングという学習が導入された。
学力だけではなく、思考を言語化し、相手に伝えるという社会的能力の教育に力をいれ始めた。
簡単に言ってみれば、話し合いや討論する能力を身につけるということだ。
自分の話を聞いてもらいたいこどもたちはどうするか?
新たな課題をみつけるのである。
ビジネス用語でイシューとも言うらしい。
私たちの価値観とは違った環境で今のこどもたちは学んでいる。
アクティブラーニングと東京都手話言語条例は、共に2020年スタート。
この先、今のこどもたちがもし聴こえに障がいを抱えてしまっても、私たちよりはるかに手話を身近に思うだろう。
スマホなどの最先端の機器を駆使し、AIを味方にし、手話も覚え、思ったことをきちんと伝えてくる自由闊達な若者たちが増える。
その時はきっと、
聴こえる聴こえないの表面的なものではなく、もっとその人の本質的なものをみてくると思っている。
長々とご清聴ありがとうございました![コップ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/658.png)
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