短期間に大きな出来事があって、人の命について考えさせられた。

自分の家族がある日突然亡くなったら、こんなにもショックなのかと・・・。


決して、仲の良い家族ではなかった。

兄は、結婚した後、うちの実家にはまったく寄り付かなかった。
時々、電話しても、冷たい印象だった。

父とは、私はまったくと言っていいほど犬猿の仲。

病気になって、働けなくなって生保を受けるために実家を出ることになった時、
父はそれを喜んだ。

実家には、所得のあった長女を残し、高校生になったばかりの次女を連れて
生保生活が始まった。


時折、父からメールが来た。

「元気にしてますか」

「○○(長女)は、家に帰ってこない。どこにいるの?」

長女は、当時付き合ってた彼と半同棲してた。

父がいろいろうるさく言うので、長女も父とはいつも喧嘩してたらしい。


もう、うちらのこと、放っといてよ。
内心、そう思ってた。

兄だって、私が困ってる時、何も相談に乗ってくれず、
兄が病気になるまで、まったく音信不通状態だった。


家族ってなんだろう・・・。


もし、私が死んだら、悲しむのは娘達だけかな。

だけど、兄の未遂と、父の突然死で得た想いは、
私が死を選んだ時、娘達のショックは計り知れないくらい大きいのだろうと
それだけは理解した。


だから、もう死ぬことを考えるのはやめよう。

気持ちはここに辿り着いた。





あと、ひとつ。

父には冷たい態度で接してきた。

次女が高校を卒業して、就職したから、可愛そうだけど、
私とは一緒に住めない。

長女の家に居候することで、なんとか次女の住める環境を維持できたかと思い気や、
長女の彼が、次女に対し冷たい言葉を浴びせ、次女の居場所は段々なくなっていった。


私は、一人暮らしになるため、生保で決められた家賃制限に伴い、
引っ越しを余儀なくされた。

それぞれが、バラバラに生活することになったが、
どこに住んでいるのかを、最後まで父に知らせることが出来なかった。

平成13年から父の家で暮らしてきたが、最後の最期は、
父がひとりきりになり、娘や孫達がどこに居るかも分からず、
せめて、それがちょっとだけ心残り。


父の遺品整理をしていたら、家計簿とノートが出てきて、
そこには、走り書きで私達を思う言葉が書かれていた。


本当はすごく心配してくれていたんだな。
だけど、それを表現できない、不器用な父親だったんだ。


可哀想な人だったんだな。

でも、当時はそんな優しさを向けることが出来なかった。

仕方ないか。
面会時間に、病院に行った。

驚くことに、兄は意識が戻っていた。

兄嫁は、すごく喜んでいた。

あんなに、見捨てようとしてたのに、やっぱり生きてて欲しいのか。


会話も普通にできた。

私は長女と一緒に行ったのだけど、兄嫁がトイレに行った時、
兄がポツリと言った。


「俺、生き返っちゃった・・・」


涙が出そうだった。