足りないものを埋め合わせ再生する | 真夏のミシェル

真夏のミシェル

ゆらりゆるりら



夫婦の再構築について綴っていきます。
夫婦喧嘩は犬も食わない・・・喧嘩と仲良しを行ったりきたりする日々に愛を探し続けるブログ。
ミシェル独自の幸福論を展開。参考にすると不幸になるかもしれません

映画「マリーアントワネット」より




真夏のミシェル-大

この場面が大好き!



独身の頃、昔付き合ってた人たちはどの人も同じような感覚、好みで、喧嘩なんてほとんどしなかったし、

いつもロマンチックで、何も考えなくてもただ男の人についてくだけで幸せだった。


デートは映画やカフェやおしゃれなバーやクラブイベントとか、たまに友達カップルともデートして、人に囲まれてたし、思えばたいてい舞台は夜がメインでした。


夫と付き合ってからいつもデートの内容に喧嘩してました。

思えばその頃から不協和音は出ていたのね・・・



独身の頃から夫はファミリーな過ごし方ばかり、子どももいないのに、若い2人のデートはいつも所帯じみてた。


「子どもじゃないんだからもうこんなデートいやだ。子ども時代にこんなとこいっぱい行ってて飽き飽きだよ(怒」というのが私の主張でした。

まぁ健全だから拒否る理由もそこまで強くもてなくて、結局は言いなりでしたが。



おしゃれなカフェなんて見せ掛けだけの内容のないお金だけ高いところとかいう考えで許されなかった。

独身カップルの普通の過ごし方は許されなかったのがロマンチックじゃなくていつも不満だった。

話も面白くないから、そのうち車に乗ったらいつもぐーすか居眠りするようになってました。




ただ、最近子どもと過ごすことで気付いたことがあるんです。


最近子どもと3人で公園に行くとき、見晴らしのいいひと気のない公園ばかり行く夫にキレて、よく喧嘩になってました。

なんでそんなとこに行くのか。

1才児は景色を楽しむよりも、家族が集う広い芝生でいっぱい走り回ってボール遊びしたりお弁当食べたり、そうやってたくさん人がいる場所へ行きたいと思うので、私と夫はいつも意見が食い違って、

アスペルガーだからなのか?公園は公園でもひと気のない公園を好む夫と場所をめぐって喧嘩ばかり。


喧嘩を繰り返し、一度私の希望通り、家族連れの人の多い公園へ。


夫はずっとぶつくさ言ってたけど、行って見ると、

公園でたくさんの家族が戯れてる景色を見て、こんなの初めて見た、と言い立ち尽くしてました。



え?

当たり前じゃない?こんなの。


夫「家族と公園に行ったことはないし、団欒なんて外でしたことない・・・。」



公園はいつも近所で子ども達と遊んでただけで、ほとんど遠出もしたことないし、父親に家族サービスでそこかへつれってってもらったことはないそうです。ドラマも見ないから余計にイメージなかったそうです。


私にとっては家族団らんなんてピクニックなんて、あまりにも当たり前だったので、

そんな景色を知らない人がいるなんてびっくりしました。



そうだったんだ。


きっと独身時代の所帯じみた過ごし方は子ども時代の空白を埋めるための無意識の埋め合わせだったのかな。って今になって納得できるんです。


夫はいつも子育てに一生懸命です。


夫「俺は子ども時代父親にどこにも連れてってもらえなかった。家族で出かけることも外食もほとんどなかった。だから自分の子どもにはたくさんいろんな場所に連れてってあげたいんだ。」


夫の父親は家庭を2重にもっていて、仕事も忙しくほとんど顔を合わせることはなかったそうです。

子育ては母親の一人きりの子育てで育ってるので、頭はいいけど、紙の上での勉強や理論は得意だけど、

いかんせん、実体験の乏しさは現在親になって子どもを育てる過程で浮き彫りになってきてます。


子育て母親一人では限りがありますから。

はじめは世間体を取り繕うことばかり重視する家族だからそういう生き方なのかと思ったけど、それだけが理由じゃなかった。


五感を刺激するように、のびのびと、自然の四季折々に感謝して、失敗も挫折もたくさん味わって、

人と感動したり涙したりときに喧嘩して・・・

そういう人として当たり前?と私が思うような経験が夫にはなんだかすっぽり抜けているのです。


本人ではあまり気付かないものですが、子育てしながら自分の子ども時代を振り返るといろんなことをお互い考えさせられます。


「じゃぁあなたの父親は家族サービスもしないで、一体何やってたの?」


その問いの答えは言わなくてもわかります。



そう、仕事と不倫。






そうやって、家族の歪みは次世代へ影響する。鎖のように繋がれて、次の世代へ。


自己の快楽を追い求めてる間に、気付かないうちに周りの大事な人まで被害を受けて大切なものを失ってるのです。

そのときは目に見えなくても、足りないもの、その歪みはきっといつか現れる。




家族の失った時間はもう戻りません。

過去の子ども時代に戻ることはもうできません。



そうやって自分の足りないものに最近になって気付いた夫は、私の妊娠中に自分が不倫をした罪深さと、

自分もまた、子ども時代に知らず知らずに、父親の不倫の被害者になってたことを、

今更になって気付いたそうです。



家族ってなんだろう。


形だけじゃダメなんだと思う。


家族をつなげるものは家族であるには?


それも一人ひとりの努力なのかな。


私は不倫については次世代まで歪みを与え、さらにそれは次の世代にもわずかでも悪影響は繋がっていくものだと思います。

目に見えない大切なものを大事にするのは、モラル崩壊のこの御時勢にはとっても努力が必要だと思う。




例え幸せな人生を歩んできても、パートナーにそうやって裏切られ傷つけられて、子どももいて簡単に別れられない場合は、心が死んでしまって、それでもがんばらなくちゃいけなくて、

でも日々の小さなことにも感謝できて幸せを感じてたその感受性はもう二度と戻らないよ。

その目に輝いてた景色は灰色のモノクロになって・・・


目に見えない大切なものがどれだけ繊細で壊れ物のようで、そして美しくて、尊いものなのか。


そうやって本当の幸せを知らない人間が平気で家庭を壊し人を傷つけられるんだと思う。





それでも家族として再生することを選ぶなら、離婚するよりももっと大変な道のりを覚悟しなくてはいけない。





幸せは一日にしてならず。




私はよく夫に言ってます。


あのね、いつか子どもが大きくなってお嫁さんをもらうことになったとき、

「僕のおうちはとっても幸せな家なんだ。だから安心してお嫁にきてね。」

そう言って素敵なお嫁さんをもらって幸せな結婚をして、そのお嫁さんもいっしょにみんなで大事にして団欒して過ごしたいな。それが私の目標だよ。





愛おしい子供を抱いて2人で見つめながら「そうだね。」って涙ぐんで笑う夫と、

いろいろあったけど、喧嘩ばかりしてるけど、これからも道のりは長いけど、

今はとても幸せだな。って思います。





広い芝生で寝転んで、子どもと戯れながら、


木々の木漏れ日が美しくて、


夫の奏でる音色が風にのってふわっと香る☆



そんな静かな時間が一番幸せで、儚い夢のよう。


その一瞬が「永遠」で、


確かな幸せ。